4月11日
ポール・マッカートニーのテクノポップ、YMOとジョン・レノンを動かした問題作
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ポール・マッカートニーのシングル「カミング・アップ」がリリースされた日
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It was 40 years ago today.
40年前の今日、1980年(昭和55年)4月11日、イギリスでポール・マッカートニーのシングル「カミング・アップ」がリリースされた。
10年振りのソロアルバム『マッカートニーⅡ』からの先行シングルであり、この年1月のポールの日本での大麻所持による現行犯逮捕及び日本公演中止以降初めての新曲でもあった。話題性も手伝ってか、イギリスでは最高2位を記録している。
3日後の4月14日、アメリカでもシングルがリリースされ、こちらはビルボードで6月に3週連続1位に輝いている。しかしこちらのクレジットはポール・マッカートニー&ウイングス。そして曲も前年12月のグラスゴーでのウイングスのライヴヴァージョンだったのである。
テクノポップ勃興期、シンセサイザーを大胆に導入
『マッカートニーⅡ』は、10年前の1970年にビートルズ解散と同時に発表された『マッカートニー』同様、ポールが一人で全ての楽器を演奏し、コーラスだけ妻リンダが参加する、いわゆる宅録のアルバムであった。
レコーディングは1979年夏。ポールの日本での騒動以前に作られていた。元々リリースを想定はしていなかったそうだ。
10年前とは異なり、『Ⅱ』でポールはシンセサイザーを大胆に導入した。当時はイエロー・マジック・オーケストラが世界を席巻していたテクノポップ勃興期。新しモノ好きのポールはすかさず飛びついていた。
アルバムのオープニングを飾る「カミング・アップ」も正にこのアルバムを象徴する1曲であった。リフは主にシンセサイザーで作られていて、ポールのヴォーカルもスピードを上げエコーマシーンでイフェクトをかけられ、正に得体の知れない声に変容していた。
アメリカではウイングスのライヴヴァージョンが1位に
1979年11月から12月にかけてのウイングス3年振りのイギリスツアーで、ポールは未発表だったこの曲を一足お先に披露した。シンセサイザーのリフはギターやホーンセクションが演奏し、ポールも地声で歌った。ツアー最終日のグラスゴーでの演奏が録音され、シングルのB面に収められたのである。
ところがアメリカのラジオ局の DJ は、こぞってライヴヴァージョンの方を流した。天下の元ビートルズ、ポール・マッカートニーがテクノポップを、しかも声を変化させて歌っていることへの抵抗感は、ビートルズ解散からまだ10年しか経っていないこの頃は、今よりも遥かに強かったのではないだろうか。
その結果、アメリカではライヴヴァージョンの方が1位になったのだった。アメリカのレコード会社は『Ⅱ』にもこのヴァージョンを収録しようとしたが、ポールがさすがに拒否。このヴァージョンを収めた片面シングルがアルバムに付くことになった。
ジョン・レノンが感嘆の声を上げたポールの曲
この「カミング・アップ」を聴いて背中を押されたという人物がいた。かつてのポールの盟友であり、1980年春の時点ではまだ活動を休止していた人物。そう、ジョン・レノンである。
ジョンの晩年のアシスタント、フレデリック・シーマンの著書によると、ジョンは4月13日、ニューヨークのロングアイランドでのドライヴ中、ラジオで「カミング・アップ」を聴き、「こんちくしょう」「ポールのやつ!」と感嘆の声を上げたというのだ。この時ジョンが聴いたのは恐らくライヴヴァージョンだったはずだ。
ポールも2011年にリリースされた『マッカートニーⅡ(スーパー・デラックス・エディション)』のハードカヴァー・ブック内のインタビューでこう語っている――
ジョンをインスパイア出来た曲だから「カミング・アップ」を誇りに思っている
ジョンが復帰作『ダブル・ファンタジー』の制作に取り掛かったのはこの後の夏なので、何らかの刺激になったと考えても無理はあるまい。そしてジョン自身も亡くなる直前の『PLAYBOY』誌のインタビューで語っている――
僕が聴いたのは、ヒット曲の「カミング・アップ」で、あれはいい曲だと思った
刺激を受けたとは語っていないが、ポールへの対抗心から、仮にそうだとしても言葉には出さなかっただろう。間違いなく言えるのは、「カミング・アップ」は、ジョンが耳にし、そして認めた最後のポールの曲だったことである。
イエロー・マジック・オーケストラの「NICE AGE」にも “逆輸入”
ポールが『マッカートニーⅡ』を作るにあたり影響を受けたイエロー・マジック・オーケストラ。その YMO が1980年6月5日にリリースしたアルバム『増殖』の2曲め「NICE AGE」の間奏で、元サディスティック・ミカ・バンドのヴォーカル福井ミカが語りを入れる。
ニュース速報
22番は今日で1週間たってしまったんですけれども
でももうそこにはいなくなって
彼は花のように姿を現します
Coming up like a flower
Coming up like a flower
Coming up like a flower
Coming up like a flower
22番とはポールが日本で拘置されていた時の番号。英語の部分はずばり「カミング・アップ」のサビの歌詞。日本語の部分の最後の行はその訳。なんと「カミング・アップ」が “逆輸入” されていたのだ。
ポールに影響を与えた YMO も、ポールのテクノポップには少なからず驚かされたのではなかろうか。
ジョン・レノンと YMO を動かしたといっても過言ではない「カミング・アップ」。この曲が収められた “問題作”『マッカートニーⅡ』については近々、稿を改めて。
2020.04.11
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