1994年 12月31日

TBS「輝く!日本レコード大賞」制作秘話!1994年のミスチル不在で現場は大パニック

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五木ひろしと八代亜紀の大賞争い、いわゆる “五八戦争”


今年で65回を迎える「日本レコード大賞」。先日、今年の各部門賞が発表となり年末が近づいてきた。過去64回、毎年数々のドラマを生んできたわけだが、その中でもっとも有名なのが、1980年の第22回に繰り広げられた五木ひろしと八代亜紀の大賞争い、五木の「五」と、八代の「八」をとって、いわゆる “五八戦争” である。五木はその7年前「夜空」で大賞をとっていたが、八代は前年「舟唄」で大賞を逃していた。そこでこの年「雨の慕情」で背水の陣、万全の態勢で大賞獲りに臨んでいた。

一方、五木も大賞を熱望。両陣営の事務所、レコード会社あげて熱戦の火ぶたが切られた。当時私はまだADだったので、どのような票集めが行われたか知る由も無いが、”五八戦争” と語り継がれるほどの激しい戦いだったと推察される。結局、八代の「雨の慕情」が悲願の大賞を受賞、五木は涙を飲んだが、4年後「長良川艶歌」で2回目の大賞を受賞することになる。



誰もが大賞を受賞すると思っていた「川の流れのように」、しかし…


私は、1977年TBS入社の年、第19回からレコード大賞に関わってきたが、その中で、レコード大賞65年の歴史に残る大事件が2回起きている。

まずは1989年、平成元年の第31回、この年は美空ひばりの「川の流れのように」が圧倒的に大本命だった。美空ひばりはこの年6月に亡くなったが、この曲はその後大ヒット、今でもスタンダードナンバーとして歌い継がれている名曲中の名曲である。主催の日本作曲協会をはじめ、番組制作のTBSサイドも皆、「川の流れのように」が大賞を受賞をするものと思っていた。一方、対抗していたのが、Winkの「淋しい熱帯魚」だった。

誰しも「川の流れのように」が大賞だと思ってスタンバイを進める中、生放送と同時に開かれていた最終審査会で大番狂わせが起こったのである。Winkを押す勢力が最後に力を盛り返し「淋しい熱帯魚」が大賞を受賞したのだ。当時は、評論家や新聞記者以外に放送系(TBS系列の各局)の審査員が一定数居て、放送現場のプロデューサーが彼らの意見をまとめてしまった。



「淋しい熱帯魚」は、音楽番組にも数多く流れ、華やかでポップな曲調でテレビ的に盛り上がるだろうというのが勝利のポイントだったのか。確かにひばりさんが居ない状況で、大賞受賞者が出てこれないというのも考慮されたのかもしれない。とにかくこの大どんでん返しに制作現場も主催者側も大パニック。作曲家協会としては、この結末を見て、当時の音楽状況からポップス・ロックと歌謡曲・演歌は同じ土俵に立てられないとして、翌年から3年間、レコード大賞はポップス・ロック部門と歌謡曲・演歌部門という2つの大賞に分かれてしまうことになる。まさにレコード大賞史上最大の事件である。

この年は、『ザ・ベストテン』が終わり、次々と各局の音楽番組も終わっていく、お茶の間からみんなが知っているヒット曲やスターが少なくなっていった時代だ。時代も昭和から平成に変わり、バブルもそろそろ終わりに近づいている、そんな時代の変わり目であった。レコード大賞も時代の荒波の中で生き残っていくために試行錯誤が必要な時期だったのかもしれない。

ミスチルの受賞は全く想定外、現場は大パニック


もう1つの大事件が、私が番組プロデューサーを務めていた1994年の第36回に起こった。この年は大賞をMr.Childrenの「innocent world」が受賞したが、事前の下馬評では、trf(現:TRF)か、藤あや子だった。だから、ミスチルは当日出演がかなわず現場不在。過去35回、出演しない歌手が大賞を獲ったことは一度も無く、番組サイドとしては、ミスチルが受賞することは全くの想定外であった。

大みそか、これも生放送中に同時進行の最終審査会、私は事務局のプロデューサーとして審査会に参加していたが、何と大賞に選ばれたのはミスチル。出演しようがしまいが、この年を代表するのは「innocent world」だろうというのが審査委員会の総意であった。結果を現場に伝える私としては、この結果を番組制作の本部や現場に届けなくてはならない。果たしてこの結果を現場に伝えていいものか自問自答するぐらいの驚きであった。私は結果を書いた紙を、さっと本部に渡してその場に居られずすぐにその場を去った。



私の背中越しに「なんだこれはー!」という声が聞こえてくるほどの現場は大パニック。なにしろ大賞受賞者が居ないのだ。21時までの生放送で、20時過ぎからスタッフたちは、「どうもミスチルは今オーストラリアに居るらしい」という情報から、シドニーやメルボルンなどのホテルに片っ端から電話したらしい。レコード会社や事務所も受賞を想定してなかったが、結局本人たちは見つからず、レコード会社の上の人が代理受賞をして、PVを流して放送は終了した。しかし現場は混乱したが、よくレコード大賞は出来レースでしょうと言われる中、ガチでやってるという何よりの証拠であり、本当にふさわしい曲が選ばれるという権威と意義を示すことができたと思う。ちなみにミスチル本人たちも受賞したのに出演できなかったことを覚えていてくれたのか、その10年後、「Sign」で再び大賞を受賞。この時は会場のステージで最高のパフォーマンスを披露してくれた。

そういえばあのサザンオールスターズも、78年の第20回「勝手にシンドバッド」で新人賞は受賞できず、翌21回「いとしのエリー」も何の賞もなかった。その後、アルバム賞などは受賞したが、優秀作品賞などの受賞はなく、出演もなかった。しかし、2000年の第42回、「TSUNAMI」で初の大賞受賞、年越しライブの横浜アリーナから駆けつけてくれた。レコード大賞の歴史の中で、宿題だったミスチルとサザンが大賞受賞で出演。これでやっと1つのケジメがついた感じがしたものである。

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2023.12.03
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カタリベ
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