時は1985年、日本はバブル期直前、洋楽シーンには第二次ブリティッシュ・インベイジョンが到来し、ニューロマ人気だった頃。G.I.オレンジは、見事なウルフカットをなびかせ、日本洋楽界に彗星の如く登場をキメた。
ロンドン北部出身。平均年齢21歳。バンド名は、オレンジ色のアーミールックでライブをやったことから名付けられたという。お金持ちの子息三兄弟を中心とした、ビートルズ大好き4人組である。
■ カール・ウィットワース Vo/Gt(長男)
■ マーク・ウィットワース Key(次男)
■ サイモン・ウィットワース Vo/Ba(三男)
■ ギャリー・ホルト Dr(友達)
まずは日本でブレイク後、世界中で成功したいという野望を叶えるべく日本デビュー(笑)。ステージ衣装はロンドンのキングス・ロードで買い、キャサリン・ハムネットがデザインしていたとインタビューで語っている。曲は共同制作名義ながら、主に長男のカールが担当。雑誌の見出しは「ポップン・ロックをプレイする、英国の四貴公子!」だった。
当時は学校から帰ると、TVK(テレビ神奈川)の平日夕方の洋楽PV番組「Music Tomato World(通称ミュートマ)」を見ていた。そこで、まあ、流れない日はないくらいにデビュー曲「涙でブレイク・アウェイ」がかかりまくり、この哀愁のロカビリーポップが頭に刷り込まれてしまった。ちなみに推しメンはギャリー。余談だけど、同じような立ち位置のバンドにナショナル・パスタイムやローマン・ホリデイがいたのを思い出す。
そして、あれよあれよという間に、伝説の2ndシングル「サイキック・マジック」が発売される。“ときめき・ハート・パーティー” と銘打った地道な全国営業行脚をしたり(外タレなのに!)、「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)のテーマ曲として全国に流れたことで、オリコンの洋楽シングルチャート1位を5週獲得したヒットチューン。カールのコブシ唱法が炸裂する名曲だった。
その後、よくサビの振り付けを真似した「ワン・グッド・キッス」、PVがほのぼのと愛らしい「ハニーウッド」を発表。明けて86年4月21日「テイク・ミー・トゥ・ユア・リーダー」のリリースを最後にバンドは自然消滅の道を辿る。
私にとってのG.I.オレンジは、この5枚のシングルが全てで、全曲今も大好きだ。彼らの存在が今も色褪せないのは、楽曲の良さ、親しみやすさ、そして育ちの良さからくるのだろう心底楽しそうな笑顔にある。時代の寵児感もなく、がむしゃら感もなく、その屈託のなさで日本のアイドルバンドとして君臨したのだと思う。現在もSNSなどで見る笑顔はあの頃と変わらない。
2012年に公式HPで再結成声明を出した後、14年には結成30周年を記念して廃盤だった1stアルバムのリマスター盤を再発売。15年1月には来日公演が実現し、大好評だったらしい。私は行かなかったけど、後悔だなあ。現在も彼らの公式&個々のツイッター更新は頻繁だ。メンバー全員仲良しのようで、日本のファンを気軽にフォローしてくれるなど、楽しみながらバンドを続けている雰囲気に溢れている。だから、ぜひまた来日してしてG.I.オレンジ! 今度こそ「サイキック・マジック」大合唱だよ♡
2017.02.14
YouTube / X55AD
YouTube / Karl Whitworth
YouTube / GIOrangeisBack
Information