共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol. 55
Dancing On The Ceiling / Lionel Richie
ビルボードのシングルチャートにエントリーしたヒットシングルをすべて集計して、アーティスト毎に順位をつけたデータというものが存在している。
そのデータにおいて、1980年代のソウル / R&B 系アーティストの順位を見てみると… 断トツの1位がマイケル・ジャクソン、それに続くのがプリンスと、さすがと言うか80年代の2大スーパースターの名が確認できる。そしてこの2人に次ぐ3番手に名を連ねているのが、ライオネル・リッチーなのだ。
ライオネル以上にヒット連発だったクール&ザ・ギャング、派手なスター街道を敷かれていたホイットニー・ヒューストン、最早生きるレジェンドだったスティーヴィー・ワンダーらを抑えてのライオネル! 日本に伝わってくる以上に、ライオネル・リッチーの海外でのスターっぷりは、それはそれは絶大なものがあったということだ。
実際、ライオネルがヒットチャートを席巻していたその度合いは圧巻の一言。かつて彼が在籍していた人気ファンクバンド、コモドアーズ絶頂期でさえも、比較にならないほどだ(70年代後半、彼らは “黒いビートルズ” と呼ばれていた)。
ソロデビューした81年から3枚目のアルバムを発売した86年までのおよそ6年間で、リリースされたシングルは14枚、なんとそのすべてがトップ20入りを果たしている。しかも14枚目のシングル「セラ」だけが最高位20位、それ以外の13曲はすべてトップ10入りの大ヒットを記録していたのだ――
要はデビュー1枚目から13曲連続でトップ10ヒットを放っていたわけで(その内5曲がナンバーワン!)、これはビートルズやプレスリーでさえも成し遂げられなかった、今だ破られぬ大記録である。
①「エンドレス・ラヴ」(81年9週1位)
※ダイアナ・ロスとのデュエット
②「トゥルーリー」(82年1位)
③「ユー・アー」(83年4位)
④「マイ・ラヴ」(83年5位)
⑤「オール・ナイト・ロング」(83年4週1位)
⑥「ラニング・ウィズ・ザ・ナイト」(84年7位)
⑦「ハロー」(84年1位)
⑧「スタック・オン・ユー」(84年3位)
⑨「ペニー・ラヴァー」(84年8位)
⑩「セイ・ユー、セイ・ミー」(85年4週1位)
※映画『ホワイトナイツ』
⑪「ダンシング・オン・ザ・シーリング」(86年2位)
⑫「愛に抱かれて(Love Will Conquer All)」(86年9位)
⑬「バレリーナ・ガール」(87年7位)
どうですか、圧巻じゃあないですか。男女デュエットの定番となった「エンドレス・ラヴ」、ダジャレで西友のテーマソングにもなった「セイ・ユー、セイ・ミー」あたりが最も共有感の高い作品だろうか。
「オール・ナイト・ロング」や「ハロー」といった全米ナンバーワンソングは、繰り返し地上波で PV を目にしたという方も多いかと思われるし、その他のトップ10ヒットもジャブのような有効打的役割を果たして、思った以上にライオネルの作品群は “80年代洋楽” の重要な一部を担っていたと言える。
ちなみに80年代53番目に生まれたナンバー2ソングが、「ダンシング・オン・ザ・シーリング」(86年9月2週2位)だった。
これらヒットソング群の蓄積こそがライオネル・リッチーの高い認知度の根幹になっているのだろうが、日本では案外とんねるずの石橋貴明のパロディ “ライオネル・リチオ” が効いていたのかも。
2018.08.20
YouTube / lionelrichie
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