11月17日

コンサートの概念を大きく変えた、中島みゆき「夜会」そのなにが画期的だったのか?

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中島みゆきがライブ「夜会」の第1回目をシアターコクーンで開催した日
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言葉の実験劇場、コンサートの概念を大きく変えた 中島みゆき「夜会」


今や冬の風物詩のひとつとして親しまれている中島みゆきの『夜会』、その第1回目が行われたのが1989年(11月17日~12月9日)だった。

『夜会』は、それまでのコンサートの概念を大きく変えた画期的ライブなのだけれど、スタートから30年が過ぎた今、そのなにが “画期的” だったのかを振り返ってみるのも意味があるだろう。

そのスタートに先立って、中島みゆきは『夜会』を “言葉の実験劇場” と位置付け、10年続けると宣言していた。その公演も、東京・渋谷にこの年に完成したばかりの演劇専用劇場、Bunkamura シアターコクーン(747席)で、11月から12月にかけて20公演行うという、演劇のようなスタイルをとると発表された。

全国のホールを回るコンサート・ツアーではなく、ひとつの会場での連続公演という形自体が画期的だった。さらに、あえて小さな演劇専用劇場で行うということも、『夜会』が普通のコンサートは違うことを暗示していた。

単純にキャパシティだけで言えば、20回の公演で入場できるのは、最大約15,000人。

中島みゆきの動員力を考えれば、日本武道館で2回公演すればそれ以上の人に見てもらえるし、公演回数も1/10で済む。効率を考えれば絶対にその方が楽なのに、中島みゆきはその方法を選ばなかった。

開演時間も夜8時と、通常のコンサートより1時間以上遅く設定され、『夜会』というネーミングも想像を掻き立てるものだった。果たして、どんなステージになるのだろう。そんな期待から、チケットは一瞬でソールドアウトになった。

レコードや CD から楽曲を解放、巻き起こる賛否両論!


確かに『夜会』は今までに無いステージだった。歌われるのは「泣きたい夜に」「わかれうた」「悪女」といった、すでに発表されてきた曲。けれど、ステージには演劇のような、どこかドラマチックな雰囲気が醸し出されている。そのために歌われる曲それぞれが、まるでなにかの物語の挿入歌であるかのように聴こえて、レコードとは違うニュアンスが伝わってくる。それは、耳に馴染んでいたはずの曲の知らなかった表情と出会うような体験だった。

最後に歌われたのは『夜会』のテーマ曲として書き下ろされた「二隻(そう)の舟」。この日唯一の正真正銘の新曲だった。しかし、それ以外の曲もすべてが新曲のように聴こえてくる。そんなライヴだった。

当然にも、『夜会』を見た人の間では、賛否両論が巻き起こった。これまでに親しんできたように中島みゆきの曲を聴きたいと思っていた人にとっては、“これじゃない” という感覚が残ったのかもしれないと思う。しかし、それこそが中島みゆきの狙いだったのだと思う。

僕たちが曲を聴く時には、どうしても最初に聴いたレコードや CD に収められていたものが “正解” だと思ってしまう傾向があるし、無意識のうちに、その曲を最初に聴いた時と結び付けて、いつか “あれは昔の曲” と考えてしまいがちだ。けれど、どんな昔に発表された曲でも、アーティストが “いまの気持ち” を込めて歌えば、時を越えて生き続けることができる。だからこそ、聴き手にも “昔の曲” という先入観を捨てて聴いて欲しい。

だから、まったく違うストーリーに “昔の曲” を重ねることで、新しい表情を感じてもらう。言ってみれば、曲をレコードから解放する。それが『夜会』の “実験” だったのだと思う。

中島みゆきからの問いかけ、次の時代にも生き続ける音楽とは?


正直に言えば、1989年の第1回、そして翌年の『夜会1990』は、実験的ではあったけれど、まだコンサートに近かった。しかし1991年の夜会 Vol.3『KAN(邯鄲)TAN』からは中島みゆきのオリジナル脚本によるミュージカル形式になり、ミユージシャンも客席から見えないステージ下のオーケストラピットで演奏するようになった。

それまでに発表された曲たちを、新しい文脈の上に置き直してまったく違う表情を伝えてゆくだけでなく、『夜会』のために書き下ろされる曲も増えていく。そして、1995年の夜会 Vol.7『2/2』からは、歌われる曲が全曲書き下ろしの新曲になった。

そんな舞台の進化もさることながら、注目したいのは、夜会 Vol.7『2/2』と同じ1995年に、それまでの『夜会』のために書き下ろされた曲で構成されたアルバム『10 WINGS』を発表していること。しかもこれは『夜会』のライブ盤ではなく、まったく新たな編曲でレコーディングされている。つまり、『10 WINGS』は、『夜会』で生まれた曲を『夜会』から解放するアルバムなのだ。

1980年代の終わりに始まった『夜会』は、新しい音楽表現のスタイルへの “実験” であると同時に、一度発表された曲を、その先入観から解放して次の時代にも生き続ける生命力を与えるという試みでもあったと思う。けれど、皮肉なことに、それが定着していくとともに “『夜会』の曲” と先入観を持たれる曲も生まれてきた。すでに発表された曲を次の時代に届けていくためには、曲を『夜会』から解放することも必要だったのだ。

この後、中島みゆきのアルバムに『夜会』で歌われた曲が普通に収録されたり、逆にアルバム集録曲がその年の『夜会』で歌われれたりもしていく。こうした動きそのものが、“新曲” とはなにか、そして “スタンダード曲” とはなにかというテーマを、改めて僕たちに問いかける試みになっているのだと思う。

2019.12.15
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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