8時のロッカー袋をかかえ
彼女はみんなとスタジオで別れる
少し濃いめにメイクを直し
何故か足が向くあのディスコ
頭に流れていたのは、1981年11月1日発売松任谷由実のアルバム『昨晩お会いしましょう』の中の一曲「街角のペシミスト」だった。
子供の時から何故か好きだった、力強くも寂しげなナンバー。気づけば私は22になり、平成も残り1ヶ月というタイミングにディスコへと向かっていた。それにしても、平成という時代のうちにこんな日が来るなんて、願ってれば叶うものだなとしんみり思う。
90年代の中頃に姿を消したマハラジャが、また六本木の地に復活して、足を運ぶことが出来るなんて、思ってもみなかった。
駅を出たら、近くに見える東京タワーに胸が踊った。
その日のメンバーは、私と、苗場のユーミンライブに同行してくれた相棒、アルバイト先の歌謡曲バーの同僚、プリンス好きの友達、ゴールデン街でママをしていた先輩、の5人。みんな平成生まれだ。そしてキャラが濃い。
私たちで約束したドレスコードは、バブリーファッションだ。皆、メルカリなどで手に入れた、ボディコンや、スーツや、柄シャツで着飾った。
私は母のシャネルのマトラッセを持って、祖母から貰ったジバンシィの靴を履いた。ピンクのバブリースーツを身にまとい、エルメスのスカーフを巻けば、装備はバッチリだ。
先輩は、大ぶりのティファニーのオープンハートを付けていたし、私たちのファッションは「最高」でしかなかった。
ロッカーに荷物を預け、フロアに繰り出した私たちは、慣れない雰囲気に圧倒されながらも踊り始める。じつは、私は普段クラブにも行ったことがない。誰よりもバブリーなファッションをしていったが、ハートはバブル崩壊後のウブな夜遊びビギナーでしかなかったのだ。
その日は80年代のディスコソングデーで、当時を知る世代の人達が、華麗なステップを踏んでいた。オフィス街で見かけるような大人達が、ダンサーに変身する姿は、やっぱり魅力的だった。
そんなバブルの先輩方を見ているうちに、私たちもどんどん楽しくなって、気がつけば5人全員で「お立ち台」に登っていた。
私たちはまるで80年代に行ってしまったような気分になって、「非日常」の中で頭を空っぽにして、踊っていた。
あー!! ディスコって、楽しい!!
と思った。4月から始まる新生活の不安も、将来のことも、悩みも、踊っていれば忘れられる。
刹那的な若さのエネルギーを発散させるには十分な場所だった。なるほど、大学卒業を控えた春に狂ったように遊びまくったという、バブル時代の話を聞いたことがあるけれど、その気持ちがわかる。
漠然とした不安とそれに裏打ちされた力強さに、ユーミンが歌った「街角のペシミスト」の行き場のない世界観を重ねる。
若さゆえの先を見通す力のなさや不安は、令和となった今を生きる私たちの中にもあって、それはいつの時代も変わらない。ただ、それを「不安な明日をダブルで飲み干す」と言ってしまえる当時のパワーを羨ましいと思う。
バブルから30年程立ってマハラジャで踊る楽しげな大人たちを見ると、あの時間はただ空虚なものだったのではなくて、確かに存在した素敵な時間だったこと感じさせる。
私たちは身動きが取れないような社会の中で「明日への不安」で内側から腐って行くのを感じる。それを笑いとばし、飲み干し、踊って忘れる、そのエネルギーの受け皿があった時代を羨ましく思う。
近いうちに、また5人でマハラジャに行き、友達の誕生会をすることになった。不安も、虚しさも笑い飛ばせる80年代のエナジーを、ディスコにもらいに行きたい。
2019.06.07
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