1989年夏、4週間の語学研修ツアーに乗っかって、私はガトウィック空港に降り立った。初めての海外旅行はロンドンだった。
ロンドンに着きしばらくして、近々ペット・ショップ・ボーイズの凱旋公演が郊外のウェンブリー・アリーナで行われると聞き、チケットを買っていそいそと出かけた。
そして、ライブは厳かに始まった。
渡英直前に、彼らの初来日公演に行ったばかり。音楽もさることながら、その時のゴージャスでてんこ盛りのステージングに私は激しく魅了されていた。舞台仕立ての構成で、曲順も演出も決まっているので、「日本公演と一緒でしょ」と、どっしりと落ち着いて観ていたのだが…
え! 何これ!?
観客のノリが全然違うじゃん!
多くの海外アーティストが「日本のファンはみんなおとなしいね」と言う理由がよくわかった。なぜなら、英語圏のファンはみんな一緒に歌えるから。そうじゃなければ、よほどの大ファンじゃないと歌えない。それほど言葉の壁は厚いのだ。私はその一体感に嫉妬した。
そして、クリス・ロウが大好きだった私にとって、もっと許せないことが起こった。彼は「パニナロ」という曲でボーカルを取り、日本公演のステージではただぎこちなく踊っていたのだが、そのときはクイクイッと尻を振ったのだ。ファンサービスなのか? 非常にリラックスしたムードである。
全体的にホームのノリ… アウェイじゃない。
ファンも「お帰り、ニール&クリス!」、二人も「ただいま!」という雰囲気。めっちゃ悔しい。何でアタシ日本人なの!?
私は決意した―― 海外アーティストのライブに行っても全曲一緒に歌えて、MC で何言ってるかわかるくらい英語を勉強する!
というわけで、その9年後に学生としてイギリスに渡り、英語を勉強したはずなのだが、今でも相変わらず一緒に歌えないし、MC で何を言っているかもまったくわからない。
その頃は、彼らのサードアルバム『イントロスペクティヴ』からのシングル「イッツ・オーライト」がリリースされたばかり。ハウスミュージックがヨーロッパを席巻しており、この曲もシカゴハウスのアーティスト、スターリング・ヴォイドのカバーである。
ダンサブルなサウンドに乗せたとてもシンプルな歌詞は、世界中のさまざまな問題を憂い、だけど「大丈夫でありますように。音楽が永遠に流れる世の中でありますように」と祈っている。ベルリンの壁が崩壊したのは、私がイギリスから帰ってきて間もない頃だったと思う。他にも心配事がたくさんあったけど、すべてが今大丈夫になったとは到底思えない。
最近、38度線上で手をつないで行ったり来たりした二人を見て、あのとき自分がロンドン郊外のグリニッジ天文台で、子午線を跨いだ写真を撮ったときのことを思い浮かべた。文字通り世界を股にかけた、誇らしい瞬間だった。
ところで、赤ちゃんがたくさん出てくる「イッツ・オーライト」のミュージックビデオを YouTube で観ていたら、こんなコメントに出会った。
「この赤ちゃんたちももう28歳くらいだけど、まったくオーライト(大丈夫)じゃないよね」
オバサンももう50歳くらいだけど、個人的にはまったくオーライトじゃない。だから「学生のうちに死ぬほど勉強しなさい」と、子午線の上で喜んでいたハタチの私に言えたらどんなにいいだろう。
だけど、今も音楽を聴かない日はないし、言葉の壁は厚くても、音楽はボーダレス。そして、それすら楽しめない人たちも世界中にたくさんいる。
誰もが心から音楽を楽しめる日が、いつか来ますように。
2018.07.10
YouTube / VivaLeeGore
YouTube / PetShopBoysParlophone
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