アナーキーのギタリスト、マリさん(逸見泰成)が2017年6月7日に亡くなられた。一か月後には、オリジナルメンバーによる一夜限りの再結成を控えていた矢先の出来事だ。
アナーキーは80年シングル「ノット・サティスファイド」でデビュー。メンバー全員が国鉄の作業服(ナッパ服)を着て演奏する彼らの中で、金髪のマリさんはひときわ目立っていた。当時、小学6年生の僕は、おっかねーな。という印象だった。
当時金髪の男性なんて、ほぼ目にすることなかったから。しかし、その世界観に引き込まれていくのにはさほど時間はかからなかった。僕にとってはシド・ビシャス以上にパンクの象徴だった。
アナーキーは当時の小学生にも知られる存在だった。遠足の帰りのバスで「東京イズバーニング」を合唱したことがあった。
あったまくるぜまったくよー
ただ飯くってのうのうと
いい家すんでのんびりと
なにもしねーですくすく育って
なにが日本の〇〇だ~
もちろん、小学生の僕らにとって、歌詞の意味だとか、何に対して歌っているのかなんて知る由もなかった。ただ、小学生には知らなかった価値観、オトナの世界には立ち向かうものがあるんだなーと朧気ながらに感じ、この歌を歌うことでいっぱしのオトナになったような妙な爽快感があったことを覚えている。
80年といえば、暴走族全盛の時代で、クラスにひとりは兄貴が暴走族というやつがいた。僕の育った町もそんなところだ。そいつから教えてもらって瞬く間にクラス中に広まったのが、東京イズバーニング。
このような70年代から80年代にかけて暴走族が好んだ音楽の系譜がそのまま日本のロックンロールの最もコアな部分をなぞっている。
70年代の着物をアレンジした衣装に超絶テクで3ピースの美学を圧倒的に見せつけてくれた外道、革ジャン、革パンのグラムロックスタイルで、ビートルズの切なさを初期衝動としたキャロル。ロックンロールリバイバルのコアな部分を踏襲したクールス。そして髪を逆立て国鉄のナッパ服を着たアナーキー。
彼らのライブには、バイクに乗った大勢の不良が押し寄せ社会問題となった。それぞれのバンドに背景はあれど、インパクトの強いルックスと、キャッチーでノリのよいメロディは直情的なフラストレーションの解消の手段として彼らに愛された。それはバイクのスピード感にも通じるものがあったのかもしれない。
社会への反抗なんて、もともと意味なんてなかったのだ。それは、50年代に生まれたロックンロールが、親や学校、身近なものに対する反抗であったことと同じだ。しかし、ロックにおける反逆の矛先は60年代に入ると、社会や政治など、より大きなものを対象とするようになり、より混沌とした時代に突入するようになる。
そして、80年に登場したアナーキーは、まさにロックの原点回帰のごとく身近なフラストレーションへの反動として、パンクロックという道具を手にした。それは、当時行き場のなかった暴走族の連中にしても同じことだった。そんな思いを叶えてくれたのが改造バイクであり、アナーキーの奏でるパンクロックだったのだろう。
アナーキーは85年までに9枚のオリジナルアルバムを発売。かなりのハイペースだ。その中で、ファーストアルバムの初期衝動を深化させ、具現化するために苦悩する。
86年にはザ・ロックバンドと改名し、贅肉を削ぎ落した骨太なロックで新たなスタイルを築き上げるが、数年後に活動を休止。ヴォーカルの仲野茂氏はアナーキーの活動を振り返り「俺たちが音楽的になればなるほどレコードは売れなくなる」と述懐していたことを思い出す。
初期衝動のインパクトの強さが災いして、アルバムごとに演奏力を磨き、音楽的深化を遂げた本質を日本の音楽ジャーナリズムは見抜けなかったのだ。
2017.07.02
YouTube / hiro asano
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