1978年に全国の小学生を恐怖のどん底に陥れた「口裂け女」事件を知らない人はリマインダー世代にはいないはずだ。
今考えれば「べっこう飴」業界か、「ポマード」業界が仕掛けたのではないかと疑念が残るが、とにかく噂というものには尾ヒレ背ビレが付くものであり「昨日三丁目の角にそれらしい女の人を見た」とか、「一瞬だったのでよく判らなかったけど、乗っていたバスと同じ速度で走っていた」とか、小学生による「口裂け女」目撃情報が相次いだ。
それから8年の歳月が過ぎ、私は大学生になった。1986年のことだが、その大学の近所に森尾由美の実家があった。
とにかく噂というものには尾ヒレ背ビレが付くものであり「昨日三丁目の実家にそれらしい女が入って行くのを見た」とか、「一瞬だったのでよく判らなかったけど、干していた下着を取り込んでいた」とか、同大学の学生による「森尾由美」目撃情報が相次いだ。
私の馬鹿な友人は、入学と同時に森尾由美の実家が配達圏内の宅配ピザ屋にアルバイト面接に行っていた。
それくらい有名人、特にアイドルが半径1キロ以内に住んでいることは、我々にとっては重大な関心事であった。しかも我々一浪組は、彼女と同じ年であり、そのこともシンパシーを共鳴させる要素の一つになっていた。
近年、秋元康が「会いに行けるアイドル」をコンセプトにAKB48なるユニットを結成させたが、こちとら30年も前から「歩いていたら会えるかもしれないアイドル」を追いかけていたのだ。
彼女は1966年生まれで、82年に芸能界デビュー。翌83年に「お・ね・が・い」でアイドル歌手としてもデビューした。
「同い年」という括りで言えば、私は伊藤つかさの方が好みであったが、やはり半径1キロ以内に住んでいるというプライオリティーを考慮すると森尾由美に軍配が上がる。
その後、馬鹿な友人は森尾由美の家から一番近いローソンで深夜バイトをすることになった。もちろん動機は「もしかしたら買い物に来るかもしれない」だった。
ある時、その友人が実家の用事でバイトのシフトを抜けなければならず、数日間の代役を私に頼んできた。
結論を言うと、友人も私も在学4年の間に森尾由美と会うことはなかったのだが、バイトの代役を引き受けた時に「もしかしたら」と頭の隅によぎった私も馬鹿の仲間であった。
2017.06.17
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