新・黄金の6年間 ~vol.23
■ 小沢健二「カローラⅡにのって」
作詞:佐藤雅彦/内野真澄/松平敦子
作曲:内野真澄
編曲:吉川忠英
発売:1995年1月1日
CMの天才、 佐藤雅彦が作った独特のトーンを身にまとった作品
かつて、CMの世界に天才がいた。
―― 佐藤雅彦サンだ。湖池屋「のり塩鉄道」「スコーンダンス」「コイケヤのジャガッツはこのギザギザがおいしい」「ポリンキーの秘密」、NEC「文豪ミニ 野村宏伸シリーズ」「バザールでござーる」、JR東日本「もっともっと!」「ジャンジャカジャーン」「答えは15秒後」「房総バケーション」、フジテレビ「ロイド」「ルール」「サービス」、サントリー「モルツ / うまいんだな、これがっ」「ピコーダンス」、トヨタ「カローラIIにのって」――etc
40代以上の方なら、7割方覚えているのでは。なぜなら、すべて話題になったCMだからである。これらは1988年から94年の7年間に作られたもの。それ即ち、佐藤サンが電通の “クリエーティブ局” に在籍した期間である。そう、彼がCM作りに携わったのは、わずか7年。そんな佐藤サンが作るCMにはある共通点があった。独特なトーンを身にまとい、秀逸なアイデアにあふれ、何より商品が立っていた。
佐藤雅彦サン以前、CMとは、タレントを海外へ連れて行き、美しいロケーションで撮るものだった。中には、有名監督を起用して、芸術作品のように仕立てられることも。年に1度しか放映されないCMもあった。尺も通常の15秒や30秒ではなく、2分や3分のやつもあった。それでいて、優れたCMがノミネートされる『ACC CM FESTIVAL』でグランプリを受賞したりして――。
概して、その種のCMは素晴らしい映像作品には違いないけど、CMのレーゾンデートルである “商品” を視聴者に訴求できたかについては、疑問が残った。対して、佐藤雅彦サンの作るCMは一貫して “商品” が中心にあった。クライアントが伝えたい訴求点がちゃんと盛り込まれ、且つ、それをエンタテインメントでくるみ、結果、視聴者の購買意欲も掻き立てた。
お茶の間の笑いを誘う天才の仕事とは?
当時、佐藤雅彦サンはCMの作り方について、よく “クライアントとお茶の間の2つのハンコをもらう” という表現をしていた。それは、CMとはクライアントに寄りすぎても、お茶の間に寄りすぎてもダメで、双方からハンコがもらえるものにしないといけない。そのために必要なのが、アイデアと――。
例えば、佐藤サンがCMプランナーになりたての頃に作ったCMに「コイケヤのジャガッツはこのギザギザがおいしい」というのがあった。
モニター画面。銀行強盗が走り去る姿をとらえた映像の中に、偶然、手前に2人の主婦が映り込んでいる。
主婦「コイケヤのジャガッツはこのギザギザがおいしい」
捜査一課。モニターに見入る3人の刑事
刑事A「この男です。もう一度見てみましょう」
巻き戻されるテープ
主婦「コイケヤのジャガッツはこのギザギザがおいしい」
刑事Bの声「この男か」
主婦「コイケヤのジャガッツはこのギザギザがおいしい」
刑事Aの声「この男です」
刑事Bの声「もう一度だ」
ナレーション「コイケヤのジャガッツはこのギザギザがおいしい。新発売」
―― この間、わずか15秒。クライアントが伝えたいパワーワードが4回も入り、かつ、シュールなコントで全体をパッケージ。コント自体はシリアスなトーンで、そのギャップがお茶の間の笑いを誘う。天才の仕事である。
実は僕自身、佐藤雅彦サンの天才的仕事ぶりに憧れ、もう30年ほど前になるが―― 電通の関連会社に勤めていたサラリーマン時代、社内便を使って、何度か佐藤サンと文通をしたことがある。「今、こんなことを考えてます」とか「これって面白いですよね」みたいなノリで、企画書や雑誌の切り抜きなどを送ったら、佐藤サンから「今、こんな企画を考えてます」と、フジテレビのCMのアイデアスケッチのコピーやバザールでござーるのノベルティが送られてきたり――。
その後、僕がソニー・ミュージック・エンタテインメントの『アート・アーティスト・オーディション』に “空想商品” なる作品で応募して、ファイナリストに残った際も、佐藤サンは電通を辞められていたが、審査委員の1人として、いろいろとアドバイスをくれた。その意味で、僕ら指南役の “クリエイティブ” に、佐藤サンが与えてくれた影響は小さくない。
小沢健二、最大のセールスを記録した「カローラⅡにのって」
閑話休題―― 少々前置きが長くなったが、今回のテーマは、そんな佐藤雅彦サンがプランニングして、あのオザケン(小沢健二)が歌ったCMソング「カローラⅡにのって」である。なんと80万枚を超える大ヒット。オザケン自身最大セールスのシングルとなった。奇しくも今日、1月1日元旦は、今から29年前の1995年に、同曲がリリースされた日に当たる――。
カローラⅡにのって
買いものに でかけたら
サイフないのに 気づいて
そのままドライブ
作詞:佐藤雅彦・内野真澄・松平敦子、作曲:内野真澄。CMは、シングルのリリースからさかのぼること3ヶ月前の94年10月から流れた。パリの街角を舞台に、耳馴染みのよいメロディと、オザケンのナチュラルな歌唱がマッチして、たちまち評判になった。日本だと安っぽく見られがちなカローラⅡも、パリの街角だと、シンプルなパッケージが路地裏に馴染み、オシャレに映った。
折しも、“1994年の小沢健二” と言えば―― 3月にリリースしたスチャダラパーと共演したシングル「今夜はブギー・バック」と、8月に出した2ndアルバム『LIFE』が、共に50万枚以上を売上げる大ヒット。オザケンは一躍社会現象になった。その流れで歌ったのが「カローラⅡにのって」だった。オザケンを起用したのは佐藤雅彦サンで、曲を作った当初から、彼以外は考えられなかったという。
実は同曲、当初は純粋なCMソングだった。販売店の “トヨタカローラ店” の販促用に5,000枚をプレスしただけで、シングルのリリース予定はなかった。何しろ、タイトルに商品名が入り、歌詞とCMの内容がリンクする100%のCMソング。いわゆるコマソンだ。かつて大瀧詠一御大が三ツ矢サイダーのCMのために書きおろした「Cider '73」みたいな位置づけだった。
それが、なぜ発売されたのか。――“時代” である。
CMタイアップ戦争の背景にあった思想なき、感性の6年間
かつて、CM発の楽曲が日本の音楽界を席巻した時代があった。1970年代後半から80年代半ばにかけての資生堂 VS カネボウの “CMタイアップ戦争” だ。この時代に誕生したのが、タイトルや歌詞に商品名は入らないものの、キャンペーンコピーとタイアップした “キャンペーンソング” だった。堀内孝雄の「君のひとみは10000ボルト」(資生堂)や渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」(カネボウ)などがそう。
その背景にあったのが―― 手前味噌で恐縮だが、拙著
『黄金の6年間 1978-1983〜素晴らしきエンタメ青春時代』(日経BP)が言うところの “思想なき、感性の6年間” だった。1975年のサイゴン陥落を受け、それまでベトナム反戦運動を牽引したプロテストソングとしてのフォークが行き場を失い、替わって感性を売るニューミュージックやシティポップが台頭した。それらはコマーシャリズムとも親和性が高く、数々のキャンペーンソングが生まれた。あの教授ですら、YMOでカネボウのキャンペーンソング「君に、胸キュン。」を歌った時代である。
そして、時代は巡る。
1989年に東西ドイツを分けるベルリンの壁が崩壊し、91年には共産主義陣営のリーダーのソ連も崩壊。東西冷戦は終わりを告げ、90年代は世界的にデタント(雪解け)が進んだ。一方、日本では90年代初頭にバブルが崩壊。93年には戦後の政界を牽引した “55年体制” も終わり、衆議院当選1回の細川護熙を首班とする8党派による連立内閣が誕生。旧来の権威に変わり、新しい才能が活躍する時代が芽生えつつあった―― 新・黄金の6年間(1993年〜98年)の幕明けである。
それは、ある意味、“思想なき、感性の6年間” の再来とも。特にエンタメ界(音楽・ドラマ・バラエティ・アニメ・マンガ等々)が活況を呈し、新しい才能たちが次々とビッグヒットを放った。キーワードは「スモール」「フロンティア」「ポピュラリティ」―― 彼らは、比較的小回りの利くチームで動き、新しい開拓地を求め、直接大衆に語りかけた。
サラッとコマソンを歌う、最高にクールなオザケン
そして―― 先の「カローラⅡにのって」に戻る。フリッパーズ・ギター時代は商業主義に背を向け(何せ、デビューアルバムが全編英語の歌詞だったのだ)、社会に抗ったオザケンも、新・黄金の6年間の頃になると、時代の空気の変化を敏感に嗅ぎ取り、自らゲームチェンジャーになった。94年発売のセカンドアルバム『LIFE』は、全編ポップな曲とハッピーな詞で彩られたゴキゲンな1枚に。彼は再び、時代を半歩リードした。
そう、そのタイミングで、佐藤雅彦サンから「カローラⅡにのって」の依頼が来たのだ。実は2人は旧知の仲。共に東大出身ということも手伝い、フリッパーズ時代から面識があった。生まれついての天才肌の2人は、周囲から似た者同士と見られていたらしい。
1993年には、JR東日本の仕事で、千葉・房総をフィーチャーするCM出演を佐藤サンから電話で打診された際、「男女3人だと、あと一人誰がいい?」と聞かれ、「じゃあ、スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)の名古屋クン(NARGO)はどう」と返事をした。
それから1年――「カローラⅡ」で再び2人は仕事を共にする。「房総」の時はキョンキョンとのデュエットだったが、今度は小沢クン1人で歌ってほしいと。それは、どこか懐かしいコマソンの匂いがした。ただ、歌詞とCMのストーリーがキレイにリンクした、恐らく日本のCM史上初めての試みとなる100%のコマソンCM。様々なCMの方法論を編み出した天才が最終的に行き着いたのが、コマソンというのが面白い。これが、佐藤雅彦サンの電通時代最後の仕事になった。
そして、サラッとコマソンを歌うオザケンは最高にクールだった。
2024年、新年あけましておめでとうございます。今年もリマインダーともども、よろしくお願いいたします。平成もいいけど、昭和もね(おせちもいいけど、カレーもねっぽく)。
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2024.01.01