1997年 7月21日

KinKi Kidsサブスク解禁!山下達郎と松本隆の “作家魂” から生まれた名曲「硝子の少年」

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KinKi Kids「硝子の少年」はジャニー喜多川、松本隆、山下達郎の挑戦だった

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山下達郎と松本隆。2人の “作家魂”


フォーリーブスの時代を生きたママたちと、今のKinKiの時代を生きる娘たちが、時間を超えてつながるものを表現したかった


これは1997年7月21日に発売されたKinKi Kids(以下:KinKi)のデビューシングル「硝子の少年」の販促用パンフレットに、作曲者・山下達郎が寄せたコメントである。フォーリーブスはご存じの通り、1960年代末から1970年代末にかけて活躍。初期のジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)を支えたアイドルグループで、KinKiの2人にとっては大先輩にあたる。

また作詞者・松本隆は「硝子の少年」を書くにあたって、山下と綿密なミーティングを行っている。出た結論は、当時のインタビューによるとこうだった。

今のポップスは全体的に、デジタル化されてサバサバしている。昔のビートルズ、エルビス・プレスリーのように、詞に情感があって、胸にキュンとくる、きれいなメロディーが重なる歌に戻ってみようと思ったんです

1997年12月1日付『日刊スポーツ』より


つまりは “原点回帰” だ。正直に言うと、私は初めてこの曲を聴いたときに “古っ!” と思った。もちろん松本隆&山下達郎コンビの作品なのだし、狙ってそういう作りにしているのは明らかなのだが、にしても、である。第一、曲調は暗めだし派手には踊れない曲だ。てか、70年代歌謡じゃん、コレ。

こうなったのには理由がある。ジャニー喜多川が “この子たちは人気があるから、デビュー曲はミリオン(100万枚)ね” と要望したからだ。さらに松本&山下コンビには近藤真彦のデビューシングル「スニーカーぶる〜す」(1980年)をミリオンセラーにした実績がある。“ミリオンね” と言われたら、意地でもミリオンセラーを書かねばならない。それが数々のヒット曲を生んできた2人の “作家魂” である。

心の琴線に触れる曲を書けば、時代を越えて売れるはず


だが、当時の流行りに乗っかるのではなく、まったく真逆のベクトルで曲を創っていったヘソ曲がりっぷりは、いかにもこの2人らしい。というか、ジャニーズがよくOKを出したなと思う。実際、山下によると、ジャニー喜多川に “暗いし、踊れない” と言われ、それを聞いたKinKiの2人も不安になったそうだ。

そりゃそうだろう。当時はダンサブルな曲がヒットチャートの中心。当然、自分たちもそういう曲でバーン!と世に出ると思っていたからだ。しかし、もらったのは “ザ・70年代歌謡” 然とした曲だった。山下は不安げなKinKiにこう伝えた。“大丈夫。あなたたちが40代になっても歌える曲だから”。事実、KinKiは40代後半になった現在もこの曲を大事に歌い続けている。

“心の琴線に触れる曲を書けば、時代を越えて売れるはず” という松本と山下の自信。作家を信頼してGOを出したジャニーズ。曲に込められた松本と山下の思いを汲み取って、みごとに表現してみせたKinKi Kids。「硝子の少年」はミリオンどころか、最終的に200万枚を突破するWミリオンヒットになった。



ともに18歳。まさに満を持してデビューしたKinKi Kids


ところで、1997年のCDデビュー時、ともに18歳だったKinKi Kids。ジャニーズ事務所に入所したのはもっと前、1991年のことで、堂本光一・堂本剛は当時12歳だった(ともに1979年生まれ。光一は1月生まれで4月生まれの剛より学年は1つ上)。私は当初2人は兄弟だと思い込んでいて、あるとき年齢が同じと知り “ン?” となった。ならば双子のはずなのに、顔がまったく似ていない。2人はいとこでも親戚でもなく、偶然苗字が同じなだけ、と聞いてすごくビックリした記憶がある。“佐藤” や “高橋” ならいざ知らず “堂本” なんてそんなにポピュラーな苗字じゃないのに。

光一は奈良、剛は兵庫出身。どちらも関西出身なので “近畿の子” → “KinKi Kids” はいかにもジャニーズ流のネーミングだけれど、“KinKi” と響きが似た英語の “Kinky” の意味を知っていると、かなり攻めたユニット名とも言える。2人はジャニーズの秘蔵っ子として大事に育成され、テレビにもけっこう露出していながらなかなかCDデビューしなかったのは少年隊のときと同じ。これもジャニーズ流戦略で、まさに満を持してのデビューだった。

また彼らのデビュー曲は、ジャニーズが1997年に設立したレコード会社、ジャニーズ・エンタテイメント(現:ELOV-Label)の第1弾シングルに決定。ゆえに失敗は許されなかった。ジャニー氏が “ミリオンね” と言ったのはそういう意味も含んでいて、先述したように、このひと言が松本と山下の作家魂に火をつけた。

職業作詞家にとっては “冬の時代”


1980年代、松田聖子をはじめ数々のヒット曲を世に送り出した松本隆は、“次の曲が売れなかったらどうしよう” という不安と常に戦っていたという。時代が昭和から平成へと移った1980年代末、バンドブームが起こり、アーティストが自分で詞を書く傾向が強くなると、職業作詞家にとっては “冬の時代” が訪れた。

松本も例外ではなく、表舞台からはちょっと距離を置こうと決意。新たに向かったのは、能やバレエ、オペラなど伝統芸能の世界だった。松本はあるとき、シューベルトの連作歌曲『冬の旅』の終曲「辻音楽師」に共感。日本語詞を書いた際に、楽曲の世界観に励まされたという。この「辻音楽師」のストーリーを簡単にご紹介しよう。

恋人に別れを告げ、旅に出た主人公の青年は、村の外れで手回しオルガンを演奏する年老いた辻音楽師(今でいうストリートミュージシャン)に出会う。彼の演奏は誰も聴いていないし、投げ銭を入れる器も空っぽだが、かじかむ手でハンドルを回し演奏を続ける辻音楽師。自分が世界から拒絶されたと感じていた青年は、たとえ世間が注目してくれなくても、今できることを淡々と続ける老人に共感を覚え、こうリクエストする。“私の歌に合わせて、オルガンを演奏してくれるかい?”

自身も少年の心に返って詞を書いた松本隆


この「辻音楽師」に触れて “不遇のときも、自分ができることをただひたすら続けよう” と決意した松本。それからしばらくして “KinKiのデビュー曲を書きませんか?” というオファーが舞い込んで来たのである。ヒット曲作りの第一線から離れて久しかった松本は “自分はまだ、売れる曲が書けるのかな?” と不安があったという。しかも “ミリオンね” という条件付きだ。

何度も詞を書き直したが、なかなかOKが出ない日々が続いた。そんなとき、偶然つけたテレビにKinKiが登場。“あ、この子たち、ガラスの少年じゃないか!” とインスピレーションを感じると、あとは物語が滝のように浮かんできたそうだ。「♪指に光る指環 そんな小さな宝石で 未来ごと売り渡す君が哀しい」のくだりは、当時 “援助交際” が社会問題になっており、そんな風潮に一石を投じたい、という思いもあった。

KinKiを見て “この子たちなら、全世代の人たちに向けて、人間が今忘れかけている愛や夢、希望を、歌で表現してくれる” と直感し、自身も少年の心に返って詞を書いた松本。KinKiが歌う「♪ぼくの心はひび割れたビー玉さ」の説得力には驚かされたという。「硝子の少年」は、松本の作詞家人生の中でも特筆すべき曲になり、寺尾聰の「ルビーの指環」(1981年、160万枚)を抜いて自身最大のヒット曲となった。

“時代が変わろうと変わらないもの” を追求した作家2人の情熱


また山下も、自身のライブで「硝子の少年」をたびたび披露。作曲家としてのキャリアにおいて、この曲を重要な曲と位置づけている証だ。実は山下は「硝子の少年」を書く前に、KinKi向けに何曲か作曲しており、うち「ジェットコースター・ロマンス」はデビュー曲としてジャニーズ側からOKをもらっていたそうだ。この曲は1998年に3枚目のシングルとしてリリースされたが、いったんお蔵にしたのは、なんと山下自身だという。理由は “この曲じゃミリオンに行かない” と思ったから。「ジェットコースター・ロマンス」も出荷枚数は100万枚を超え、日本レコード協会からはミリオン認定されているが、オリコン調べでの売上は94.5万枚。山下の勘は正しかった。

“もう1週間、時間をくれませんか?” と山下が要望し、書き上げた「硝子の少年」。松本がKinKiの中に見出した “壊れやすい純なもの” と同じものを、山下も感じ取っていたに違いない。デビュー曲は明るくキャッチーな曲で、という常識に逆行する、切ないマイナー調の「硝子の少年」は “時代が変わろうと変わらないもの” を追求した作家2人の情熱によって、永遠のスタンダード曲になった。

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2025.05.31
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カタリベ
1967年生まれ
チャッピー加藤
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