5月28日

杉山清貴「さよならのオーシャン」オメガトライブ解散直後のヒットには秘密があった!

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ハスキーな声になりたかった杉山清貴


「こんな声で歌えたら気持ちいいだろうな」

―― そう憧れているのは筆者だけではないはずだ。爽やかでどこまでも突き抜けるような張りのあるボーカル。還暦を過ぎた今も全く衰えていないのは驚異的と言っていい。初めて耳にしたのは1983年春の『第12回東京音楽祭』(TBS系)。杉山清貴&オメガトライブのフロントマンとして、デビュー曲「SUMMER SUSPICION」を歌唱したときだった。その映像は動画サイトにあがっているが、それを観れば「新人とは思えぬ堂々たる歌声に度肝を抜かれた」のが決して大袈裟でないことがご理解いただけるに違いない。

その杉山清貴は1959年、神奈川県横浜市生まれ。小学4年でビートルズと出合い、3年ほどですべてのレコードを買い揃えるほど、のめり込む。以後、ビートルズを歌うためにギターを始め、中学・高校時代はいくつかのバンドを掛け持ち。本人はギターとコーラスができれば満足だったそうだが、その歌唱力が評判を呼び、徐々にボーカルを任せられるようになる。まさに「栴檀は双葉より芳し」――。絵を描くことも好きだった杉山には美大に進学する夢もあったが、音楽の神様に手招きをされたのだろう。卒業後は関内のライブハウスで働き始め、そこで出会った仲間たちとオメガの前身となるバンド “きゅうてぃぱんちょす” を結成する。

光栄なことに筆者はかつて杉山にインタビューをしたことがある。その際、「ずっと杉山さんの声に憧れています」と告白したところ、意外な答えが返ってきた。

「僕自身はハスキーな声になりたくてね。オーティス(・レディング)のようなソウルを歌いたくて何度か喉を潰そうとしたんですけど、1日たったら元の声に戻ってしまう。でもそこで潰れていたらオメガの話は来なかったでしょう」

ポプコン出場、そしてプロデューサー・藤田浩一との出会い


唯一無二のボーカルに惚れた身としては持って生まれた喉の強さに感謝するしかないが、アマチュア時代の杉山はジャーニーなどのアメリカンロックを好んで歌唱。その実力と音楽性がヤマハのディレクターの目に留まり、1979年、きゅうてぃぱんちょすは第18回ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出場する。翌年の第19回大会では杉山が作詞・作曲を手がけた「GOSPELの夜」で初入賞。ちなみに同大会のグランプリは伊丹哲也&Side by Sideの「街が泣いてた」、優秀曲賞は雅夢「愛はかげろう」など3曲が受賞していた。

その顔ぶれからも分かる通り、当時のポプコンはプロへの登竜門。そこで入賞を果たしたきゅうてぃぱんちょすにも数社からデビューへの誘いがかかる。そのなかの1人がGSバンド「アウト・キャスト」出身で、レイジーや角松敏生らを世に出した音楽プロデューサーの藤田浩一であった。芸能事務所「トライアングル・プロダクション」の社長でもあった藤田は「プロの作家から提供された楽曲を歌うこと」と「レコーディングではスタジオミュージシャンが演奏すること」をデビューの条件として提示する。

「オメガというのは藤田さんのイメージをスタッフが形にして、それを僕らが演じるプロジェクトでした。当初は『作家が書いた曲を歌うのはどうなんだろう』という思いもあったんですけど、蓋を開けたら極上の作品ができてきたので、今度は『こんないい曲を歌っちゃっていいのかな』って(笑)」

前述のインタビューにおける杉山のコメントである。“杉オメ” のメインライターとなった康珍化(作詞)と林哲司(作曲・編曲)は奇しくも杉山がアマチュア時代から注目していた作家陣。それゆえその2人がデビュー曲を手がけると聞いたときは「「バスルームから愛をこめて」の作詞家と「真夜中のドア」の作曲家だ!」と感激し、プロジェクトの成功を確信したという。

軽快なサウンドと都会的な世界観で独自のポジションを確立




予感は見事に的中し、デビュー曲「SUMMER SUSPICION」は各種ランキングでトップ10入り。AORやフュージョンの要素を持つ軽快なサウンドと、海の香りがする都会的な世界観で独自のポジションを確立した杉オメはその後も「君のハートはマリンブルー」(1984年)、「ふたりの夏物語-NEVER ENDING SUMMER-」(1985年)などのヒットを連発する。傍目には順風満帆に見えた杉オメだが、楽曲を与えられるだけで、制作に関与できない日々に不満を募らせたメンバーはバンドの解散を選択。その経緯を杉山はこう証言した。

「売れたら自分たちが好きなことをやらせてもらえる。そう思っていたんですけど、現実は逆でした。売れたらその位置をキープしなくちゃいけないから、かえって違うことができなくなる。このまま続けるのはどうなんだろうと思い始めたときにメンバーからもそういう声が出て、だったら売れているうちに解散しちゃおうとなったわけです」

かくして杉オメは1985年12月に解散。デビューからわずか2年8ヶ月後のことだった。プロジェクトから身を引いた杉山はバンドマンとしてのこだわりがあり、当初はしばらく休んだあと、新たにメンバーを募り、またライブハウスからバンド活動を始めようと思っていたという。だが、その矢先にディレクターからかかってきた1本の電話が運命を変える。

オリコン最高4位、ソロデビュー曲「さよならのオーシャン」


「バンドは解散したけど、契約が残っている」。そう聞かされた杉山は解散を決めた責任を取るべく、ソロ活動の提案を受け入れ、そのための曲を書き始める。オメガ時代はアルバム曲やカップリング曲の作曲を手がけていたものの、シングルA面の実績はなし。本人いわく「青天の霹靂」だったそうだが、2年8ヶ月の間に培った経験と、林の楽曲から受けた影響を生かして曲づくりに邁進する。その結果、生まれたのがソロデビュー曲「さよならのオーシャン」だった。

作詞に大津あきら、編曲に佐藤準という、初顔合わせのクリエイターを迎えた「さよならのオーシャン」は杉オメ時代よりもロック色を強めた骨太のサウンドながら、“ダッシュボード” など、オメガの世界観を併せ持つ詞世界が特徴。杉山自身が出演したダイドードリンコ「ジョニアンコーヒー」のCMタイアップが付いたことも奏功し、オリコン4位をマークする好セールスを記録した。

ここで筆者は、バンドを解散あるいは脱退したのち、ソロ活動を開始したアーティストの動向を調べてみた。すると現在も活躍するビッグネームであっても、最初から大ヒットに恵まれたわけではないことが判明した。以下、杉山までのソロ転向組のシングル最高位を見てみよう。

■独立後、第1弾シングルのオリコン最高位(1968年~1986年)
加藤和彦 / 僕のおもちゃ箱(1969年 70位)
加橋かつみ / 花の世界(1970年 58位)
井上順之(現・井上順) / 昨日・今日・明日(1971年 7位)
堺正章 / さらば恋人(1971年 2位)
沢田研二 / 君をのせて(1971年 23位 ※PYGとしても活動中)
萩原健一 / もどらない日々(1971年 91位 ※PYGとしても活動中)
あがた森魚 / 赤色エレジー(1972年 7位)
八田英士 / 別れないでおくれ(1974年 49位)
矢沢永吉 / アイ・ラヴ・ユー、OK(1975年 43位)
南こうせつ / 今日は雨(1976年 21位)
さだまさし / 線香花火(1976年 38位)
桑名正博 / 哀愁トゥナイト(1977年 99位)
谷村新司 / スーパースター‐MY SUPERSTAR-(1982年 51位)
世良公則 / TOKYO指紅(1982年 61位)
新井正人 / アニメじゃない-夢を忘れた古い地球人よ-(1986年 41位)
鈴木雅之 / ガラス越しに消えた夏(1986年 15位)
杉山清貴 / さよならのオーシャン(1986年 4位)
(100位以内に入らなかったケースは除く)

ソロに転じてすぐにトップ10入りすることの難しさ


ソロに転じてすぐにトップ10入りを果たしたのは1986年の時点で井上順、堺正章、あがた森魚、杉山の4人のみ。杉山はあがた以来、14年ぶりの “快挙” であった。バンドブームが到来した1980年代末以降は氷室京介、小田和正、布袋寅泰、藤井フミヤなどが「即トップ10入り」を達成するが、それまではそう簡単なことではなかったことが分かる。杉山のように人気絶頂でバンドを解散することは稀で、ほとんどがバンド人気が収束したあとにソロ活動を開始したこと、そしてシングルよりもアルバム制作に注力していたことなどが理由として挙げられよう。

ソロアーティストとして華々しいスタートを切った杉山は同年7月にファーストアルバム『beyond…』をリリース。LPとカセットで1位、CDでも2位を獲得し、3アイテム合計で53万枚超の大ヒットを記録する。この数字は杉オメのラストアルバム『FIRST FINALE』(1985年)の54万枚とほぼ同じ。同時期にカルロス・トシキを新ボーカルに迎えた1986オメガトライブも、デビューシングル「君は1000%」(最高6位 / 29万枚)とファーストアルバム『Navigator』(最高2位 / 43万枚)をヒットさせており、オメガプロジェクトは独立組と後継バンドがともに成功する初めてのケースとなった。

最新デジタルリマスタリングでよみがえる杉山清貴の作品群




それから36年――。嬉しいことに、杉山がこれまでCDでリリースした全シングルを網羅した『35(+3) SUMMERS Sugiyama, Kiyotaka Single Collection』(CD5枚組 / 全72曲)と初期アルバム3作(『beyond…』『realtime to paradise』『kona weather』)が最新デジタルリマスタリングで6月29日に発売される。

つい先日開催された日比谷野外音楽堂でのライブで変わらぬ歌声を披露したばかりだが、これらのCDを聴けば類まれなボーカリストであることを改めて認識できるはず。近年のシティポップブームで熱い注目を浴びる楽曲群を、この機会に高音質でじっくりと味わってみてはいかがだろう。

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2022.05.28
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濱口英樹
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