1997年 4月15日

広末涼子「MajiでKoiする5秒前」竹内まりやが勝負に挑んだ100%のアイドルソング!

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新・黄金の6年間 ~vol.4
■ 広末涼子「MajiでKoiする5秒前」
作詞:竹内まりや
作曲:竹内まりや
編曲:藤井丈司
ストリングス編曲:服部隆之
発売:1997年4月15日

1980年代末、なぜ “アイドル冬の時代” となったのか?


かつて、アイドル冬の時代があった。

1980年代末から90年代半ばにかけて、女性アイドルたちがデビューするも、苦戦を強いられた時代である。フジテレビの『パラダイスGoGo!!』から「乙女塾」出身のribbonやCoCoを始め、テレビ朝日の『桜っ子クラブ』から加藤紀子、菅野美穂、中谷美紀、持田真樹ら。他にも、中山忍に田村英里子、和久井映見、高橋由美子、西野妙子、桜井幸子、東京パフォーマンスドール、中江有里、酒井美紀、持田かおり(現・持田香織)、遠峯ありさ(現・華原朋美)――etc

今、改めてメンツを見ると、意外とビッグネームも多い。とはいえ、彼女たちはアイドル時代にハネず、その後に女優やシンガーなどに転じて、ブレイクした面々。逆に言えば、才能を秘めながらもアイドルとして売れなかった “冬の時代” とは、どれだけ逆風が吹いていたのだろう。

何ゆえ、アイドル冬の時代に至ったのかは、諸説ある。直接的な原因の1つは、ほぼ時代的に重なる “音楽番組冬の時代” だろう。『ザ・ベストテン』(TBS系)や『歌のトップテン』(日本テレビ系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などゴールデン帯のメジャーな音楽番組が、89年から90年にかけて相次いで終了。早い話が、新人アイドルたちが顔見せしたり、プロモーションできる場がなくなったのだ。

CMで活躍した ”3M”、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂


その一方、90年代は、空前のカラオケブームを追い風に、ミリオンセラーが量産された時代。ビーイング勢を始め、小室哲哉ら音楽プロデューサーたちが大活躍して、多くのバンドやユニット、ソロシンガーたちが次々とメガヒットを飛ばした。そんな群雄割拠の “戦場” に、新人アイドルたちがマーケットを持てる余地はほとんどなかった。

ならば、その時代、オンタイムで活躍したアイドルは全くいなかったのかというと、それも違う。あくまで音楽面で正統派のアイドルが苦境を強いられたという話。では、音楽以外でアイドルたちはどんな活躍を見せていたか――。

最も輝いたのは、“CMアイドル” だろう。その開拓者が宮沢りえで、アイドル冬の時代が訪れる直前の1987年、「三井のリハウス」で “白鳥麗子” を演じてブレイク。以後、バラエティやドラマ、音楽へと芸域を広げた。

また、牧瀬里穂も89年のJR東海「クリスマス・エクスプレス」で一躍、時の人に。観月ありさも レナウン「スコレー」で注目され、この3人をローマ字表記の頭文字から「3M」と呼ぶこともあった。そこから少し遅れて「ポカリスエット」でハネたのが、一色紗英である。

その他にも―― これもアイドル冬の時代の直前から始まった現象だが、井森美幸、山瀬まみ、森口博子らは “バラドル” と呼ばれ、バラエティ番組を舞台に大活躍した。また、90年代初頭には、グラビアモデル出身のアイドルも注目され、飯島直子や細川ふみえ、かとうれいこらは “グラドル” と呼ばれて人気を博した。ちなみに、この2つの系譜が融合して、2000年代以降、女性タレントのスタンダードモデルとなる。その代表格がイエローキャブや小倉優子だ。

「悪魔のKISS」で女優魂を見せた常盤貴子


そして、忘れちゃいけないのが、90年代に黄金期を迎えるドラマでブレイクした”女優”たちである。91年、ドラマ『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)から鈴木保奈美が一躍トップ女優となり、93年にはドラマ『高校教師』(TBS系)で桜井幸子もアイドル的人気を博す。

石田ひかりに至っては、92年にNHK朝ドラ『ひらり』で主役に抜擢、翌93年は『あすなろ白書』(フジテレビ系)でヒロインを演じ、なんと2年連続で『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を務める謎の活躍ぶり(あの異常な売れ方はなんだったんでしょう?)。しかし、野郎どもをトリコにしたのは、93年の『悪魔のKISS』(フジテレビ系)で女優魂を見せた常盤貴子だった。

おっと、“女子アナ” も忘れちゃいけない。こちらもアイドル不在の穴を埋めるように、80年代末から90年代半ばにかけて、フジ、日テレ、TBSを中心に多数のアイドルアナを輩出した。中でもフジの3人娘(八木亜希子・河野恵子・有賀さつき)や日テレの永井美奈子、TBSの渡辺真理らは、男子大学生たちからリアルアイドル以上の人気を博した。

ニューヒロイン、広末涼子の出現


―― 要するに、音楽番組で芽が出にくい状況の中、新しい露出の場を求めて、アイドルたちが活躍の幅を広げたのが、冬の時代のもう1つの側面だった。だが、90年代半ば、1人のニューヒロインの出現で、ようやく季節が変わる。その扉を開けた人物こそ誰あろう、広末涼子である。

奇しくも今日4月15日は、今から26年前の1997年に、彼女のデビューシングル「MajiでKoiする5秒前」がリリースされた日。ティーンエイジ・ラブを歌い、オリコンシングル最高2位となり、60万枚を売り上げた。紛うことなき正統派のアイドルだ。

少々前置きが長くなったが、今回は、シリーズ企画「新・黄金の6年間」における広末涼子物語である。

広末家は代々続く高知の名家


広末涼子―― 1980年7月18日、高知県生まれ。ちなみに、生まれる17日前に松田聖子が「青い珊瑚礁」をリリースして、生まれた10日後に、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で竹内まりやが山下達郎と交際宣言をした―― そんな時代である。

広末家は代々続く、高知の名家だった。実家は市内の目抜き通りに立つビルで、1階にはマクドナルドの高知1号店が入居する。ちなみに、マックが各県に進出する際、1号店はその県で最も栄える場所に出店すると言われており、それが広末家である。この話は、映画『バブルへGO!』のパンフレットを作る際のインタビューで、彼女から直接聞いたので、間違いない。

余談だが、広末サンのお父様は高校時代、高知県下でも有名なイケメンだったという。隣町からわざわざ見に来る女生徒のファンもいたほど。この話は、お父様と同級だった、高知出身の某ベテラン女性デザイナーから聞いた話である。つまり、広末サンの生まれ持った美貌は、父親譲りとも(ちなみに、NHKの『ファミリーヒストリー』に写真で登場したお母様も超絶美人でした)。

閑話休題。
広末涼子サンは、そんな美男・美女のご両親のもと、明るく健康的な少女期を過ごす。有名な話だが、小学校時代に、彼女が地元のNHK高知放送局の番組に出演した際の映像が某動画サイトに残されている。既に顔立ちが僕らの知る広末サンで、めちゃくちゃ可愛い。

ブレイクのきっかけは「ドコモのポケベル」のCM


さて―― そんな彼女の転機は中学2年に訪れる。実は、かねてより芸能界への夢を抱いていた少女は、この年、雑誌で見つけたCMオーディションに応募する。第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」だ。ここで、見事にグランプリを受賞。1994年の話である。

そして翌95年、CMがオンエアされる。覚えている方も多いと思うが、インラインスケート場で広末サンが「私に勝ったらチューしていいよ!」と、男の子たちに衝撃の台詞を吐くアレである。この時点で、まだ高知在住の中学3年生。世間的には無名だが、既に爪あとを残したのだ。

1996年3月、中学卒業。広末サンは晴れて上京し、品川女子学院高等部(通称・品女)へ入学。そして―― ブレイクする。キッカケは、かの有名な「ドコモのポケベル」のCMだった。

公園のタコのすべり台の上で、彼女が空を見上げているアレ。コピーは「広末涼子、ポケベルはじめる」。ご丁寧に名前付きで紹介され、彼女は一躍全国区になる。同CMのオンエア開始は3月だったので、まさに上京と同時に、アイドル・広末涼子がデビューしたことになる。

キムタクとの共演、初の写真集『H』と『R』を同時発売


ここからが凄い。翌4月には、あの人気の連ドラに出演して、人気に拍車がかかる。木村拓哉・山口智子主演の『ロングバケーション』(フジテレビ系)だ。広末サンが演じたのは、キムタク演ずる瀬名がピアノ講師のアルバイトをする音楽教室の生徒・貴子。瀬名に「もっといい講師が見つかるまでのつなぎ」と言ってしまう小生意気なクソガキだったが(笑)、そんな彼女にかける瀬名の言葉が抜群にいい。

瀬名「タカコちゃん、音楽って音を楽しむって書くでしょ?」
貴子「え?」
瀬名「数学とか、科学とは違ってさ。……ショパンだろうが、シャ乱Qだろうが、タカコちゃんが好きだな~っと思ったものを、楽しんでやればいいんじゃないかな」

―― ちなみに、このドラマで広末サンがピアノを弾くシーンは全て本人の演奏。高知時代に習っていたんですね。実はこのピアノの経験が、翌年の歌手デビューで大きなアドバンテージになる。

同年9月、広末サンは、初の写真集『H』と『R』を集英社から同時発売する。水着カットすらない極めてピュアな作品ながら、50万部弱を売り上げるベストセラーに。当時、彼女は雑誌の表紙を飾ると、通常号より売上が3割増しになると言われたほど――。

竹内まりやプロデュース、「MajiでKoiする5秒前」


そして、翌1997年4月15日、高校2年となった広末涼子サンは、晴れて歌手デビューする。レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。プロデュースと作詞・作曲は、同社所属の竹内まりやサン。タイトルは、当時、若者の間で流行っていたMK5(マジでキレる5秒前)を模した「MajiでKoiする5秒前」である。

 ボーダーのTシャツの 裾からのぞくおへそ
 しかめ顔のママの背中 すり抜けてやって来た
 渋谷はちょっと苦手 初めての待ち合わせ
 人波をかきわけながら すべり込んだ5分前

一聴して分かるが、60年代のアメリカのモータウンサウンド全開だ。ほら、シュープリームスの「恋はあせらず」とか、あの感じ。歯切れのいいビートに、ポップなメロディライン。歌詞は王道のティーンエイジ・ラブである。

それは、まりやサンの源流である、60年代の欧米ポップスへのオマージュであり、今日の“アイドル”のルーツとされるモータウンサウンドにインスパイアされたものだった。つまり―― 正統派のアイドルソングだった。

 ずっと前から彼のこと 好きだった誰よりも
 やっと私に来たチャンス 逃がせないの

レコーディングは思いのほかスムーズに進んだという。先にも述べた通り、ピアノが弾ける広末サンは音感に優れ、たちまち、まりやサンの意図を理解し、明るくポップに歌った。実は、この正統派アイドルという路線が最も難しい。むしろ、不良キャラや薄幸の少女といったキャラのほうが演じやすい。

元来、人は変化球を求めたがる。しかし、まりやサンは広末涼子という稀代のアイドルに、圧倒的なスター性を感じ、ど真ん中で勝負に挑んだのだ。そして、広末サンは見事にそれを打ち返した。

 “ゴメン!”と笑いかけて 走り寄るまなざしに
  Maji でKoi しちゃいそうな 約束の5秒前

“新・黄金の6年間”(1993〜98年)とは、ポピュラリティ―― ベタがウケた時代である。その意味で、変化球に逃げず、速球ストレートで勝負に挑んだまりやサンは正しかった。ある意味、かつての松田聖子サンの「青い珊瑚礁」を見るようだった。最初に扉を開ける者は、100%のアイドルソングでなければならない――。



モーニング娘。がデビューするのは、翌98年1月である。

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2023.04.15
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カタリベ
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