1977年 6月

変わり続けたオリビア・ニュートン=ジョン!Netflixでもドキュメンタリー映画制作中

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オリビア・ニュートン=ジョンのアルバム「きらめく光のように」発売日
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杏里が大ファンだったオリビア・ニュートン=ジョン


1つ質問。杏里のデビュー曲「オリビアを聴きながら」(作詞・作曲:尾崎亜美)の “オリビア” って、誰のことか分かります?

―― 答えは、布施明サンが「♪薔薇より美しい」と歌い、カネボウのCMに出演したのが縁で結婚したオリビア・ハッセー… というのはウソで、オリビア・ニュートン=ジョンである。当時、杏里が彼女の大ファンで、それを聞いた尾崎亜美サンが、歌に出てくるヒロインの “お気に入りの唄” として採用したらしい。

ちなみに、“お気に入りの唄” は同曲のサビのフレーズ「♪Making good things better」から分かる通り、オリビアの「きらめく光のように」(原題題:Making A Good Thing Better)である。杏里が「♪オリビアは淋しい心 なぐさめてくれるから」と歌うので、てっきり切ないナンバーかと思いきや、2人の愛が盛り上がるカントリー調の明るい楽曲。要は、同曲を聴きながら「♪いいえ すんだこと」と思い出を断ち切ろうとするヒロインを描いた失恋ソングが「オリビアを聴きながら」というワケ――。



カントリー歌手としてスポットライトを浴びる


で、今回のテーマは、その “オリビア・ニュートン=ジョン” である。“ニュートン” はミドルネームではなく、“ニュートン=ジョン” で1つの姓。ややこしや。1948年、オリビアはイギリスのケンブリッジで生まれ、父は大学教授、母方の祖父がノーベル物理学賞受賞者というインテリ一家。幼少期に父親の仕事でオーストラリアに移り、5歳でピアノを習い始め、10代で同級生らとガールズバンドを組んだ。

1971年、オリビアは生まれ故郷のイギリスで、ボブ・ディランのカバー「イフ・ノット・フォー・ユー」でメジャーデビューする。1973年にはアメリカへ渡り、カントリー調のシングル「レット・ミー・ビー・ゼア」で一躍ブレイク。そう、オリビアは当初、カントリー歌手としてスポットライトを浴びた。かの有名なジョン・デンバーの「カントリー・ロード」をカバーしたのもこの時代である。

同曲といえば―― ジブリ映画の『耳をすませば』(脚本:宮崎駿、監督:近藤喜文)で知った人も多いだろう。でも、日本で最初にヒットしたのはずっと前の1976年。TBS系のモーニングショー『おはよう700』の名物コーナー「キャラバンII」のテーマ曲に採用され、オリコン洋楽チャートで15週連続1位。ちなみに、同コーナーのテーマ曲に採用され、同じく日本で大ヒットした楽曲に、ダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」もある。1970年代、TBSが “民放の雄” と呼ばれ、無双していた時代の話である(遠い目)

気絶するほど美しいアルバム「そよ風の誘惑」


話を戻す。オリビアが初めて米ビルボードで1位を獲得したのが、1974年にリリースされたシングル「愛の告白」(I Honestly Love You)である。5週連続1位の大ヒット。この辺りから徐々にカントリー路線からポップス路線に軸足を移していく。そして翌1975年、ビルボード誌から “気絶するほど美しいアルバム” と絶賛された『そよ風の誘惑』(Have You Never Been Mellow)と、同名シングルが発売される。同曲は日本でもスマッシュヒットして、オリビアはその清らかな歌声と共に、可憐な容姿も相まって、一躍アイドル的人気を博したのである。

 There was a time
 When I was in a hurry as you are
 I was like you
 There was a day
 When I just had to tell my point of view
 I was like you

 そうよ、私も生き急いでいたわ
 あなたみたいに
 そんな日もあったわ
 自分の意見を押し付けてばかりの
 あなたみたいに



今、改めて当時のオリビアのステージを見ると、美しいブロンドヘアにブルーアイズ、体つきは華奢でスリムと、日本人好みというか、実にアイドルチックである。もともと母方がドイツ系で(ノーベル物理学賞を受賞した祖父のマックス・ボルンはユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われてイギリスへ移住)、典型的な金髪碧眼のアングロサクソンである。髪型は後の聖子ちゃんカットを先取りしたもので、これも日本人好み。喋るとキュートで、歌うと天使の歌声。実年齢(当時20代半ば)より、ずっと若く見えた。まさか、この数年後、オリビアがあんな攻めたミュージックビデオを出そうとは、一体誰が予想しただろうか ――。

多彩なキャラクターを演じた映画「グリース」


翌1976年、オリビアの日本における人気は先にも記した「カントリー・ロード」で更に沸騰。同年暮れに彼女が来日して行なわれた日本ツアーでは、全国8都市で13公演をこなし、実に29万人を動員する。この頃がオリビアの日本における第1次ブーム。来日した彼女のプライベートの様子はアイドル誌などでも紹介された。彼女は念願の原宿へ出かけ、ブティックでセーターを買い、パーラーでパフェを食べた。

彼女が2度目のブレイクを果たすのは、映画だった。時に1978年――『サタデー・ナイト・フィーバー』のジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画『グリース』である。舞台はアメリカがやんちゃだった古き良き1950年代後半のハイスクール。避暑地で知り合った一組の若いカップルが、高校で再会し、紆余曲折ありながらも、プロム(卒業パーティ)で結ばれる典型的な “プロム・ムービー” である。

同映画で、オリビアは清楚系から、ちょい悪系まで、実に多彩なキャラクターを演じている。ファッションもフィフティーズ感満載で、髪型も変貌自在。まるで彼女はバービー人形のように映った(実際、商品化されて大人気を博した。今も中古市場で高値で取引されている)。時にオリビアは20代最後の年(※高校生の役だが、ハリウッドでは年齢±15歳までOKとされる)を迎え、かつての清楚系路線は飽きられつつあり、このイメチェンは大成功だった。劇中でトラボルタとデュエットした「愛のデュエット」(You're the One That I Want)も収録された映画サントラはビルボードを始め、日本を含む世界各国でチャート1位を獲得した。



MTVの時代、「フィジカル」で変革の道を選んだオリビア


だが―― 話はこれで終わらない。時代は1980年代を迎え、アメリカの音楽は大きな転換期を迎える。時に1981年8月1日―― バグルスの「ラジオ・スターの悲劇」(Video Killed The Radio Star)と共に、その新たな時代は幕を開けた。そう、“MTVの時代” である。それまでラジオが主導した耳で聴く音楽が、ミュージックビデオという映像で語られるようになった。かくして、シンディ・ローパーやプリンス、マドンナら、MTV時代の申し子とも呼ぶべき新たなスターが出現する。

一方、かつてのスターたちも新しい時代への変革を迫られた。そして変化に対応できた者のみが生き残った。マイケル・ジャクソンはジョン・ランディスに声をかけて13分42秒のミュージックビデオを作り、“キング・オブ・ポップ” の称号を得た。ビリー・ジョエルは恋人のクリスティ・ブリンクリーを自身の「アップタウン・ガール」のミュージックビデオに出演させ、同曲が収録されたアルバムは、前作で落ち込んだセールスを回復した。

そして―― 彼女、オリビア・ニュートン=ジョンも変革の道を選ぶ。1981年9月28日にリリースされたシングル「フィジカル」である。

そのミュージックビデオは、全編、当時最先端のエアロビクスのレッスン風景だった。インストラクター役がオリビアで、彼女はショートカットにイメチェンして、大胆にもレオタードに身を包んだ。そのヘアバンドにレッグウォーマーといったいでたちは、間もなく、エアロビのスタンダードファッションになる。



オリビア自身最高のメガヒット「フィジカル」


問題は、“共演者” たちだった。ビデオの冒頭は、ビキニパンツ1枚のマッチョな男たちが登場し、本編では一転、だらしない体型をさらけだす中年の男たちが画面を覆った。ソコにレオタード姿のオリビアが入り、ポジティブに歌いながら、彼ら中年男性を指導する。

 Let’s get physical, physical
 I wanna get physical
 Let’s get into physical

physical―― 直訳すれば “肉体” という意味だが、歌詞の文脈を追うと、どう読んでも男女の“肉体関係” に他ならない。だが、ビデオを見る限り、オリビアはインストラクターで、太った男たちがエクササイズに励んでいる。そしてビデオの後半、男たちはマッチョな体型に変身する。極めて健康的である(笑)

そう、確信犯――。意味深なエロティックな楽曲を、当時最先端のエアロビのレッスン風景で見せる。しかも、笑っちゃうくらいのコミカルなノリ。しかし―― 楽曲自体は紛れもなく新しく、ダンサブルで、メロディに優れ、エッジも立っていた。同曲はビルボードで10週連続1位を獲得。1982年の年間1位にも輝き、オリビア自身最高のメガヒットとなった。そう、彼女は見事にMTVの時代に順応したのである。

え? 訳詞を載せてくれないのかって?
ソレを野暮と言います。

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2025.09.26
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カタリベ
1967年生まれ
指南役
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