「ジェット・ストリーム」機長に相応しいジェントルマン、城達也
遠い 地平線が消えて
深々とした夜の闇に心を休めるとき…
一瞬にして高度1万メートルの世界に誘われる『ジェット・ストリーム』のオープニングは、リマインダー世代なら誰でも一度は聴いたことがあるのではないだろうか。
今日、12月30日は最終出演回の1994年12月30日から数えて26周年なのでリマインドしておこうと思う。
『ジェット・ストリーム』は筆者と同い年。まさにリマインダー世代と共に歩み続けている長寿番組である。その半世紀以上にわたる歴史の半分以上、ほぼ四半世紀は城機長が夜間飛行をナビゲートした。
収録の時は機長という設定に入り込むため、ラジオ番組なのに必ずスーツを着用していたという。そして、美声にもかかわらずカラオケは大の苦手という記事も、筆者が中学の頃にFM雑誌で読んだ記憶がある。機長に相応しいジェントルマンでストイックな人柄がうかがい知れる。
がんと闘いながら通算7387回のフライト!最後のナレーションは伝説に…
しかし1994年、食道がんに侵されていることが判明した。闘病しながら出演は続けたものの、声は次第に変化していった。後日掲載された記事によると、声が変わっても周囲の人々はなかなか本人にそれを告げることができなかったそうだ。それだけ、城機長が番組に気持ちを込めていたということだろう。
それを聞いた当時のFM東京(現・TOKYO FM)社長が城機長のことを慮り、伝える決心をして呼び出した時、城機長の方から先に降板の意思が告げられたという。このエピソードにも城機長の思いやり深い人柄を感じる。
残念ながら1994年12月30日、通算7387回目の乗務が最終フライトになった。そして、それから2か月も経つことなく永遠のフライトへ旅立たれた。
最後のナレーション部分は伝説化していて、今でもWebやYouTubeのいたるところで見つけられる。
25年間、
私がご案内役を務めてまいりました
ジェット・ストリームは、
今夜でお別れでございます。
長い間、本当にありがとうございました。
またいつの日か、
夢も遥かな空の旅でお会いいたしましょう。
そして、城機長による最後の機内アナウンス。
では、皆様、さようなら。
よいお年をお迎え下さい。
憧れた、城達也の作り出す大人の世界
このナレーションを収録する時の城機長の思いを想像しながら、番組のアーカイブを聴き直すと胸が締め付けられるような気持ちになる。最後の「ミスター・ロンリー」のメロディをバックに、いつもと変わらない語り口なのに、いや、いつもと変わらない語り口だからこそいっそう強く感じてしまう別れの悲しみ。
これは筆者の野暮な憶測だが、城機長は自らの人生のラストフライトも近いことを知っていたのではなかろうか。
筆者は中学生の頃ハードロックを愛好していたが『ジェット・ストリーム』もよくエアチェックした。そうしたカセットテープは今でも実家の奥にたくさんしまってある。
普通のエアチェックであればDJの声は含めず楽曲のみを録音する。しかし、この番組の場合は冒頭、つまり当時は「ステレオ、トーリオー、ポーン」という時報直後から “REC” を押して丸ごと録音した。もちろん選曲も好きだったが、それ以上に城機長の作り出す大人の世界に憧れていたのだ。
月日は流れ、筆者は当時の城機長と同じ年代になった。中学の頃に憧れたあの雰囲気にはまだまだ遠い存在であることを自覚する。
さて、久しぶりに録音したカセットテープでも聴き直して、改めて城機長のダンディズムを少しでも学んでみようか。
※2017年12月13日に掲載された記事をアップデート
2020.12.30