女子同士の友情テーマソング「元気を出して」
1987年。私は、学区内で男女交際率No.1といわれる高校に入学した。
その学校は、男子よりも女子の人数が多く、ひと学年11クラス中に1クラスだけ、通称 “女クラ(ジョクラ)” と呼ばれる男子不在の不憫なクラスが存在した。これから始まる花の高校生活、入学式のいざ当日、私の名前は見事にその「女クラ」の欄に書かれてあった。
「こんなはずでは…」
女子校でもないのに、女子ばかりが47人並ぶ教室には、落胆の空気が立ち込める。だが、そのやり場のない共通の思いは、やがて選民思想にも似た団結力となって、女子同士の友情を厚く育んだ。
誰かが暗い顔をしていれば、みんなで励ます。失恋ともなれば、なおのこと。かの名曲、竹内まりや「元気を出して」は、そんな女クラの恰好のテーマソングとなった。
その夏リリースのアルバム『REQUEST』をカセットテープにダビングし、各々でコーラスパートを練習する。もしも誰かが振られたときには、すぐに出動できるように…。
気品ある聖母感、アルカイックスマイルを浮かべるまりや様
涙など見せない 強気なあなたを
そんなに悲しませた人は 誰なの?
この曲は、ジェームス・テイラーとの離婚により憔悴してしまったカーリー・サイモンの姿に、竹内まりやが心を痛め、それを励ます気持ちで書かれたという。
先に発表された薬師丸ひろ子『古今集』でのアレンジとは違い、セルフカバーでは山下達郎が新たに編曲を施し、アコースティックギター1本のフォーキーなイントロではじまる。巷で電子音にまみれた音楽が横行していく中、この繊細なギターの音色はむしろ新鮮に私の耳に響いた。
終りを告げた恋に すがるのはやめにして
ふりだしから また始めればいい
幸せになりたい 気持ちがあるなら
明日を見つけることは とても簡単
疲れた心を、やさしくノックするようなBメロ。前向きなこの歌詞を受け入れられるまでは、きっともうすぐ。竹内まりやが作るメジャーキーの曲には、アメリカンポップス由来の温かみと、気品ある聖母感が共存する。この曲では特に、アルカイックスマイルを浮かべるまりや様がそこに立ち、不出来な自分たちを窘めてくれているように思えた。
気分を変えさせてくれるCメロ、その不思議な力の正体は?
少しやせたそのからだに
似合う服を探して
街へ飛び出せばほら みんな振り返る
恋を失うと人は、どん底の劣等感に苛まれる。そんな中、服を選んで街へ出ろとは、なかなかハードルが高い。
だが、このCメロには不思議な力がある。気分を変えさせてくれる何かがある。その正体は「街へ飛び出せばほら」の、C から E♭ へのキーの転調だ。この “短3度上への転調” は、パッと景色が変わるような開放感を与えてくれる。
その昔、ニール・セダカが歌った「雨に微笑を(Laughter In The Rain)」には、“突然の雨で傘もなく身が凍えそう。だけど、彼女の手のぬくもりがあれば笑顔が溢れて幸せさ” という、なんともラブリーな描写の歌詞があった。この曲では、彼女の手が重なった瞬間に転調のスイッチが入る。
Oh, I hear laughter in the rain
美しいサビのメロディーとともに世界がガラリと変わる。暗い雨雲の中に射す、ひとすじの光。ニール・セダカは、この転調で長年の低迷期さえをも覆した… こちらも、F から A♭ への “短3度上への転調” だ。
さらに背中を押してくれ2度目のCメロ
話を「元気を出して」に戻そう。
チャンスは何度でも 訪れてくれるはず
彼だけが 男じゃないことに気付いて
再び訪れるアコギの静寂。恋という甘い受難に浸っていた過去の自分を映す音像だ。そこに突如、力のあるドラムの8つ打ちが再び心の扉をノックする。開かれた隙間から吹き込むのは、ハモンドオルガンの優しい温風。
あなたの小さな mistake
いつか想い出に変わる
大人への階段を ひとつ上ったの
さらに背中を押す2度目のCメロ。魔法の転調で階段を上ってしまいたい。小学生の頃に耳にした “大人の階段” には、確か上りしかなかったはずだ。だが、高校生になった私は既に知っていた。本人は上っているつもりでも実は下りの階段というものがあることを…。
それは、思い上がりや、勘違い。そう、M.C.エッシャーの画集で見たあの階段のように。果たしてこのまま、まりや様を信じて良いものだろうか。
そこで放たれる7発の出陣合図。ッダダダ ダダダダ、高揚に後押しされて、キーはさらに1音上昇。全ての迷いは、ここで完全に打ち砕かれる。
なんという肯定感、そして3声が織りなす至極のコーラス
人生はあなたが 思うほど悪くない
早く元気出して あの笑顔を見せて
なんという肯定感だろう。そして、ここからあのコーラスがはじまる。竹内まりや、山下達郎、薬師丸ひろ子の3声が織りなす至極のコーラス。中でも、薬師丸ひろ子によるソプラノパートがひときわ美しく、より厳かな響きへと高めていく。これはもうコーラスの域を超え、祈りを捧げるコラールだ。リピートごとに全身が浄化され、胸が熱くなっていくのをとても止められない…。
私の2年越しの片想いが終わった冬の日、やはりこの歌は聴こえてきた。女性3声のコーラスを連れて。
■ 竹内まりや:Vocal & Background Vocals
■ 山下達郎:Acoustic Guitar, Hammond Organ, Percussion & Background Vocals
■ 青山純:Drums
■ 伊藤広規:Electric Bass
■ 佐藤博:Acoustic Piano
■ 浜口茂外也:Percussion
■ 薬師丸ひろ子:Background Vocals※2018年11月24日に掲載された記事をアップデート
2020.08.12