小室哲哉も興奮したミリオンアーティスト、REBECCA誕生
80年代後半のバンドブームにおいてメジャーの扉を一番最初に開いたのは、間違いなくREBECCAだろう。
1985年11月1日発売の4枚目のアルバム『REBECCA IV〜Maybe Tomorrow~』は、オリコン週間1位を7週獲得し、売上枚数はほぼミリオンの95.6万枚。これは80年代に発売したバンド系アーティストのアルバムとしては第2位という驚異的な売上枚数だ(第1位は、90年代といってもいい1989年11月発売のプリンセスプリンセス『LOVERS』の127.3万枚)。
当時、小室哲哉は自分たちの近くにいたバンドが突如ミリオンアーティストに変貌したことに、驚きと興奮をおぼえたという。しかし当時小学生であった私には、REBECCAのブレイクポイントというのが、実はよくわからない。ある日、なんの前触れもなく現れて、気がついたら “みんなのREBECCA” になっていた、そんな印象なのだ。
突如売れだした「REBECCA Ⅳ ~Maybe Tomorrow~」
「え? REBECCAって90年代によくある、ドラマ主題歌起用で注目を浴びて、シングルが売れて、アルバムにも波及してミリオンって流れじゃないの?」
―― Wikipediaなどの情報から後追いでそう思う御仁もいるやもしれないが、実情は少しばかり違う。
1985年10月9日放送開始の日本テレビ系ドラマ『ハーフポテトな俺たち』のエンディングテーマ、オープニングテーマとしてREBECCAの「フレンズ」「ガールズ ブラボー!」がそれぞれ起用され、その2曲をコンパイルしたシングル「フレンズ」が10月21日に発売、最高3位30.7万枚を売り上げるヒットを記録。さらに2曲を収録の『REBECCA IV~Maybe Tomorrow~』が11月1日発売。この時系列はたしかに事実だ。
しかしシングルヒットに牽引されてアルバムのセールスが伸長という通常の動きではないのが、この時のREBECCAだった。簡単に言えば、『REBECCA IV~Maybe Tomorrow~』のほうが「フレンズ」よりも先に売れているのだ。『REBECCA IV~Maybe Tomorrow~』がオリコンのLPチャートの1位を獲得したのは発売わずか2週目だが、この時点で「フレンズ」はベストテンにチャートインしていない。つまりアルバムから火が付き、それがすぐさまシングルに波及したというのが、この時の実情なのだ。
ではなぜアルバムが突如ビッグヒットとなったのか、それはよくわからない。ちなみに主題歌に起用されたドラマ『ハーフポテトな俺たち』は低視聴率で半年の放送予定が3ヶ月で打ち切りとなったので、ドラマ人気の余波で主題歌が注目という文脈は、これに限っては一切ないと見て差し支えなかろう。つまり、計算しつくされたプロモーションでブレイクしたわけではないのがREBECCAなのである。
リスナーが共振、NOKKO(ダウンタウンガール)の自己主張
ではなぜ、どうして、REBECCAはブレイクしたのか、青臭いのを承知で言いたい。こんなに等身大でティーンの心をに寄り添うバンド、それまでなかったからだ、と。
REBECCAはそれまでのどのバンドとも違っていた。シンセを多用した原色の派手さを感じるポップなサウンド、野獣の咆哮のような奔放に暴れまくるボーカル、それらも充分に新しかったのだが、それ以上に強いフックとなったのが、今までにないリアルなリリックだ。
彼女の髪はブルーネット Foon
たしかにきれいだけど
それがどーしたってゆーのよ
(プライベイト・ヒロイン / 作詩:NOKKO・沢ちひろ) マニキュア指が変わったなんて
電話の声染まったねなんて
逢うたびあなたは言うけど
いいかげんにしてよ WoWo……
夢は見てるけど
おいしい話なんて乗らないわ
そんなに馬鹿じゃないわ
(ボトムライン / 作詩:NOKKO)こんなことを歌にできるのは、当時NOKKOしかいなかった。それは中島みゆきともユーミンとも竹内まりやとも違った。
さして才能があるわけでも、裕福でもない、環境やチャンスに恵まれているわけでもない。学歴も体力もルックスもすべて人並み。それでもどうにかこうにか、社会の波にもまれながらも、自分自身の人生を生きている。そんなフツーの女の子(ダウンタウンガール)の生の本音が、そこにはあった(ちなみにこの抜粋したボトムラインの歌詞の部分、男性の言葉らしきパートで、途中NOKKOが「フッ」とか「へッ」とアドリブを入れるのが、吐き捨てるように聞こえて最高だよねということを、ファンならご存じだが一応蛇足として伝えたい)。
そこにある感傷も熱情も悲しみも怒りすらも、ハイティーンからミッド・トゥエンティーの等身大であり、身近に感じるものであった。
だからきっと、REBECCAという存在を初めて知り、その歌をはじめて聴いた人の多くが「これは自分の歌だ、自分のためのバンドだ」と思ったのではなかろうか。
共に人生を生きる伴走者として、REBECCAにNOKKOに、リスナーは魂を共振した。そうでなければ、このブレイクは説明できない、と言ったら言いすぎだろうか。
不朽の名作「フレンズ」が複数形のワケは?
アルバム先行シングルにして大ヒット曲「フレンズ」、この曲をわたしは『REBECCA LIVE〜Maybe tomorrow〜』のDVD完全版(2017年発売)を見るまで解釈違いしていた。
REBECCAには「OLIVE」「CHEAP HIPPIES」「SUPER GIRL」「MOON」など、女の子同士の友情や女友達の物語を第三者視点で描いた詞が多かったので、「フレンズ」もまたそのバリエーション、つまりこれは女友達の “フレンズ” だと思い込んでいた。
違った。DVD完全版に収録のMCでNOKKOははっきり明示している。ここで描かれる “フレンズ” とは男性なのだ。それがわかった時にこの歌の印象がガラリと変わり、途端すべてのフレーズがグサグサと心に刺さった。「フレンズ」は「友達だと思っていた相手と恋に落ちてしまった」その心のいたみや切なさを歌っているのだ。
どこでこわれたの oh フレンズ
うつむく日は見つめあって
2度と戻れない oh フレンズ
他人よりも遠く見えて
(フレンズ / 作詩:NOKKO)なぜフレンズと複数形なのか、それは歌の主人公のわたしと相手の二人の友達関係を歌ったからだ。では、なぜそれは壊れてしまったのか、なぜいまは他人よりも遠くに感じるようになってしまったのか、答えはただ一つ、ふたりは恋人になってしまったからだ。
この歌の歌い出しが「口づけを交わした日は、ママの顔さえも見れなかった」である理由も、この解釈で必然であるとわかる。おそらくふたりは幼馴染なのではなかろうか、そしてママも彼のことを昔から知っているのではなかろうか。
「フレンズ」はNOKKOの初恋の記憶をモチーフに作られたという。そこにあるのは、「友達とも恋人ともつかない、曖昧な、それでいて圧倒的にかけがえのない、絶対的な存在」という思春期のある一瞬にしか存在しない崇高な関係性である。こんなテーマの詞なんてこの曲以外見たことない。感服した。もうひれ伏すしかない。どう考えても不朽の名作だ。
「フレンズ」において立ち表れる、繊細でやわらかな感受性は、「Cotton Time」「Maybe Tomorrow」でも味わうことができるだろう。
アルバム『REBECCA IV〜Maybe Tomorrow~』は、青春という名の永遠の一瞬を全力疾走するかのような名盤だ。
そこに描かれる少女の夢と現実は、時代・世代を超えていまだ多くのリスナーの心を震わす力があるとわたしは確信している。
2021年10月12日に掲載された記事をアップデート
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2023.11.04