誰にも媚びない4人組、HARRYと蘭丸はまるで「TO-Y」
初めてストリート・スライダーズの存在を知ったのは、CBSソニー出版が出していた音楽雑誌『PATi PATi Rock'n Roll』誌上だった。87年頃、僕が中学2年生の時の話だ。以前から上條淳士のマンガ『TO-Y(トーイ)』が好きだったから、まずはそのビジュアルがドンピシャで気に入った!ボーカル HARRY とギター蘭丸の風貌は『TO-Y』に登場するカイエというキャラにそっくりだったし、誰にも媚びない4人の不敵なつらがまえは、僕のような田舎育ちの少年が連想する不良のロックンロールそのもの、という感じだった。
だが、知ったその場ですぐにストリート・スライダーズにドップリとハマって聴き始めたのかというと、そうではない。
孤高のロックンロールバンド、ストリート・スライダーズ
たかだが『ザ・ベストテン』の延長線上で音楽が好きになり、バンドブームの訪れとともにビートパンクを聴き始めたばかりのいたいけな子どもだった僕には、彼らのロックンロールはいささか重すぎた。いや、正確に言うと、ビビッてしまったのである。特に83年発表のセカンドアルバム『がんじがらめ』のラスト曲「SLIDER」のゾクゾクするスリリングなサウンドと歌詞ときたら……。
これを好きになるにはホンモノの不良になるしかないと、夢見る中二病の僕はその時思った。盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎窓ガラス壊してまわるくらいなら理解できるが、なぜそんなに不愛想なのか!? なにゆえそこまでダルそうなのか!? ストリート・スライダーズの音と歌詞には、他アーティストとは異質の不気味で不穏な不良性がねっとりと渦巻いていた。どの雑誌にも枕詞のように “孤高のロックンロールバンド” と書かれてあった。その孤高という二文字に憧れを持ちながら、彼らに近づけない中学時代を過ごした。
ブルースのノリ、横ノリの魅力、そしてインテリジェンス
潮目が変わったのは90年、僕が高校一年の時、ザ・ローリング・ストーンズが初来日公演を東京ドームで行なってからだ。来日の影響で60~70年代のローリング・ストーンズを聴きかじっていた僕は、だんだんとブルースのノリが好きになってきた。中学時代に馴染めなかったロックンロールの意味が、横ノリの魅力が、高校生になって少しわかり始めたのだ。不良カルチャーとは別の視点を持てるようになってきた。
ここにきてようやく、ストリート・スライダーズをファーストアルバム『Slider Joint』(83年)までさかのぼりつつ聴き始めた。中坊にはわからないその魅力。ちょっと大人になった気分で、ご満悦である。歌詞が文学的でシュールであることにも、遅まきながら気がついた。曲によって、歌詞にはどこか思想的・哲学的な一面もあって「そういうインテリジェンスがレッズにはない」などとレッド・ウォーリアーズ好きの友人を見下したりしていたものだ。レッズも好きでしたけどね。
大学時代には、軽音サークルに入ってすぐにスライダーズのコピーバンドを組んだ。数えきれないほどコピーバンドをやったけど、その時が最高に面白かった。阿吽の呼吸で進展する2本のギターの絡みがすこぶる気持ちがいい。こういう楽しみを今の若いバンドマン諸君にも知ってほしいなぁ。
オススメは新宿都有3号地でのライブ映像「摩天楼のダンス天国」
彼らが残したアルバムはどれもハズレなしだが、スライダーズ入門にはあえて86年の新宿都有3号地でのライブ映像作品『摩天楼のダンス天国』を推したい。このライブはマジでヤバいですよ!
昨2018年の HARRY と蘭丸のユニット JOY-POPS 復活も大盛況だったし、4人そろっての再結成を!と期待するファンは僕だけではないだろう。
それにしても、上條淳士の Twitter に HARRY(還暦!)がリツイートする時代が来るとは、夢にも思わなかったですね……。Twitter には、HARRY の優しい表情や笑っている写真が多いのも、なんだかスゴく嬉しいのです。
2019.12.10