理想のボーイフレンド、千里くん。そんなイメージの彼が『未成年』に続いて85年の暮れに出したアルバム・タイトルは、『乳房』だった。当時私はある音楽雑誌の編集部に席を置かせてもらっており、編集会議で担当者がそのタイトルを発表したときの「え?」という空気を覚えている。「乳房です。にゅうぼう」と彼は念を押すように言った。
レコード会社の担当者もよく踏み切ったと思う。おそらく会議では上司の猛反対にあったのではないか。『WAKU WAKU』『Pleasure』『未成年』と来ての『乳房』。そのせいかどうか知らないが、チャートでは13位にとどまった。勝手に出来上がっていく自身のイメージに対する抵抗。年にアルバム2枚という旺盛な制作欲にも驚く。
ポップで、でも誰にも似ていないメロディ。歌詞はリアルでロマンティック、そしてセンチメンタル。そんな中にも時折ふいに対象を突き放したり関係を躊躇なく絶つ冷たさがあり、うかつには近寄れない怖さも感じていた。ライブはとことん派手。ダンサーを従え、衣装替えも多く、いつしか男版ユーミンと呼ばれるようになった(しかし本人はユーミンのアルバムは『サーフ&スノウ』しか持っていない、と当時のインタビューで言っている)。NYレコーディングの9thアルバム『APOLLO』は、初のチャート1位を獲る。アジカンのゴッチが10代のときよく聴いたアルバムとして「名盤、くっそ名盤」と今も言うこの作品のリリースは90年9月21日。
バンドブームの荒波にすっかり呑まれていた私にこのあたりの記憶はない。たぶんライブにも行かなくなっていたと思う。私の中の “千里くん” はその少し前で歩を止めていた。
2003年2月、“LIVE EPIC 25” というイベントが代々木体育館と大阪城ホールで開催された。エピック創立25周年を祝うとともに、その立役者、ソニー丸山茂雄氏の功績に敬意を表するため、80年代のエピックを彩ったアーティストたちが大集合した。活動休止中だった大沢誉志幸の登場、バービーボーイズの再結成。岡村靖幸が出るのではないか、という噂もあった。そんな豪華メンバーにはさまれての大江千里に私はさほど期待をしていなかった。
1曲目は「YOU」。そしてこんなMCをした。デビュー当時、大量の色紙にサインするため会議室に夜まで缶詰になっていたら、直接関係のない社員も終わるまで皆待っていてくれたこと。あの頃は毎日が部活みたいで本当に楽しかったこと。そして今日の自分は85年の自分であること。曲は「十人十色」と「REAL」。誰もが知るヒット曲を歌わず、43歳の大江千里が広いステージを笑顔で走り、“千里!” のコールを煽る。私はいつの間にかぼろぼろと泣いていた。
あれは何故だったんだろう、と今も考える。ただただまぶしかったのかもしれない。20年前の “千里くん” が。20年前のなにもかもが。ほとんどのアーティストが成長や変化を提示する中、そんなパフォーマンスをすることを選んだ大江千里を、私は心から讃えた。くもりのないポップスは時に罪つくりだ。取り返しがつかない物事の大きさを思い出させてくれる。今はNYでジャズ・ピアニストとして活動している彼にタイムズスクエアの雑踏でもしもばったり出くわしたら、私はなんと呼びかけるだろうか。
2016.09.16
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