(前篇からのつづき)
眞木準さんは、その出世作「でっかいどお。北海道」(全日空)に代表されるように、駄洒落コピーのスタイルをつくりあげたことで知られる。
それまでの広告業界では、商品をいかに美しい言葉で飾るかが大事で、70年代までは同業者に揶揄されることも、しばしばだったらしい。だが、そうした批判も「ぼくのコピーはダジャレじゃない、オシャレさ」と軽くいなす。
広告界の貴公子と呼ばれたダンディな眞木さんが爽やかに放つダジャレは、広告主へのプレゼンでいつも大ウケだったという。80年代に入ると「ボーヤハント。」(日本ビクター)、「イマ人を刺激する。」(TDK)など眞木さんのダジャレコピーは、ますます冴えわたった。このシリーズ前篇でとりあげた「高気圧ガール」も「高気圧がある」のシャレである。
一方で、眞木さんの作風は、ダジャレばかりではない。スタリッシュな言葉をちりばめたコピーは、人生や恋愛の教科書のようでもあった。
「カンビールの空きカンと破れた恋は、お近くの屑かごへ。」(サントリー)、そして名作ぞろいの伊勢丹の広告。「ダイエットには、甘い恋を。」「恋が着せ、愛が脱がせる。」「恋を何年、休んでいますか。」etc.
とくに最後のコピーは2001年10月〜TBS系で放送されたドラマのタイトルにも使われた。
眞木さんはネーミングの達人でもあった。
雑誌「AERA」は名付け親になっただけでなく、電車の中吊り広告の風刺の効いた一行コピーを最初は自ら書き、後には監修者として携わった。
そうした傑作ネーミングの一つが、バブル末期に建設計画がなされ、93年にオープンした「ららぽーとスキードーム SSAWS(ザウス)」だ。
その昔は、関東人ならおなじみ「船橋ヘルスセンター」があったとこ、今ではIKEAになっているこの場所に、高さ96m・長さ490m・幅100mの世界最大(当時)の屋内スキー場が、世紀をまたいで9年間だけ、そびえ立っていたのである。
わずか9年間の営業のために(最初から10年経ったら更地に戻す計画だったとのこと)、総建設費400億円をかけたクレージーなプロジェクト。そのネーミングを含めた広告戦略を練るため、JR京葉線の南船橋駅前に眞木さんが降り立ったのは91年のこと。
まだ何も無い、目の前に広がる広大な空き地を見ながら、眞木さんは瞑想したのだという。いわく「その瞬間に、東京湾岸に雪が降り積もって、巨大な雪の山ができるシーンが、浮かんだんだよね」
その「幻覚みたいなもの」眞木さんのイメージを手掛かりに、ネーミングのために始めたのが「ありとあらゆる辞書を読む」という荒業であった。
日本語、英語はもちろん、ドイツ語、フランス語、ラテン語、スワヒリ語と10以上の言語の辞書を、日本語なら「あ」、英語なら「A」から、最後の「ん」「Z」まで一語一語、順番にみていくのだ。
眞木さんは私に「大野ちゃん、辞書ってさ、本として読もうと思えば、読めるんだよね」と超然として語りかけられた。眞木さんは3ヶ月間、朝から晩まで毎日何時間も、ひたすら辞書をめくり続けたという。ひえーーーっ!
そうして決まった名前が Spring/Summer/Autumn/Winter&Snow 略して「SSAWS ザウス」であった。何と、最初に現場の空き地を見てから3年の月日が経っていた。
眞木さんは、ザウスのイメージと共に「湾岸スキーヤー」というキーワードを、盟友・山下達郎に渡し、CMのためだけに、最高のサウンドを創るように依頼する。当然ながら、この曲はCMサイズの60秒だったが、そのクォリティが絶賛され、後にフジテレビの1998長野オリンピックのテーマソングとして少年隊がカバーし、CD化もされた。ちなみに60秒のCMバージョンは、『山下達郎CMコレクションVoL.2』に収録されている。
眞木準さん、享年わずか60。最後の最後まで広告マンだった。亡くなる前日も深夜までスタジオ撮影に立ち会い、帰宅して夜が明ける頃に突然に逝ってしまった。ザウスの上から直滑降で滑ってきて、そのまま雪の彼方に消えてしまったかのように。
2017.06.23
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