来たる2019年2月4日は、山下達郎66歳の誕生日。
―― ということで、一風変わったイベントをやります。経堂にあるイベントスペース「さばのゆ」で、山下達郎の誕生日を勝手に祝う「ライド・オン生誕祭」。
編集者で「分類王」の石黒謙吾さん、放送作家のチャッピー加藤さんとの共催で、私所蔵の、山下達郎初期の LPレコード(RCA時代)を、チャッピーさん所蔵のポータブルプレイヤーで聴く会です。ご興味ある方は、
こちらのリンクで、臆せず「興味あり」「参加予定」ボタンを押してくださいませ。
さて、初期の LP を買い集めるほどに山下達郎を好きになったのは、1987年、大学2年生のころだったと思う。
当時、私は早稲田大学の学生。水曜の午後、時間割の3限のところに、ぽっかりと空白があり、毎週、暇を持て余していたのだが、ある日友人が、早稲田キャンパスの7号館(今よりもずっと小さかった)に、レコードや CD が無料で聴ける「視聴覚室」があると教えてくれ、一緒に通うようになったのだ。
いちばん最初に選んだのが、山下達郎『SPACY』。リストの中で「聴け! 聴け!」と、21歳の少年を手招いている感じがしたからだ。
とはいえ、山下達郎に関するある程度の知識も、すでに持ち合わせていた。「RIDE ON TIME」以降のシングルは聴いていたし、『POCKET MUSIC』はアルバムも持っていたと思う。「シティポップ職人」のようなイメージで捉えていた。
驚きは突然、視聴覚室の中でやって来た。レコードではB面、「アンブレラ」「言えなかった言葉を」「朝の様な夕暮れ」「きぬずれ」というメドレーのような4曲――「これは、僕が知っている達郎とは、ぜんぜん違う!」
デビューアルバムで海外録音だった前作の『CIRCUS TOWN』とは打って変わって、「アレンジもスコア書きも全部自分でやらなければならなかった」(『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』の曲目解説より)という家内制手工業的なアルバム。24歳の山下達郎と同い年の吉田美奈子が、小ぢんまりと、膝を突き合わせてこしらえた音――。
頭に浮かんだキーワードは「内省的」「手作り」、そして「地味」。おしゃれで都会的でキラキラしていた「80年代山下達郎」の対極のような音なのである。
でも、171cm、52kg、21歳の少年には、それが良かったのだ。それ以降、毎週水曜日のお昼になると、フラフラと視聴覚室に引き寄せられ、『SPACY』を聴くことになった。『SPACY』は「水曜日の恋人」だった。
もちろん『CIRCUS TOWN』や『MOONGLOW』など、他の初期山下達郎作品も聴いたのだが、やはり『SPACY』が、抜群に良かった。密閉型のヘッドフォンを付けて聴く「アンブレラ」。窓からの日差しが、ゆっくりと色を染めてゆく。
今から考えると、この『SPACY』に収められているのは、虚飾を剥いだ「裸の山下達郎」だったと思う。イメージやマーケティングという武器を借りるのではなく、自らの音楽性をむき出して勝負している感じがする。
だからこそ、「聴け! 聴け!」と、21歳の少年を手招いたのだろう。そして少年は思うのだ――「僕がむき出して勝負できる何かって、何だろう?」
少年が選んだのは、原稿用紙だった。まだ PC もワープロも持っていない少年は、原稿用紙に何かを書き始めた。それから、初の著書が発売されるまでに、なんと27年もかかることを、少年は知らない。
イベントの当日は、奇跡の “『SPACY』B面一気聴き” をしますので、お楽しみに。
2019.01.26