16年ぶりの来日公演が決定したビリー・ジョエル
2024年1月24日、東京ドームにて16年ぶりの来日公演が決定したビリー・ジョエル。ビリーは1978年4月の初来日公演以来、実に11回の来日公演を行なっており、ことに95年の来日時には、1月17日に起きた阪神・淡路大震災を大阪のホテルで経験しており、翌18日のコンサートをキャンセルすることなく敢行し、多くの人々を勇気づけたことなど、日本との関わりも深いアーティストだ。
また、本国アメリカではシングル化されていない「ストレンジャー」は、日本独自にシングル発売され大ヒットを記録、日本でのビリーの出世作となった。他にも日本のみで人気の高い楽曲に「オネスティ」があったり、70年代後半、洋楽に親しんだ日本のリスナーにとって、欠かすことのできないアーティストなのである。
待望の来日公演を前に劇場公開される「ライヴ・アット・シェイ・スタジアム」
待望の来日公演を前に、ビリーが2008年の7月16日と18日の2日間開催した『ライヴ・アット・シェイ・スタジアム』の模様が、TOHO シネマズ 日比谷をはじめ全国42館で劇場公開される。上映は12月25日(月)と28日(木)の2夜限定(TOHOシネマズ日本橋となんばの2館のみ1週間上映)。
このシェイ・スタジアムは、ニューヨーク・メッツのかつての本拠地で、ザ・ビートルズが1965年8月15日に、史上初となるスタジアムライブを行った場所。その後もローリング・ストーンズやジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトンなどレジェンド級のアーティストたちがライブを行ってきたが、2009年に取り壊しが決定。その最後を飾るコンサートが、ビリー・ジョエルの『Last Play At Shea』と題されたこの公演だったのだ。生粋のニューヨーカーであり、ニューヨークを題材に数々の名曲を作り出して来たこの男こそ、同スタジアムの最後を飾るにふさわしい人物だったのだ。その歴史的なライブを紹介しよう。
前半は70年代の名作アルバムから、隠れた名曲を演奏
自由の女神の姿から、空撮によるコロシアム型のスタジアムの全景へと繋がるオープニング映像では、叩きつけるようにピアノを弾く男の指先がアップで映し出される。最上段までぎっしりと埋まった観客を前に、コンサートは「プレリュード / 怒れる若者」で幕を開けた。性急なリズムと、お得意のピアノ速弾きが存分に披露される、ライブのオープニングにはこれしかないという1曲だ。
2曲歌い終えたビリーは、「この中でメッツのファンは? ヤンキースのファンは?」と客席に問いかけ「どっちでもオーケーだよな!」とフレンドリーに観客とやり取り。そして、自身が初めてバンドを組んで、ロックを始めたのも、スタジアムのオープンと同じ1964年であったことを明かし、そのスタジアムの最後を飾ることは「世界一の仕事だよ」と興奮気味に語る。
前半は70年代の名作アルバムから、シングルヒットではない隠れ名曲を演奏する。いずれもニューヨークの風景、人物描写に長けた同地ゆかりのナンバーばかり。そのハイライトは、同じニューヨーク出身、アメリカの国民的シンガー、トニー・ベネットを迎えて「ニューヨークの想い」をデュエット。数多くのアーティストにカバーされ、リリースされた76年当時は、空想の世界のように描かれていた内容が、9・11以降のアメリカを予見していたかのような歌となった。
まさにこの地で、この日のために歌われるべき曲。奇しくもトニー・ベネットは今年2023年7月に96歳で逝去したが、このライブの時点で既に80歳を超えており、その圧巻の歌唱力には驚かされるばかり。
シリアスなナンバーにも多くの支持が集まるビリー・ジョエルの奥深さ
さらに82年の『ナイロン・カーテン』に収録されている、ベトナム戦争に送り出された兵士の視点で歌う「グッドナイト・サイゴン〜英雄達の鎮魂歌」。こういったシリアスなナンバーにも多くの支持が集まるのが、ビリー・ジョエルの奥深さである。オープニングとエンディングで流れるヘリのSEから心掴まれるアメリカ人がどれほどいたであろうか。
中盤にはカントリーの名手、ガース・ブルックスを迎え、ガースがカバーしたことで大きな人気を博した「シェイムレス」をデュエット。続けてギタリスト、ジョン・メイヤーと「ディス・イズ・ザ・タイム」で共演するなど、登場するゲストも豪華。
何より驚かされるのはビリーのパフォーマンスの高さである。ピアノ弾き語りという固定されたステージングでありながら、他の演奏メンバーの誰よりも派手に、華やかに、アクティヴに動き回り、観客を乗せ、音楽の海に誘導していくその姿は、一般的に想像するピアノ・マンのイメージとは全く異なる。ポップ系のシンガーソングライターと認識されがちなビリーだが、そのライブステージを見れば一目瞭然、文句なしのロックアーティストなのだ。同傾向のシンガーソングライターであり、ビリーの登場以前にシーンを沸かせたエルトン・ジョンのパフォーマンスとも共通する、ピアノ弾きならではのライブアクトの凄みを感じさせてくれる。
一貫してライブステージに全精力を注ぎ込んできた男ならではのパフォーマンス
後半は、ビートルズの名曲「ハード・デイズ・ナイト」を演奏した後、ピアノからギターに持ち替えての「ハートにファイア」、そしてガラスの割れる音が会場中に響き渡ると、大定番「ガラスのニューヨーク」へ。ピアノの上に乗り立ち上がって観客を煽るお馴染みのパフォーマンスも健在だ。
そしてビートルズの『アビー・ロード』B面に影響を受けたであろう、組曲風の大作「イタリアン・レストランで」へと連なる流れは、ビリー・ジョエルというアーティストの、表現の振れ幅の広さを物語っている。これだけ曲想もスタイルも異なる楽曲を、ライブで一気に演奏してしまうスケールの大きさ、それを忠実に演奏するバンドの技量も圧倒的で、メジャーデビュー前の60年代から一貫してライブステージに全精力を注ぎ込んできた男ならではのパフォーマンスが繰り広げられる。映像を通してもその圧倒的な熱量が伝わってくるのだ。
アンコールはポール・マッカートニーとのデュエット
「若死にするのは善人だけ」を最後に、ステージを降りたビリーは、止まないアンコールの声に応えて再びステージへ。そして、「みんな、ゲストをお迎えしよう。ポール・マッカートニー!」
驚きの絶叫が会場中に響き渡ると、白シャツにネクタイ姿のポール・マッカートニーが現れ、「アイ・ソー・ ハー・スタンディング・ゼア」をデュエット。ポールはビートルズ時代、この会場で初めてコンサートを行った、レジェンド中のレジェンド級アーティスト。この日の共演を最も喜んでいたのは、他ならぬビリー本人で、その目はキラキラと輝き、若き日の音楽少年に戻ったかのようだった。
「私を野球に連れてって」に続き「ピアノ・マン」では会場中が大合唱となる、胸熱なシーンも。そしてコンサートの最後に再びポールが登場し、「レット・イット・ビー」を披露して、この奇跡的なライブは幕を閉じた。
この『ライヴ・アット・シェイ・スタジアム』の映像は、今回の来日の前夜祭として盛り上がれる、またとない機会。まだビリー・ジョエルのパフォーマンスを見たことがない人にも、文句なしで楽しめる内容なので、是非劇場に足を運んでいただきたい。
Information
▶︎2024年ビリー・ジョエル来日記念 特別公開決定!
ビリー・ジョエル 『ライヴ・アット・シェイ・スタジアム』
https://www.culture-ville.jp/billyjoel
特集:ビリー・ジョエル
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2023.12.21