“GONTITI” その後、です。
EPICソニーと契約できたのに、2ndにして移籍第1弾アルバム『脇役であるとも知らずに』がサッパリ売れず、EPIC の担当 A&R だった小林和之氏から「次はむずかしい」と、早くも “三行半” を突きつけられてしまった、1984年初秋の “GONTITI”。
この頃たまたま進んでいたのが、私自身の勤め先の変更でした。
隠してもしょうがないので書きますが、担当していた太田裕美と結婚することになり、同じ職場の中に個人的な関係を持つアーティストとスタッフがいるのは周りが何かとやりにくいという理由で、私は渡辺音楽出版を退社することになったのです。
退社後どうするか。2つのお誘いがありました。まず太田裕美の A&R だった白川隆三さんから CBSソニーに来たら? という話をいただきました。そして “GONTITI” の仕事をする中でお会いした EPICソニーの丸山茂雄さんからは、 EPIC に来れば? と言われました。
ちなみに、CBSソニーと EPICソニーは当時はそれぞれ株式会社として独立していました。2014年以降「ソニー・ミュージックレーベルズ」として統合され、EPIC はその中の1レーベルとなりますが、1978年の会社スタート時は、多くのスタッフを CBS からではなく外部一般から募集を行い、同じソニーであっても、CBS と EPIC では随分社風が違っているように感じました。
白川さんも丸山さんも好きだし尊敬してもいましたので、どちらでもありがたかったのですが、CBSソニーに行ったとしたら、太田裕美の所属レーベルですから、同じ職場に2人がいることに変わりはないのと、EPIC のほうが途中入社の自分には合っているだろうと思い、結局 EPICソニーに雇っていただくことに決めました。
ひとつ問題だったのは、その頃渡辺プロダクションからソニーグループに移る人がけっこう多く、渡辺としてはそれを快く思っていないかも、ということでした。
実際、渡辺晋社長に退社のご挨拶をしたとき、晋さんからも「CBSソニーを作る時は盛田くんや大賀くんが俺にいろいろ相談にしにきたもんだけど、今じゃウチで仕事覚えたら辞めてソニーに行くんだよ。渡辺プロは学校みたいなもんだな。それも給料払って教えてやってるんだ……」というような話がありました。
で、丸山さんの気遣いにより、辞めてすぐ行くのではなくてしばらくバッファを置くことになりました。渡辺退社後ほどなく、まずフリーディレクターとして EPIC と84年7月に契約。正式入社は翌85年の5月15日でした。
かくして私は、6年間勤めた渡辺プロダクションを離れ、EPICソニーの制作ディレクターとなりました。ちょうど満30歳でした。
プロダクションからレコード会社に移って何がいちばん違うかというと、レコードを出したい場合にプロダクションはリリースしてくれるレコード会社を探さなければなりませんが、レコード会社では社内を説得できさえすればよいということです。それをいいことに私はどんどん暴走していくのですが(^^)、それは置いといて。
言わば渡辺から放り出されたところを拾っていただいた恩義があるにも関わらず、生意気盛りだった私は、これから何をやっていくかという打合せで、丸山さんと直属上司になる目黒育郎さんに対し、さっそく2つの要求をしました。
目黒さんからは、時任三郎を担当してくれという指示があり、私はそれを受ける代わりに、(「次はむずかしい」と言われている)GONTITI をせめてもう1枚作らせてほしいこと、“くじら” というグループを新たに始めさせてほしいこと、を切願しました。
彼らも呆気にとられたのかもしれません。私の勢いに押されるように、その場で2つともなんとなく了承してくれたのです。
もちろん GONTITI を救うために EPIC へ移ったわけではありませんから、これも運命なのですが、結果的に GONTITI の契約はつながりました。
1985年2月22日、GONTITI は3rd アルバム『PHYSICS』をリリースします。私の正式入社の前ですね。でももう普通に EPIC のスタッフとして働いていたと思います。
『PHYSICS』はアートディレクションを写真家の伊島薫さんにお願いしました。と言ってもジャケットは魚の化石の写真という、決してポップなものではないのですが(^^)。
伊島さんは以前から GONTITI を気に入ってくださり、1983年という GONTITI がデビューしたかしないかの頃、既にカセットマガジン『TRA』で紹介してくれていました。『TRA』は1982年に、式田純さん(“ショコラータ” のプロデュース、“スリル” のバンマス)、伊島薫さん、そしてヴィジュアルアーティストのミック板谷さんが始めたサブカルチャーメディアです。アートや音楽に敏感な人たちに大きな影響を与えました。
売れ行きこそまだまだでしたが、GONTITI の音は、伊島さんを発信源として、サブカルチャー界のオピニオンリーダーたちの耳をとらえ始めていたのです。
2018.04.06
YouTube / opukeni
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