悪の香りを漂わせた仮面ライダー
円谷プロの『ウルトラマン』が菩薩を思わせるような絶対的な善を表象しているのに対し、1960年代までの東映制作によるヒーロー番組には、悪の香りがする主人公が多かった。
例えば実写物であれば『ジャイアントロボ』(1967年)はもともと悪の組織・BF団が作った戦闘兵器だったし、アニメなら『タイガーマスク』(1969年)は悪役レスラー養成機関・虎の穴の出身、といった具合に。
しかしそんな “悪の香りを漂わせたヒーロー” の決定版となったのが、石森章太郎先生の原作によるあの『仮面ライダー』(1971年)である。
ナチスドイツで研究された移植手術等の手法で作り出した、昆虫や動物の機能を持つ改造人間によって、世界征服を企む悪の秘密結社・ショッカーは、天才科学者にしてスポーツ万能の青年・本郷猛に目をつけ、バッタの能力を持った新たな改造人間にしようとする。しかしながら脳改造寸前でショッカー基地から脱出した本郷は、改造人間の能力と正しい心を併せ持ったヒーロー・仮面ライダーとして、ショッカーとの果てしなき戦いを続けることになる。
すなわち仮面ライダーの外見は、「ショッカーの怪人・バッタ男」に他ならない訳で、ウルトラマン対怪獣においては「ヒーローとその対戦相手」といった構図が歴然としていたのに対し、この仮面ライダーでは「怪人対怪人」といった構図となる。そこには同じ穴のムジナ同士の「暗闘」といった表現がしっくり来る怪奇なムードがあった。
颯爽たる主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」
そんな作品世界を彩ったのは、のちにアニメ・特撮音楽の名曲を量産し、斯界の巨匠と称されることになる菊池俊輔先生の手による音楽だった。
その劇伴音楽は、それまでに菊池先生が担当された、例えば劇場用映画なら『吸血鬼ゴケミドロ』や『蛇娘と白髪魔』(いずれも1968年)といった怪奇スリラー物、あるいはテレビ作品であれば『江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』(1970年)といった系統に属する、陰湿な怪奇ムードが横溢した旋律であった。
しかしながらオープニング曲は、ご存知「せまるショッカー」の歌詞で始まるあの颯爽たる「レッツゴー!! ライダーキック」(作詞:石森章太郎)である。
ファンファーレを思わせる前奏から全編にわたり、ライダーがそのベルト(タイフーン)の風車に風圧を受けてエネルギーをチャージし、サイクロン号を疾駆させているような、躍動感溢れる名曲である。
そのオープニング曲の伴奏(当時はまだカラオケという言葉はなかったと思うが)に、主旋律の演奏を加えたいわゆる「メロオケ」が、本編中のライダー活躍シーンには毎回のようにBGMとして使用され、ドラマを大いに盛り上げた。このスタイルは以後、“菊池節ヒーロー” において定例化することになる。
今でも記憶しているが当時の「ちびっ子のど自慢」といった類の番組で、男の子が歌う曲はこの「レッツゴー!! ライダーキック」が大半を占めていたものだ。しかしながらそれは、後述するが番組開始後少し経ってからのことである。
苦戦を強いられていた初期の仮面ライダー
そもそも『仮面ライダー』は企画段階から、「怪奇アクション」を目指すとされている通り、ショッカーが送り込む怪人たちは、容赦なく悪の限りを尽くす身の毛もよだつような恐ろしげな奴ばかりで、私も今でこそ初期のライダー(第1話から13話までのいわゆる “旧1号編”)を溺愛しているが、まだ3歳そこそこだった当時は、あまりにもショッカー怪人が怖くて正視できなかった。
そう感じるちびっ子が他にも多かったのか、初期のライダーは視聴率的に苦戦を強いられた。そして実はこの番組、第1話の放送開始前に大アクシデントが起こっていた。
第9・10話のコブラ男登場編の撮影中、主人公・本郷猛役の藤岡弘(現・藤岡弘、)がバイク事故により全治数ヶ月の重傷を負っていたのだ。
急きょ東映サイドと放送局サイドによる会議が召集され、今後の展開について話し合いの場が持たれた。
第13話までは新キャラクター、FBI捜査官の滝和也(演:千葉治郎)を登場させたり、藤岡弘の撮影済み映像の再使用や吹き替えで何とか持たせることになった(その手法はブルース・リーの『死亡遊戯』の先を行っていた!)が、さて、その第14話以降はどうするかーー。
ライダーを「殺しちゃならねえ――」
その会議の議事録が残っているが、2号ライダー登場案は早々に出されるも、一方で「本郷猛は死んだことにした方が展開しやすい」という意見が多数を占める中、ライダー以降も東映ヒーロー物の傑作を多く世に送り出すことになる名プロデューサー・平山亨氏の「殺しちゃならねえ――」という発言が感動的だ。
この時平山氏が “延命” を主張してくださったおかげで、本郷はショッカーを追って海外へ向かったという設定となり、その後1号と2号の共演、そして3号ライダー・V3以降に続く後継ライダーとの揃い踏みが叶うことになったのである。まさに、その時歴史が動いた、と思う。
かくしてこの時、1号に代わる2号の登場が決定。2号のデザインも一気にヒーロー然とした明るい色調に “変身” したのと同時に、アクションもより派手になり、新主人公・一文字隼人(演:佐々木剛)の二枚目半的なキャラ、そして山本リンダ他が演じるコメディーリリーフ的なライダーガールの登場等と相まって、番組の雰囲気もグッと明るくなる。
今の目で見ると旧1号編の妖しく陰湿なムードも抜群に素晴らしいのだが、当時ちびっ子の人気を勝ち得て、猛烈な勢いで “変身ブーム” を加速させたのはこの2号編以降だったのだ。
それまでの1号は、ベルトの風車に風圧を受けながら無言のうちに変身していたのに対し、2号からは変身ポーズ、そして「変身!」のかけ声によって瞬時に変身できるようになり、子どもたちにとって「ライダーごっこ」がしやすくなったことも大きかった。
バイクに乗って悪い奴をやっつけるバッタ男―― という奇想は、ここにちびっ子の要望にフィットしたものとして結実し、以後半世紀以上も続く歴史を紡ぐことになるのである。
名エンディング曲「ロンリー仮面ライダー」
そんなライダー人気加熱の中、「レッツゴー!! ライダーキック」に匹敵する名テーマ曲が登場する。第89話から最終回の第98話までエンディング曲として使用された「ロンリー仮面ライダー」である。
この曲は日本コロムビアの企画盤LPレコード『仮面ライダーヒット・ソング集』のために書き下ろされたものだったが、エンディングに “昇格” することとなった。
仮面ライダーには、同じく石森章太郎先生の原作による『サイボーグ009』同様、「心ならずも人間ならざる者に改造された哀しみと孤独」が常につきまとう。この曲は、そんな仮面ライダーの “戦士の孤独” を容赦なく表現した、“哀愁系菊池節” の頂点とも言えるものであった。
荒野を渡る風 ひょうひょうと
ひとりゆく ひとりゆく
仮面ライダー
悲しみを 噛みしめて
ひとり ひとり 斗う
されどわが友 わがふるさと
ひとりでも ひとりでも
護る 護る 俺は 仮面ライダー
この曲を聴く者は前奏の段階で既に、荒野を渡る風の只中に独りで立ち尽くしている心地がする。菊池俊輔先生にかかると、エレキギターもストリングスも哀愁と孤独を奏でる為の楽器と化すのだ。そしてピッコロは荒涼たる風の音である。
寂寥感に満ちたこの詞の作詞者・田中守とは、前述の平山亨氏の筆名である。改めて詞を見返して思ったが「ひとり」であることをこれでもかと強調している、文字どおりロンリーソルジャーのテーマであった。
あれから約半世紀。「どんな仮面ライダーがあってもいい」という、原作者・石森章太郎先生の生前のお言葉どおり、昭和・平成・令和にわたり、実に様々な仮面ライダーが活躍を続けてきた。
それらを分け隔てなく楽しめる人たちを羨ましく思いつつ、私のようにいつまで経っても昭和ライダーを信奉している者にとっては、そろそろ本気で原点回帰していただいてもいいのでは… とウズウズしていたところ、満を持してあの庵野秀明監督による、旧1号編へのオマージュに溢れた『シン・仮面ライダー』が3月に劇場公開される。これは期待するなという方が無理な話であろう!!!
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2023.03.17