4月8日

アニメの新時代を切り開いた【Dr.スランプ アラレちゃん】主題歌は「ワイワイワールド」

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日本のアニメ史上に燦然と輝く3体のロボット


日本のアニメ史上に燦然と輝く3体のロボットがいる。

1体目は、『鉄腕アトム』だ。ご存知、漫画の神様・手塚治虫が生み出した大ヒットキャラクター。1963年、神様は自ら設立したアニメ制作会社「虫プロ」で、このアトムをフジテレビで週一放送の日本初の本格的テレビアニメとしてスタートさせる。同アニメはタイトなスケジュールから「リミテッド・アニメーション」なる簡易的な制作技法を編み出し、これが脚本や演出重視の日本アニメの独自の進化に繋がる。今日の “ジャパニメーション” の扉を開けたのは、アトムだった。

2体目は、1979年に登場した『機動戦士ガンダム』(テレビ朝日系)である。総監督は富野喜幸(現・由悠季)。ロボットアニメながら、骨太の脚本と魅力的なキャラクター、そして本格志向のメカニックデザイン等で、むしろ子供たちより青年や大人たちを虜にした。結果、アニメを子供向けコンテンツから、全世代が楽しめる日本の誇るサブカルチャーへマーケットを広げることに成功。いわば、ジャパニメーションの裾野を広げた中興の祖―― それがガンダムだ。

そして3体目が、1981年にアニメ化された『Dr.スランプ アラレちゃん』(フジテレビ系)である。実は、アラレちゃん以前、同作品を連載する週刊少年ジャンプは原作の改変を嫌い、連載漫画のアニメ化には消極的だった(まぁ、60〜70年代のテレビ界は原作改変の常習でしたもんネ)。そこでフジテレビはアニメ化を固辞する集英社サイドと協議を重ね “原作に忠実” に制作することを約束。結果、最高視聴率36.9%と大ヒット。「アラレ」語は流行語となった。

ジャンプから生まれた世界に誇るジャパニメーションのヒットコンテンツ


そして―― アラレちゃん以降、ジャンプ作品のアニメ化は定番化して、『キン肉マン』『キャプテン翼』『北斗の拳』『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『ONE PIECE』『鬼滅の刃』等々、世界に誇るジャパニメーションのヒットコンテンツの流れができたのである。その礎となったのが、アラレちゃんだった。

そんな次第で、今回はその歴史的アニメ――『Dr.スランプ アラレちゃん』を取り上げたいと思う。そもそも原作の漫画はいかにして生まれ、アニメ化に繋がったのか。主題歌をはじめ、キャラクターやストーリーの肝はなんだったのか。しばし、お付き合いのほどを――。

80年代の幕明けと共に産声を上げた伝説の作品


リマインダー世代には改めて説明するまでもないが、原作は『Dr.スランプ』と、タイトルに “アラレちゃん” が付かない。作者は、これが連載デビュー作となる鳥山明先生。時に1980年1月―― 週刊少年ジャンプの新年号にて、文字通り80年代の幕明けと共に、伝説の作品は産声を上げた。

驚くことに、鳥山先生はデビュー時からバツグンに絵が上手かった。普通、漫画家のデビュー作なんて、コミックの1巻を見返すと、正直下手っぴで(まぁ、それはそれで味があっていいんだけど)、そこから画力がグングン上がるもの。それに反して、鳥山先生は連載第1回のタイトルカットから完成されていた。

ググれば見られると思うけど―― それは、則巻千兵衛の顔のアップに、アラレちゃんが顔によじ登って遊んでいる1カットのイラスト。もう、完璧にアメコミ(アメリカンコミックス)風のタッチなんですね。バタ臭くて、リアリティもあって、ポップ。当時、日本の若者たちは、1976年創刊の『POPEYE』の影響で西海岸ブーム真っ只中。まさに、時代の最先端を行く画風だった。



Dr.マシリトのモデルにもなった稀代の名編集者


ここで、鳥山先生の簡単なプロフィールを。生まれは1955年、愛知県は名古屋市の出身。子供のころから絵を描くのが好きで、小学校時代はコンクール入賞の常連だった。尊敬する人物は手塚治虫とウォルト・ディズニー。高校は、工業高校のデザイン科に進み、卒業後は地元の広告代理店にデザイナー枠で就職する。しかし、サラリーマン生活が肌に合わず、2年半で退職。ある日、喫茶店で偶然手にした少年マガジンで新人賞募集の記事を見つけ、賞金50万円に惹かれて人生で初めて漫画を描き始める――。

―― が、作品は完成するも、締切に間に合わず。仕方なく、毎月新人賞を開催していた週刊少年ジャンプに投稿したところ、選外ながら、その画力が1人の編集者の目に止まる。「内容はダメだが、絵に才能を感じる」―― 彼の名は鳥嶋和彦。後に『Dr.スランプ』に登場する悪の科学者、Dr.マシリトのモデルにもなった稀代の名編集者である。1978年1月のことだった。

「とにかくたくさん描けば、そのうち芽が出る」―― 担当の鳥嶋サンに言われるままに、鳥山先生は漫画を描き続けるが、ここから『Dr.スランプ』に至るまで、今や伝説とされる500枚ものボツ原稿を重ねる。その間、1978年の週刊ジャンプ最終号で読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューするも、読者アンケートは最下位と、連載開始には至らなかった。

翌79年半ば、ボツ原稿を重ねるうち、次第に『Dr.スランプ』の基本コンセプトが固まる。タイトルから分かる通り、主人公のマッドサイエンティスト(自称天才博士)の則巻千兵衛が毎回、珍発明で失敗する話だった。しかし、これに担当の鳥嶋サンが異を唱える。実は当初、少女アンドロイドのアラレは第1話のみ登場するイチ発明品に過ぎなかったが、これを2話以降も出して、アラレを主人公にしろ、と。鳥山先生は抵抗するが、2人は賭けをする。鳥嶋サン曰く「女の子が主人公の読み切りを1本描いて、読者投票で3位以内に入ればアラレを主人公に。4位以下なら博士のままで」――。

それが、79年8月のジャンプ増刊号に掲載された『ギャル刑事トマト』である。結果は―― 3位。この瞬間、アラレが主人公のフォーマットが固まった。しかし、タイトルは鳥嶋サンが「主人公が博士と誤解される」と反対するも、鳥山先生が固辞。ここに、正式に連載デビュー作『Dr.スランプ』が決定する。そして、翌80年の新年号の連載スタートに向けて、更にブラッシュアップを重ねる。あの完成されたアメコミ風のタッチは、2年にも渡る漫画家と担当編集者の格闘の産物だったのだ。



アラレちゃんの破天荒でキュートなキャラクター性


さて、ここから先は、同作品のアニメ化に至る話である。連載開始からブレイクに至るまで、さして時間はかからなかった。ハイブロウなアメコミ風タッチ、キレとスピード感のあるギャグ、そして多彩なキャラクターの魅力。当時、リアルタイムで読んでいた僕も、何かすごい連載が始まったとゾクゾクしたのを覚えている。

最初に人気に火が着いたのは、鳥嶋サンが読んだ通り、アラレちゃんの破天荒でキュートなキャラクター性だった。しかも、主要読者層の男子小中学生に止まらず、その人気は女子大生にまで飛び火する。いわゆる―― 社会現象というヤツである。当初、4等身の美少女風キャラ(メガネを外した1話は、橋本環奈ばりの美少女だった!)として描かれたアラレちゃんは、女子人気が高まるにつれ、次第に2.5等身のマスコット風キャラに変貌した。

この人気にいち早く気付いて、連載開始から間もない頃にアニメ化の企画書を書いたのが、アニメ制作会社の東映動画の入社1年目の新人、後にアニメプロデューサーの第一人者となる高橋尚子サンだった。アラレちゃんの女子大生人気に、年齢が近い彼女が共鳴したのは必然だった。実は当初、その企画書は、テレビ朝日から『一休さん』(テレ朝系)の後継番組として、同アニメを制作していた東映動画に打診され、候補の1つとして提出されたものだった。

テレ朝側は好感触を示した。しかし、冒頭で記した通り、少年ジャンプサイドが難色を示し、この企画は立ち消えになる。そんなある日、東映動画の今田智憲社長(当時)が、ふとしたことから高橋サンの作った企画書を目にしたところ、彼女のお気に入りのコマのコピーがたくさん貼られた、その企画書の異様な熱量にくぎ付けになる。早速、原作を読んでみると、これが面白い。

そこで東映動画は、この企画をフジテレビに持ち込んだ。時に、1980年のフジは「第二の開局」と言われる大転換期。鹿内信隆社長(当時)のご子息の “ジュニア” こと鹿内春雄サンが事実上のトップ(代表取締役副社長)に就任し、制作局を復活させたり、若干42歳の日枝久サンを編成局長に抜擢したりと、社内はアグレッシブに動いていた。

これがよかった。フジはこの企画に社を上げて取り組み、日枝編成局長が集英社に日参した結果、次第に少年ジャンプ編集部が軟化する。そして、担当編集者の鳥嶋サンは、制作を受け持つ東映動画と具体的な契約の詰めの作業に入った。それは、台本の直しやキャラクターの修正要求等、漫画家サイドを守るためのものだった。ちなみに、この時の契約が、今日に至るまで原作漫画をアニメ化する際の出版業界のひな型になっている。アラレちゃんがアニメ史におけるエポックメーキングの1つに数えられるのは、そういうことである。

1981年4月8日、アニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」スタート


1981年4月8日、フジテレビ系にて水曜19時から30分の枠で、『Dr.スランプ アラレちゃん』がスタート。タイトルは、東映動画の七條敬三プロデューサーが「アラレちゃん」を提案し、ジャンプ側との折衷案で現行タイトルになった。結果的に、このタイトルで同アニメはお茶の間から “アラレちゃん” と呼ばれ、国民的人気になるが、契約書を交わした担当の鳥嶋サンは「今でも後悔している」と述懐する。連載前、あれほどアラレちゃんを推し、博士を指すタイトル『Dr.スランプ』に反対した編集者の泣けるエピソードである。

一方、主題歌については、前述の七條プロデューサーが孤軍奮闘。周囲が推すロック調の今風の楽曲に抵抗し、一貫してアニメ主題歌の大御所・菊池俊輔先生の素朴でコミカルな楽曲にこだわった。「流行りのロックは瞬間風速こそ大きいかもしれないが、長く続けるテレビ番組には向かない」―― それが七條Pの持論だった。こちらも結果的に彼の勘が当たり、主題歌「ワイワイワールド」(作詞:河岸亜砂、作曲:菊池俊輔)は4年もの長きに渡って使われ続け、子どもたちが歌う国民的アニメ主題歌になる。

 きったぞ きたぞ アラレちゃん
 キィーン キンキン
 キンキンキーン
 テケテケ テッテンテーン
 ピッピピピ プッペッポー
 ガッちゃんも

歌うは、永遠の “絵かき歌のおねえさん” の水森亜土サンに、コーラスでアニメ主題歌の縁の下の力持ち、こおろぎ'73が参加。遊び心あふれる歌詞と共に、見事に明るくポップな世界観に仕上がった。この後、アニメの主題歌は、人気ミュージシャンが歌うタイアップ路線へと傾倒していくので、同主題歌は昭和の古き良きアニソンの匂いを残す貴重なものになった。下手に流行りの楽曲に乗っかっていないぶん、今聴くと、逆に新鮮な気持ちになる。

 みんなあつまれ ペンギン村に
 どんなことが 起こるかな
 それゆけ イッシシシ おたのしみ



アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』は4年11ヶ月に渡って放映され、1986年2月19日に全243話をもって終了。最終回は視聴率27.6%と、有終の美を飾った。主題歌は、1985年3月27日から2代目となる「わいわい行進曲」にバトンタッチするが、ラスト4回は再び、初代の「ワイワイワールド」に戻った。

同枠で鳥山明原作のアニメ『ドラゴンボール』が始まるのは、この翌週である。

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2023.09.05
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カタリベ
1967年生まれ
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