8月29日

大喧嘩する兄弟、切っても切れないミック・ジャガーとキース・リチャーズ

21
1
 
 この日何の日? 
ザ・ローリング・ストーンズのアルバム「スティール・ホイールズ」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1989年のコラム 
フリッパーズ・ギターのデビューアルバムと渋谷系あれこれ

80'sの夏フェスはジャズフェス!盛り上がったアート・ブレイキー

部屋とワイセツと私、デペッシュ・モード「パーソナル・ジーザス」

ドリカムの直球ストレート「うれしい!たのしい!大好き!」恋に恋するバラ色世界

ドリカム「うれしはずかし朝帰り」から始まる “シン・EPICソニー” の歴史

工藤静香の終わりなき旅、黄砂に吹かれるトサカ前髪

もっとみる≫



photo:rollingstones.com  

僕がザ・ローリング・ストーンズに夢中になっていた80年代半ば、ストーンズは分裂状態だった。というのも、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの関係が、これまでにないほど険悪な状態にあったのだ。

最初にそんなニュースを耳にしたのは、1985年にミックが初のソロアルバム『シーズ・ザ・ボス』をリリースした時だった。なにやらソロ活動に熱心なミックにキースが腹を立てており、そんなキースにミックも腹を立てているということだった。

実際はもっと複雑にこじれていたのだと思う。でも、どうせ兄弟喧嘩みたいなものだろうと、僕は気にしなかった。ただ、その年の夏に行われた『ライヴエイド』で、同じ会場にいながら一緒のステージに立たなかったことは、今にして思えば象徴的な出来事だった。

1986年の春、ストーンズはニューアルバム『ダーティ・ワーク』をリリースする。それは僕が発売日を指折り数えて購入した最初のストーンズのレコードだった。キース・リチャーズ主導で制作され、スリリングなギターにミックの怒り狂うようなヴォーカルがぶつかる様は、まるで喧嘩でもしているかのようだった。

アルバム完成後、キースはすぐにでもツアーに出ようと考えていたが、ミックがそれを拒否。この頃からふたりの不仲説が、より高い信憑性をもって耳に届くようになった。ミックのソロツアーの噂が流れてくると、「もし俺たち以外とツアーに出るようなら、あいつの喉をかき切ってやる」というキースの怒り心頭なコメントを読んだのも、確かこの頃だったと思う。中には「ストーンズ解散!」の見出しを掲げた新聞もあった。

ますますストーンズの魅力にはまっていた僕は、そんなニュースを淋しく感じながら、オリジナルアルバムを順番に聴いていく毎日だった。

だから、1987年の秋にミックが2枚目のソロアルバム『プリミティヴ・クール』をリリースしたときは、さすがに手放しでは喜べなかった。「もしソロツアーに出るようなら、あいつの喉をかき切ってやる」というキースのコメントを思い出し、「やりかねない」と思った。すると、ミックが地域限定ながらツアーに出てしまったので、僕はミックの身を本気で心配することになった。それでも、1988年の春に実現したミックの来日公演は嬉しい誤算だった。

そして1988年の秋、遂にキースまでがソロアルバム『トーク・イズ・チープ』をリリース。しかも、これが本当に素晴らしいアルバムで、僕は嬉しい反面、いよいよストーンズは終わりだと腹をくくらざるを得なかった。「俺のやることには、あんなに怒ってたくせにな」というミックの辛辣なコメントを読んで、その通りだと思った。そして、もう駄目だろうと。

ところが、この時を境に長かった不仲期間は雪解けを迎えることになる。キースがフロントマンとして自分のバンド=エクスペンシヴ・ワイノーズを率いたことが、ミックの気持ちを理解する一助になったと言われている。実際はそんな単純な話でもなかろうが、長いトンネルを抜けるきっかけにはなったのかもしれない。

1989年に入ると、ミックとキースは、ストーンズのニューアルバム『スティール・ホイールズ』の曲作りのため、バルバドス島で待ち合わせ、再会する。ふたりがギターを持って向き合い笑っている写真を見た時は、どれほど胸を撫で下ろしたか知れない。

多分、もっと早く仲直りすることはできたはずだ。でも、80年代を通じて険悪な関係にありながら、結局その絆が切れなかったという事実は、ふたりにとって大きいのかなと思ったりもする。あれはあれで必要な時間だったのだろう。

とはいえ、ファンにとっては本当に長かった。だから、1989年の夏にスタートしたスティール・ホイールズ・ツアーでの世界的なストーンズフィーバーは、ファンの安堵と歓喜の気持ちの表れだったと思う。そして忘れもしない1990年2月の初来日公演。東京ドームがあれほど揺れたと感じたのは、後にも先にもあのときのストーンズだけである。

最後に2010年に出版されたキース・リチャーズの自伝『ライフ』から、少し長い引用にはなるけれど、この美しい言葉を紹介したい。

「ミックと俺とはもう友だちじゃないかもしれない。そう呼ぶにはいろんなことがありすぎた。それでも、兄弟のなかの兄弟、切っても切れない仲だ。あんな昔から続いている関係をどう表現すりゃいい? 親友は仲良しだ。しかし兄弟は喧嘩する。俺は完全に裏切られた気持ちだった。だが、今俺が書いているのは過去の話だ。遠い昔に起こったことだ。だから、俺の聞こえるところじゃ、他の誰にもミックの悪口は言わせない。そんなやつがいたら、俺が喉をかき切ってやる。」

やりかねない。あのときミックが喉をかき切られなくて本当によかったと思う。

2018.08.17
21
  Spotify
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1970年生まれ
宮井章裕
コラムリスト≫
17
1
9
7
8
偉大なるパロディ「ラトルズ」を見ずしてビートルズは語れない!
カタリベ / DR.ENO
13
1
9
8
8
それが音楽の魔法、時の流れに左右されることのないアーマ・トーマス
カタリベ / 宮井 章裕
27
1
9
8
1
1981年秋冬の全米ビルボードチャート、歴史に残る熾烈な首位争い!
カタリベ / 宮井 章裕
65
1
9
8
1
スタート・ミー・アップでわかるミック・ジャガーの商才と商魂
カタリベ / 中川 肇
25
1
9
8
1
イアン・スチュワート、ストーンズから外された愛すべきブギウギの名手
カタリベ / 宮井 章裕
86
1
9
8
6
ポールがバック!? デヴィッド・ボウイとミック・ジャガー幻の共演ライヴ
カタリベ / 宮木 宣嗣