リレー連載【グラマラス・ロック列伝】90年代 “ヴィジュアル系” とは何だったのか? vol.3
新しいアーティストとの出会いを求めて ヴィジュアル系専門の音楽雑誌『Vicious』(ヴィシャス)は、1993年に雑誌『バックステージ・パス』(B-PASS)の増刊号として創刊されました。私、井口吾郎は創刊編集長として2000年まで在籍。今回は、その創刊から “ヴィジュアルバブル” と言われた2000年頃までのお話です。
ヴィジュアルを重視した雑誌作りに関しては、元々『バックステージ・パス』の2代目編集長としてBOØWY、TMネットワーク、レベッカ、BUCK-TICKといたバンドブームの時代を体験していたので、撮影にはスタジオ、ロケ、ライブといったシチュエーションの組み合わせや、ヘアメイクや衣装を含めたアイデアと予算が必要── という基本的なところまでは理解していました。
ただ、それまではレコード会社からデビューするアーティストが中心で、取材も宣伝担当が仲立ちをする── という基本型があってのこと。それに対し、ヴィジュアル系のシーンといえばインディーズが当たり前、メンバーもしくは近隣の年長者がプロダクションを運営し、取材のブッキングも担当者を探り当てて、スケジュールや内容を詰める── というものでした。
柱となったのは “テーマ・インタビュー” ヴィジュアル・シーンではすでに先達の雑誌、『ロッキンf』『SHOXX』『FOOL’S MATE』が確固たる地位を築いており、表紙巻頭を飾るバンドもX(現:X JAPAN)、LUNA SEAといったメジャーシーンを凌駕する勢いのアーティストたちが飾っていました。3番手4番手の雑誌としては取材を申し込んでもその取材機会は乏しかった。ともかくバンドシーンに詳しいライターに話を聞き、副編集長を突撃隊長としてライブに潜り込ませ、自分はカメラマン、ライターといった制作チームを作り雑誌内容を練る── という突貫作業で発刊に向かいました。
個人的に、活字部分に関してはずっと不満な点がありました。当時の音楽誌のインタビューは大体が新作アルバムやシングルのプロモーションが中心で、もちろんその目的のために取材機会があるのですから文句を言う筋合いではないのですが、どの雑誌でも同じようなテキストだと話すバンドも飽きるだろうな── とは思っていました。
そこで “テーマインタビュー” というものを柱にしました。テーマといっても大袈裟なものではなく、“眠れますか” “都市脱出” “いちばん大事” “ひとりだち” といった軽いフレーズで気軽に語れそうな内容。そうすれば雑誌前半に登場する10数のバンドが同じテーマで語ることになりそれぞれの個性や差異も出るし、話題のきっかけになる。そう、落語で言うところの “まくら” の部分です。
まあ、いわば雑談ですが、メンバーそれぞれが自由に話すことでキャラクターが浮き彫りになり、作詞作曲者にコメントが偏りがちなバンド内のヒエラルキー・バランスもフラットになる。読者に対してはよりバンドに親近感を持つポイントが増える── というアイドル誌的メリットもありました。そして、その文言は表紙巻頭を飾るメインバンドの作品の裏テーマに通じるものなので、そのバンドにとっては新作を語ることにもなる── この形は最後まで続きました。
ヨーロッパ映画のワンシーンのようなhyde 他にも、裏表紙から始まる文字組みを縦に変えた第2巻頭的な枠の設定、記事中に必ずプロフィールとライブ情報を入れ、インディーズバンドをフォローできる細かい情報掲載枠を多めに取り、その中でも魅力的なバンドは早めにカラー扱いで取り上げるという方針をとりました。
写真に関しても先達誌に比べ柔らかいテイストのカメラマンにファッション誌的な作品をオファー、もちろんハードなテイストのバンドは激しくカッコよく── という方向で撮ってもらいました。中でも創刊号(93年7月発売)で副編集長のブッキングにより作成したバンドのグラビアページに、思わずうわっと声を出して驚いたのを覚えています。
海辺を歩く男の子── なのですが、ヨーロッパ映画のワンシーンのような乾いた美しさが…。L’Arc〜en〜Cielのhydeでした。ヴィジュアルと楽曲の世界観がマッチすることで、“音楽+ヴィジュアル” という最強の組み合わせが生まれ、その一端を雑誌グラビアが担うことで読者はより深くイメージの世界に入り込んでいくことができる。
彼らにはその後Vol.4の表紙を飾ってもらい、創刊記念ライブイベント『Vicious Presents Because the Night』(渋谷公会堂)出演をオファー。翌年に開催されたVol.2のステージを撮影した映像チームの流れもあり、94年のメジャーデビュー・ビデオシングル「風の行方」のモロッコへのロケに同行取材をさせてもらいました。そうやって『Vicious』らしさを模索しながら新しい出会いを求めていったのです。
VIDEO 発刊から1年ほどで月刊発行のペースになり、掲載を希望してくださるバンドも増え編集部員も増強しました。彼ら彼女たちとバンドが互いのキャラクターを生かしたタッグチームとしてグラビア企画を競うようになり── その一方で撮影規模も海外ロケや出張密着取材、深夜撮影… など、記事制作に費やす時間や費用は加速度的に増えていきました。
ヴィジュアルで遊ぶ── そんなことを雑誌とアーティストが共有できた時代でもありました。表紙、バックカバーをそれぞれGLAYのHISASHI(アンドロイド)/ JIRO(ナチュラル)をテーマとして、HISASHIには顔面半分を機械化された特殊メイクを、 JIROには白シャツ&ジーンズにカラフルなペンキを塗りたくってもらいました。本が出た後のライヴで、そのJIROのコスプレをしたファンを見かけた時は嬉しかった。“遊び” が届いたなと思いました。
▶ グラマラス・ロック列伝に関連するコラム一覧はこちら!
2024.09.13