ポール・マッカートニーの宅録シリーズ「マッカートニー」
ポール・マッカートニーの曲名に “deep” という語が使われたのは『マッカートニーⅢ』の2曲が初めてではないか。そしてこの事実が今作がどのようなアルバムなのかを雄弁に物語っていると僕は思う。
今日、ポール・マッカートニー2年3か月ぶりのオリジナルアルバム『マッカートニーⅢ』がリリースされた。全楽器をポール1人で演奏しプロデュースもポールが行った宅録アルバムであり、新型コロナ禍のロックダウンが無かったら作られていなかった1枚である。
宅録の『マッカートニー』シリーズとしてはリマインダーでも今年2回にわたって取り上げた1980年の『マッカートニーⅡ』以来実に40年ぶり(
『テクノに大胆アプローチ! 宅録アルバム「マッカートニーⅡ」のブッ飛んだ魅力』、および
『ポール・マッカートニーのテクノポップ、YMOとジョン・レノンを動かした問題作』参照)。ビートルズ脱退宣言と共に発表された1970年の『ポール・マッカートニー(McCARTNEY)』からは半世紀になる。
シリーズ過去2作のようにアットホームでラフなスケッチのような作品になるかと思いきや、趣の異なる、いい意味で緊張感のあるアルバムが届いた。
見事なオープニング、シリーズ過去2作とは違うんだという姿勢
『ポール・マッカートニー』(以下『Ⅰ』と表記)はビートルズの解散が迫っている中、『マッカートニーⅡ』(以下『Ⅱ』と表記)はポールのソロ活動でのバンド、ウイングスの活動が行き詰った中、両方とも妻リンダだけの力を借りて作られたアルバムだった。
両アルバムともリハビリとしての一面も持っていて、それゆえか『Ⅰ』には4曲、『Ⅱ』には2曲のインストナンバーが収められている。
10月21日、『マッカートニーⅢ』(以下『Ⅲ』と表記)のリリースが発表され、同時に44秒のティザー映像が公開された。そこにはアコースティックでキレのいいロックのインストが流れていて、僕は一発で胸ときめいてしまったのだが、この曲こそ『Ⅲ』のオープニングを飾る「ロング・テイルド・ウィンター・バード」であった。
『Ⅱ』のようにテクノや電子音には寄っていない。『Ⅰ』と比べても格段にキレやスケール感が増していて、言われないと宅録とは分かり辛い。今回ポールはエルヴィス・プレスリー所縁のダブル・ベースや、ビートルズがレコーディングで使用したメロトロンまで演奏している。楽器にまでこだわりを見せ、シリーズ過去2作とは違うんだという姿勢を示す意味でも、このインストは見事なオープニングになっている。ちなみに『Ⅲ』のインストナンバーはこの1曲だけである。
時代の閉塞感を捉えた「ディープ・ディープ・フィーリング」
続く4曲はミドルテンポのロックあり、アコースティックなミドルナンバーあり、パブロックありとメロディ豊かなマッカートニー印のナンバーが並ぶ。プロデュースも洗練されていて、2年前のグレッグ・カースティンプロデュースの『エジプト・ステーション』に続く作品として全く違和感がない。『マッカートニー』シリーズのチープさがないのは40年の技術の進歩の賜物なのだろうか。ポールは時にドラムスを “トカトントン” と『Ⅰ』『Ⅱ』で聴かれたチープな音でミックスし、『マッカートニー』印をわざわざ見せているような印象すら受ける。
しかしその『マッカートニー』印すら雲散霧消したように感じられるのが6曲めの「ディープ・ディープ・フィーリング」だ。
冒頭にも述べた通り “deep” という言葉を使ったポール初めての曲。なんと8分25秒にも及ぶ大作で、『マッカートニー』シリーズでは『Ⅱ』の「ウォーターフォールズ」の4分43秒を大きく上回り最長。ビートルズの「ヘイ・ジュード」よりも長いのだ。
愛についての深く揺れ動く感情の歌詞の乗ったシンプルなメロディを、ピアノやアコースティックギターをベースに、恐らくはシンセサイザーによるストリングスの音等も加わり、細かく変化を重ねながら8分半も聴かせる実験的な曲なのだが、この長さが全く気にならない。
ポールも「このアルバムで一番クレイジーな曲でお気に入り」「編集しなくてはと思ったが一気に聴けてしまったのでそのままにした」と評し、また「ロックダウンアルバムに望む曲として一番相応しい閉塞感が感じられるのがこの曲だ」とまで言っている。
そう、この曲は確実に2020年の空気を捉えている。78歳のポール・マッカートニーがまたしても時代と呼応したのだ。“deep” という言葉を体現したこの曲に、僕は瑞々しさすら感じてしまう。8分半を聴かせてしまう力業といい、僕はもう脱帽するしかなかった。
まるでコンセプトアルバムのような巧みな構成
続く「スライディン」の開放的なヘヴィロックにほっとしてしまうのは僕だけではないだろう。この流れも絶妙だ。なお、アナログ盤ではこの2曲は順番が逆でA面ラストとB面オープニングをそれぞれ飾っている。
その後ポールらしいストレートなアコギ弾き語り、やはりポールらしいポップなミドルロックを挟んで、再び “deep” の入った「ディープ・ダウン」が登場する。跳ねるミドルテンポのR&Bチューンで、恐らくはシンセサイザーによるホーンの音を始めとした電子音も使われ、ポールのシャウトはあるものの全体としては淡々と、“落ちていく、落ちていきたい” とロックダウンを想起させる歌詞が歌われる。この曲も5分52秒もあるが2020年をヴィヴィッドに描いていて飽きることなく、全く古臭さは感じられない、というかまたしても瑞々しい。
アルバムは1曲めの冒頭部分が再度登場し、’90年代にポールが作ったギター弾き語りの「ホエン・ウィンター・カムズ」のリプロダクションで終わる。この曲はアンコール的な位置づけで、アルバムの本編は前曲の「ディープ・ダウン」で終わりなのだろう。ポールの意思が伝わって来るではないか。そしてこのコンセプトアルバムのような巧みな構成も、やはり『マッカートニー』シリーズらしくないのだ。
もちろんポールのことだ、決して閉塞感だけではなく希望も歌っている。このアルバムで一番キャッチーな2曲めのアップテンポなロック「ファインド・マイ・ウェイ」では「光に向かって歩けば、闇で道に迷うことも無い」と前向きな歌詞が歌われ、「ディープ・ダウン」の前、9曲めのポップなミドルロック「スィーズ・ザ・デイ」のタイトルはラテン語の “今を生きろ” の英訳だそう。最後の曲「ホエン・ウインター・カムズ」でも「夏が終わったら飛び立ち、冬が来たら太陽を探そう」とやはりポジティブな歌詞でアルバムを締め括っている。
名作の1枚として語られるであろうアルバム「マッカートニーⅢ」
『マッカートニー』シリーズ40年ぶりの第3弾は、光と陰をコントラスト豊かに描き出した作品となった。特に陰の部分で、78歳のポール・マッカートニーがこれほど時代を捉えた作品を作るとは正直全く想像出来ていなかった。ポールのアルバムにここまで心動かされる日が再び来るとも。
それは、『マッカートニー』シリーズの過去2作があくまでもポールの個人的な苦悩から始まったのと異なり、『Ⅲ』が万人に共通する新型コロナ禍の苦悩を起点としているからでもあろう。そして配信で曲単位が聴かれる時代に、ポールはアルバム全体で味わうべき作品を作ったのだ。
40年前の1980年、1月にポールが日本で逮捕され、12月にジョン・レノンが凶弾に斃れた。あれから40年、ジョンは愛息ショーンによる秀逸なリミックスのベスト盤『ギミ・サム・トゥルース.』をリリースし、ポールは後々名作の1枚として語られるであろう『マッカートニーⅢ』を発表した。
悪夢の1980年から40年、2020年も世間的には本当に大変な年であったが、ことビートルズファンにとっては1年を耐えたご褒美の如く年末に良い作品が相次いで届いた。
2020.12.18