4月1日

あきない、たいくつ、遊佐未森 — 作詞家を探しもとめて大分へ

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遊佐未森のデビュー前、アーティストネームを、本名でいくか、“未森” にするかで、さんざん議論したという話をしました。要は感覚ですから議論してもしょうがないんだけどね。

そもそも名前って、変えるとしばらくはしっくりこないですよね。だけどいつのまにか馴染んでくる。“GONTITI” なんかもそうでした。“ゴンザレス三上&チチ松村” はあまりにも長すぎるので、コンパクトでキャッチーな名前を考えてくれと言われて、みんなでいろいろ考えましたが、どれもこれも落ち着かない。しょうがなくて、略して “ゴンチチ” でいいよってことになったのですが、それでも最初は変だった。でも時間とともに慣れて、やがて何の違和感も感じなくなりました。

… ってなことが当時分かっていたら、すぐに決められたのにね。

ともかく、一時が万事、大きなことから小さなことまで、外間隆史くんと私は、よく議論をしました。

今やほぼ全曲、自ら作詞作曲している遊佐ですが、当時はほとんど作らなかったし、最初は外間くんが作るという話もなかったので、詞曲を誰に依頼するかということは大きな課題でした。

工藤順子という人がいたな、とある時思い出しました。たしか下田逸郎さんからもらったんだったかな。工藤順子のアルバムが録音されたカセットテープを持っていて。1984年に発売された『茜色のカーニヴァル』という、全曲本人の作詞作曲によるソロアルバム。地味なんだけど、ファンタジックかつちょっとシュールな世界観が好きでした。その後の活動状況はまったく知りませんでしたが。

工藤さんの詞が合うかもしれないと思い、みんなも賛同してくれ、会ってみようということになりましたが… 彼女は大分に住んでいました。アルバムを発表し、NHK『みんなのうた』で歌が流れたりしたものの、本人にはアーティスト活動への強い意欲はなく、身体もあまり丈夫ではなかったので、田舎でのんびり過ごしていたのでした。

電話では引き受けてくれる確約はしてくれなかったけど、ともかく、遊佐とヴァーゴミュージック社長の坂野雄平さんと3人で、会いに行きました。

大分空港から大分市へはホバークラフトに乗るのでした。空港は国東半島の東海岸沿いにあり、大分市へは車より、別府湾を渡るホバークラフトのほうが早いからなのですが、飛行機から船に乗りつぐなんて、はるばる来たなーという気分になります。

この時が私の初大分でしたが、私はなぜかどうも大分に縁があるのです。音楽ディレクターとして担当した、山下久美子、”Killing Time” の帆足哲昭、明石百夏が大分出身。明石百夏の仕事では何度か大分出張をしましたし、デビューに至らなかったけど黒川大輔くんという人が、宮崎県出身なんだけど大分大学の学生だったので、大分に会いに行き、そして工藤さんとのこの時、とこれまで何度もホバークラフトに乗ったのですよ。

我々を迎えてくれた工藤さんは、見た目中学生(笑)。細くて小さくて、声も小さくて、でも目は大きい、聡明そうな女性でした。由布院という、やはりその時初めて訪れたのですが、有名な温泉村に案内してくれて、そこの素敵な喫茶店で、ゆっくり、たっぷり話をしました。

結局、遊佐への提供をきっかけに、工藤さんは作詞家の道を歩み始め、ヴァーゴミュージックに所属し、現在に至るのですが、それはこの由布院ミーティングから始まったのです。

工藤さんとの出会いと、どちらが先か後か忘れたのですが、外間くんも詞を作って持ってきました。いくつか持ってきたんですが、いずれも私にはいいと思えませんでした。

その頃には、ある種のファンタジー路線でいこう、という考え方は一致していたのですが、ファンタジックな詞と言ってもむずかしいものです。舞台設定はファンタジーでも、今を生きる人たちが共感できる気持ちや行動が必要です。
相変わらず、外間くんとの議論の日々が続きました。2日に一度は2時間くらい話しているような状態だったと思います。

そしてある時、彼が今度は自作曲を持ってきたのです。

外間くんは一応、“FILMS” というバンドに、キーボーディストとして少しいたこともあるようなのですが、たいして弾けないし、楽譜も全然分からないと話していたし、今までさんざん顔を合わせているのに、曲を作るなんておくびにも出さなかったので、驚きました。

そして、当然1mmも期待はなく、むしろどうやってダメ出ししようかなどと考えながら、渡されたカセットを聴いてみたら、さらに驚いたのです。

… つづく。

2019.01.26
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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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