「ノックは夜中に(Who Can It be Now?)」に続き、1983年1月から4週全米 No.1に輝いた「ダウン・アンダー」は紛う方無きメン・アット・ワークの代表曲である。曲を作ったのはリーダーのコリン・ヘイ(ヴォーカル、ギター)とロン・ストライカート(ギター)。しかしこのオージーロックを代表する明るく軽やかな曲は、大ヒットから20年以上経った2000年代に思わぬ悲劇に見舞われたのだった。 そもそも “ダウン・アンダー” とは、北を上に描かれた欧米中心の世界地図でオーストラリアが “ずっと下に(南に)” あることを表す言葉。この国出身のメン・アット・ワークが愛国心を少しシニカルな形で表現した曲であった。 世界各地を旅する中で出会った人々とオーストラリアについて語ったことを歌った、謂わばロードムーヴィーの様な歌詞。ビール醸造の副生成物(酵母エキス)から作られるオーストラリアの国民食 “ベジマイト” も2番の「彼は微笑んでベジマイト・サンドウィッチをくれた」という歌詞で広く世界に知られるようになったが、生憎僕も勇気が無く未だに口にしたことは無い。 元々はギターとフルートだけのシンプルな曲にレゲエのエッセンスを加えたのはプロデューサー、ピーター・マックイアンだったそう。イギリスでも1位に輝いたこの曲は、2000年のシドニー・オリンピックの閉会式でも、再結成したメン・アット・ワークによって歌われた。 それから7年後の2007年、オーストラリアのクイズ番組で、「ダウン・アンダー」に出てくる子供の歌は? という出題がなされた。 答えは「クーカブーラ(ワライカワセミ)」。冒頭の歌詞の「Kookaburra sits in the old gum tree」という別名でも知られているオーストラリアの童謡のメロディーが、「ダウン・アンダー」のフルートのリフに使われているというのだ。確かにフルートの2小節めと4小節めは「クーカブーラ」の冒頭のメロディーに似ていなくはない。 するとこの番組の視聴者から、1988年に作者が亡くなって以降この曲の著作権を管理していたオーストラリアの音楽出版社に電話やメールで連絡が入った。その結果、2009年に音楽出版社はメン・アット・ワークに訴えを起こすことになる。楽曲発表から実に28年後の事であった。 翌2010年にメン・アット・ワーク側が敗訴。翌2011年に最高裁で上告が棄却され確定。不幸中の幸いにして遡るのは2002年まで、支払う額も音楽出版社の希望を大幅に下回り5%にはなったが、当然ながらメン・アット・ワークのメンバーへのダメージは大きかった。 2002年の再解散以降、コリン・ヘイと散発的に再結成ライブを行っていたグレッグ・ハム(キーボード、サックス、フルート)は、「ダウン・アンダー」の自らのフルートのフレーズが引き起こした裁判に胸を痛めていた。そして敗訴確定の翌2012年、心臓発作で58歳の若さで失意のままこの世を去る。グレッグの逝去でメン・アット・ワークは正式にその幕を下ろすことになった。 コリン・ヘイは敗訴した2010年に父親も亡くしている。コリンは父とグレッグの逝去の何れも裁判のストレスによると主張している。敗訴以降、コリンは件のフルートのリフを外して「ダウン・アンダー」を歌っていたらしい。かつての大ヒット曲は、20数年を経てメンバーに重い荷を背負わせることになってしまったのだ。個人的には、生前の作者が訴えなかった権利を亡くなった後に音楽出版社が主張するのは如何なものかと思うのだが。 そのコリン・ヘイがリンゴ・スター アンド・ヒズ・オール・スター・バンドと共に日本ツアーを行っている。もちろんコリンは「ノックは夜中に」と共に「ダウン・アンダー」も歌う。リンゴ達とどの様に演奏するのか、苦みが加わったであろうこの曲をしかと見届けたいと思う。 最後に余談だが「ダウン・アンダー」はアメリカ Billboard誌で3週1位を取った後、一度2位に落ち再び1位に返り咲いた。この2位の時の1位が、やはり今回リンゴと共に来日しているスティーヴ・ルカサーが率いる TOTO の「アフリカ」なのである。
2019.04.05
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