鳴り響くチューニングのA、大滝詠一「君は天然色」
ピアノの「A」の音が鳴り響く。なんだこれは… イントロ? ―― いや、違う。これはチューニングだ。
『A LONG VACATION』
「A」で僕の80年代は一気に色づいた。
そのアルバムを僕が初めて聴いたのは1983年だった。2年前、1981年3月21日に発売された『A LONG VACATION』は100万枚以上を売上げ、すでに社会現象だった。「BREEZEが心の中を通り抜ける」… アルバムのキャッチコピーも、永井博の手になるジャケットも、あまりにも有名になっていた。
だが、僕はそのレコードをビニール盤で求めることはせず、CDで聴いたのだ。2年後にSONYの世界初のCDプレーヤーを手に入れた僕は、大滝詠一『A LONG VACATION』、佐野元春・杉真理・大滝詠一『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』、そして佐野元春『SOMEDAY』を買った。見事に数珠繋ぎの3枚だが、これは前年、日本で最初に発売されたCDの中の3枚だった。
ようやく、僕はあのチューニングの「A」に巡り会う。スティックによるカウントからの怒涛のイントロ。
『君は天然色』
映画のような光景が浮かぶ松本隆の詞
松本隆の詞は、失った恋と去った女の子への想いを、暗さのかけらもないような筆致で綴る。そよぐ風、あふれる光、波しぶき。映画のような光景が脳裏に浮かぶ。
サビに向かう強烈なジェット音が鳴り響いた瞬間、僕の世界は一変した。あらゆる色彩という色彩が心に入り込んでくる。
なんだこれは。カラフルという言葉の意味を知るような体験だった。僕は中学2年生だった。14歳で聴いた音楽を、人は一生忘れない。
カセットにダビングした『ロンバケ』は「ウォークマンⅡ」でどこにでも持ち歩いた。初めて訪れた海外だったバハマへ行った時も、ハワイへ行った時も、モルディブへ行った時も、カセット、MD、MP3と姿を変えながら、その音は海のあるところ、必ず僕の傍にあった。もちろん、今だけだと思いたいが、世界のどこへも行けない現在、それはサブスクリプションとなってそばにいる。
ナイアガラの音は大きな滝「フォール・オブ・サウンド」
『君は天然色』は、僕の中でポップソングのマスターピースとして君臨した。しかし、初めて聴いた時から、不思議な懐かしさを感じる曲でもあった。1969年生まれの僕は、その「懐かしさ」が何なのかを知る由もない。そこから、音楽の系統樹を辿る旅が始まった。
イントロは、ザ・ハニーカムズの『カラースライド』。「くちびるつんと尖らせて」は、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの『涙のクラウン(Everybody Loves a Clown)』、「別れの予感をポケットに」の感じはザ・ピクシーズ・スリーの『コールド・コールド・ウィンター』、そしてあのジェット音はロイ・ウッドの『シー・マイ・ベイビー・ジャイヴ』…。
挙げればキリがない。どの曲が「元ネタ」とかいうレベルではない、コンポーザー、アレンジャーとしての大「瀧」詠一の音楽経験全てを踏まえた重層的なスコアを、さらにフィル・スペクターから学んだ「ウォール・オブ・サウンド」が包み込む。いや、ナイアガラの音は大きな滝、「フォール・オブ・サウンド」だ。
妹を喪った松本隆、どこまでも待つと答えた大滝詠一
14歳で聴いた音楽を、人は一生忘れない。1948年生まれの大瀧が引用するのは、まさに1962~1964年頃のもので、彼がちょうどその年頃を過ごした時期である。
人間が創造したものにはすべて「文脈」がある。原型がある、下敷きがある、模倣がある、引用がある。『君は天然色』という一曲は、何かに感動したらとことん調べて、感動の正体を突き止める、という物書きとしての僕の、方法論の基礎になった曲かもしれない。
だが、その過程で僕は、今ではあまりにも知られている、もう一つの事実を知ることになる。そのことは発表からそれほど間もない、1985年の新聞のインタビューですでに松本隆自身の口から語られている。2020年のインタビューでも、最新の雑誌へのコメントでも、この経緯は繰り返し本人から述べられる。
それは、妹を喪い、目の前の風景がモノクロームに変わった哀しみ。そのため制作延期になってしまったアルバムを、どこまでも待つと答えた大滝との友情。
ひたすらに明るかった僕の『君は天然色』は一変した。これは明るい失恋の歌なんかではない。読み返すと、全ての歌詞が切なさをはらんで迫ってくる。
別れの気配を
ポケットに匿していたから
今夢まくらに君と会う
トキメキを願う
手を振る君の小指から
流れ出す虹の幻で 空を染めてくれ
そして
想い出はモノクローム
色を点けてくれ
… その色彩のすべてが反転する。曲が明るいコードで進めば進むほど、鮮烈なサウンドプロダクションが響けば響くほど、誰もいないジャケットの海を見つめれば見つめるほど、無限の哀感が胸を締め付ける。
詩人、野口雨情と松本隆
それは僕に唐突に、童謡『シャボン玉』を思い出させた。
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
1923年のこの歌は、野口雨情が生後すぐに亡くなった我が子を弔って書いた詞だと言われている。野口はそのことについて語らなかったので、真相はわからないままだが、作曲の中山晋平はその詩に、讃美歌『主われを愛す』からインスパイアされたと思われる、暗さのかけらもない曲をつけた。
僕はこの逸話を知った時、ただ明るく受け止めていたものの奥に、人間が何かを創ることの根源的な哀しみと、だからこそそれを乗り越えようとする願いと、何もかもを失ったあとに手にする本物の光が、色が、あることを理解した。
松本隆は1985年の新聞のインタビューで語った。
「あのアルバムの中の詩に人の心を打つ何かがあったとしたら、明るくポップなジャケットの裏に、透明な哀しみが流れていたからだと思う」
川崎鷹也がカヴァーする「君は天然色」
2021年。大きな災厄からいまだ脱け出せない世界に、松本隆トリビュートアルバム『風街に連れてって!』が生まれる。
『君は天然色』は、あの『魔法の絨毯』で世に見出された川崎鷹也がカヴァーする。
亀田誠治がプロデュースするサウンドは、なんと原曲の「エンディングから始まる」。それはこの曲にまつわる時代性と哀しみの言説をいちど区切ろうとする試みではないだろうか。さらに、亀田はあの渾然となった「フォール・オブ・サウンド」を因数分解して、感傷を振り払うような響きを構築した。
川崎鷹也の歌声は、どこか海と一体となったようなウエットさを感じる大滝の声と比べると、街に降り注ぐ陽光のような輝きを感じさせる。しかしその中に、1パーセントだけ、やはりあの哀しみを秘めている。だが、これは21世紀の『君は天然色』だ。もう一度、その先へ届ける『君は天然色』だ。
それは、ネオンサインも灯りも消えた、目の前のモノクロームの世界が、ふたたび華やぐために流れ出す虹のように、僕には聴こえるのだ。
2021.06.23