1993年 1月25日

1993年のビーイング旋風!WANDSはニッポンの “産業ロック” だったのか?

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WANDSのシングル「もっと強く抱きしめたなら」がオリコンで1位になった日
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18週間連続1位独占! 1993年は「ビーイング」の年だった


1993年は「ビーイング」の年だった。

音楽制作会社「ビーイング」についての詳しい説明はもはや不要だろう。俗にいう “ビーイング系アーティスト” は、ZARD、WANDS、DEEN、大黒摩季などを代表に、B’zやTUBEなども含まれるが、1993年には、これらのアーティストの楽曲が18週間連続で1位をキープし続けるという社会現象が起きた。

当時、私は「ビーイング」という名称をリアルタイムで認識しておらず、最初、転職情報誌の『B-ing』が音楽ビジネスに乗り出したのかと本気で勘違いしていた。しかし「テレビにも殆ど出ないし、CDのジャケ写の雰囲気も似通っている、何かの一大勢力が進出し始めたな」という気配は、ひしひしと感じていた。

なお、「ビーイング系」を語る時に、B’zやTUBEを一緒くたにすることには少々違和感があるだろう。なぜなら、彼らは既に彼ら単体で圧倒的なブランディングが確立されていたからだ。だから私の中でビーイングを象徴するアーティストと言えば、女性では “ZARD”、そして男性では “WANDS” となる。そう、1993年のビーイング系チャート1位旋風の始まりもWANDSからだった。

リリースから半年がかりで1位に到達した「もっと強く抱きしめたなら」


ビーイング隆盛のきっかけとなった曲は、WANDSのサードシングル「もっと強く抱きしめたなら」だ。この曲がリリースされたのは1992年7月1日のこと。実は、初めからヒットチャートを賑わせていた曲ではなかった。30位台への停滞が長く続き、なかなか浮上のきっかけを掴めずにいたのだ。

しかし、発売当初から有線放送では頻繁に流れており、私は夏休みの深夜のバイト先でずっと耳にしていた。同時期のヒット曲「浅い眠り」(中島みゆき)、「涙のキッス」(サザンオールスターズ)、「もう恋なんてしない」(槇原敬之)と並べても引けを取らない存在感。バイト中、毎日この曲が流れてくるのを楽しみにしながら働いていたことを懐かしく覚えている。いつしか私は、曲名も判らぬこの曲が売れることを、心の底から期待するようになっていた。

その後じわじわ順位が上昇。1位到達は、なんと年が明けた1993年の1月25日。半年がかりのロングヒットであった。まさに「ビーイング城は一朝一夕にして成らず」であり、苦労の末に掴み取ったJ-POP主役の座だった。

ちなみに “1970年代生まれの男性ボーカルによるミリオンヒット” は、この「もっと強く抱きしめたなら」が最初であったということも強調しておきたい。これは、上杉昇と同学年の木村拓哉や中居正広が居たSMAPよりも5年早い記録だ。

何故? J-POPの文脈としてあまり語られなかったWANDS


しかしながら、これほど90年代のチャートを賑わせ、エポックとなったバンドなのに、WANDSは長らくの間、J-POPの文脈として音楽ファンの間でも語られることが無かったのは何故だろう。2022年に特集された『MUSIC MAGAZINE』10月号「特集 1990年代 Jポップ・ベスト・ソングス100」に於いても、WANDS単独としての曲は1曲も選ばれていない(「世界中の誰よりきっと」が辛うじて89位)。その理由としては3つあると思う。

まず1つ目は「”ヒット曲量産工場” ビーイングへに対するアレルギー」だ。具体的には、万人受けするキャッチーなメロディや、サビにタイトルを連呼しがちな歌詞などが、いかにも売上至上主義なロックとして敬遠されたのではないかということ。これは80年代前半「産業ロック」と揶揄されたジャーニーやフォリナーに通じる部分があるだろう。

2つ目は「主人公の顔が見えにくい歌詞」(WANDSでは主に初期産業ロック期)。以前、J-POPのフレーズで「翼広げすぎ・瞳閉じすぎ」ということが話題になったが、確かにこうした紋切り型の歌詞は、90年代のビーイング系勢力拡大と共に増えていった印象は否めない。

3つ目は「演者自身の戸惑い」。後年、ボーカルの上杉昇はブレイク当時の心境について「やらされている感があった」と、告白している。元々、ガンズ・アンド・ローゼズやジューダス・プリーストのようなハードロックを好む上杉は、こうしたポップ路線での出世には葛藤があったのだ。そして、評価する側としても、演者が不本意さを抱え演じた物は評価しづらい。これは仕方がないことだろう。

産業ロックからオルタナティブロックへの脱皮とその代償


こうした上杉の戸惑いとは裏腹に「産業ロック型」のヒット曲を連発するWANDSであったが、8枚目のシングル「世界が終るまでは…」を以て、「今までのアプローチは出尽くした。ひと段落した」として、以降、WANDSは路線変更に転じた。

次のシングル「Secret Night 〜It's My Treat〜」は生音ベースのダークで激しいロックナンバー。上杉自身も当時のインタビュー記事では「前々から探してた曲に巡り会えたって感覚があった」と語っており、デビュー4年目にしてようやく、WANDSを自走させていく喜びを手に入れることとなる。

1995年4月には、アルバム『PIECE OF MY SOUL』をリリース。ニルヴァーナ風のオルタナティヴ・ロックテイストが顕著に表れたサウンドは、これまでとは趣が異なり、ビーイングの皮から脱皮した様な ”真のWANDS” が感じられる。このアルバムこそ、彼らの最高傑作との声も多い。この時期は、カート・コバーンの自殺という90年代ロック界における象徴的な事件もあり、そのことも「自分自身の音楽を表現したい」という上杉の心情に大きな影響を与えていたようだ。



続くシングル「Same Side」~「WORST CRIME〜About a rock star who was a swindler〜」でもグランジ路線を進めるが、上杉の充実ぶりとは逆に、セールスは急降下。122万枚を売り上げた「世界が終るまでは…」から、シングル売上は63万枚→23万枚→13万枚という状況で、商業的成功と音楽性の追求の両立という意味では大きな痛みを残す結果となってしまう。

まだ終われない… 旋風から30年を経た今だからWANDSの再評価を


『PIECE OF MY SOUL』収録のラストナンバー「MILLION MILES AWAY」で、上杉は「果てしないしがらみを一人行こう」という歌詞を書いているが、この時点で彼の中では思うところがあったのかもしれない。

1996年6月30日。上杉昇と柴崎浩がバンドを脱退する。(※1)

いわゆる第2期WANDSは終焉を迎えた。これは、Mr.Childrenの名盤「深海」発売から6日後のことであった。

この時期「Rockin’ on JAPAN」では桜井和寿に対し「問題作『深海』の本当の意味」というインタビューが敢行されているが、もし、前年の『PIECE OF MY SOUL』発売時に、WANDSへのそういった取材がなされることにより、ファンの間でも、彼らの音楽性についてより議論が交わされることがあったら、世間の評価も少々変わっていただろう。

個人的には、上杉昇が在籍したままのWANDSが、ミスチルのライバルとして切磋琢磨する、そんな90年代の景色を見届けたかった気がする。産業ロック期を脱皮した後の第2期WANDSはさなぎのまま未完で終わってしまったのだろうか。彼らには、まだまだ出来ることがあった筈だ。

20代半ばにして「… まだ終われない… 果てしないしがらみを一人行こう」と言い残しバンドを去った上杉は、50代の今、何処を歩いているのだろう。

「ビーイング旋風」に沸いた1993年から、この文章を書いているこの2023年で30年が経つ。音楽論壇から敬遠され続けたビーイング系アーティストだったが、近年、DEENなどはシティポップ文脈で再評価する向きもある。上杉時代のWANDSも、95年〜96年のオルタナ期を見直すあたりから、再評価の機運が生まれることを期待したい。

(※1)上杉昇と柴崎浩の脱退に関しては1997年という説もある。

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2023.02.19
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カタリベ
1972年生まれ
古木秀典
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