12月25日

SALLYは「バージンブルー」だけじゃ語れない!いま注目されるべき日本のジョン&ポール

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中古取引価格が驚愕の38万円!? 今最も音源が入手しにくいSALLY


38万8千円―― これは以前(2021年2月)Yahooオークションで見かけた、ある80年代のCDの取引価格である。

そのCDとは、SALLYの唯一のベスト盤『SALLY THE BEST』。一般的に彼らは、1984年に「キリンレモン2101」のCMソングで使われた「バージンブルー」のヒットで知られるが、令和4年現在で彼らの楽曲はサブスクでも配信されてないばかりか、CDでも入手困難な状態である。

しかし、そういったことを差し引いても38万円とは驚くべき価格高騰ぶりだ。好事家が調べた情報によると、東京都のある市に唯一このCDの所蔵がある図書館があり、わざわざ遠くから借りに来る人も居るらしい。

こうした、音源入手困難な状況に比例してか、SALLYに対する評論家筋からの扱いは少々残念な状況となっている。例えば、とある昭和ポップスの解説書では「サビの力だけでヒット」「デモテープかと思う雑な音」「打率二割二分」という散々な評価が見られる。



バージンブルーだけじゃない! 彼らの本領は自作曲にあり!


SALLYの活動期間は短い。1984年7月1日「バージンブルー」でデビューしてから、1986年5月27日の渋谷公会堂での解散コンサートまで2年にも満たない。その2年弱の間にリリースしたシングル曲は6枚。このうち4枚が、バージンブルーの路線を踏襲した、鈴木キサブロー作曲による、いわゆる “マイナー歌謡ロック路線” である。一方で、アルバムはミニアルバム的な扱いの物も含めると4枚出ており、こちらはほぼ全てメンバー自身による作曲だ。

SALLYの場合、どうしてもシングル曲での歌謡ロックの印象が強く、それだけの存在だと思われがちなのだが、シングル4作目にして初のメンバー自身の作曲となった「HEARTはキュートなままでいて」は異彩を放つ。この作品からは60年代マージービートの香りが漂う。また、デビューアルバムの表題曲「BAD BOYS COME TONIGHT」に代表されるように、彼らの音楽からはロカビリーの影響も端緒に伺える。

したがって、彼らの音楽は、自作曲を中心に構成されたアルバム曲を掘り下げていくのが面白い。同時期に、売野×芹澤作品を中心に構成されたチェッカーズのアルバムと聴き比べてみると、手馴れの力を借りていない分、むしろ触感としては70年代のキャロルの初期2枚のアルバムに近く、その源泉には彼らの彼らの飽くなき “ロックンロール愛” があるように感じられ、今聴き直すと、その粗削りさが逆に魅力的に映る。



日本のビートルズと言えば、どのグループ?


ところで、先日、とあるクイズ番組で「日本のバンドでビートルズといえば誰?」という出題がなされ、番組を見た視聴者によるSNSでの議論が盛り上がりを見せていた(ちなみに、1位:Mr.Children、2位:スピッツ、3位:サザンオールスターズという結果。ずうとるびは11位)。

これに対し、SNS界隈では「ユニコーンが入ってないじゃないか」とか「いやいや、チューリップだろう」などと色々な意見が飛び交っていたが、最後までSALLYの名が出てくることは無かった。

実は、解散して20年を経た2006年に、リードヴォーカルの加藤喜一がSALLY時代を詳細に回想するブログを発信していて、その中で加藤は「自分たちの音楽ルーツはビートルズだった」と述べている。確かにクレジットの大半は「YOSUKE&KEACH」であり、これは「LENNON&McCARTNEY」を多分に意識した物だろう。

なるほど、もうひとりのフロントマン杉山洋介が手がける、後に結成する “paris match” で開花させた驚くほど洗練されたメロディセンスはポール・マッカートニーに通じるし、加藤の自身の回想ブログで綴られているシニカルでユーモアセンス溢れる文才は、ジョン・レノンに繋がる何かを感じる。

アイドルとアーティストの狭間で苦しんだSALLYとThe Good-Bye


そんな1984年から1985年頃、SALLYと同じくレコードの売上が思うように伸びず苦しんでいたバンドがあった。それは、野村義男を擁するThe Good-Byeだ。このふたつのバンドには共通点が多い。ツインボーカルのスタイル。ビートルズをベースにしたソングライティング。アイドル的なプロモーションではあったが自作曲でのアルバムリリースを続けていた点も似ている。

当時を回想する加藤のブログで、とある営業ステージでの出来事をこう書き綴っている――

「後楽園遊園地での営業ステージ、このときもまたThe Good-Byeと一緒だった。(中略)お客もまばらで、午後4時過ぎの日が暮れかかったそのステージは、つげ義春の言葉を借りるならあまりにも絶望的な光景であった」

この時期、レベッカ、BOØWYといった次世代バンドが台頭。時代のうねりの中で、徐々にSALLYの居場所は狭まっていた。そして、1986年5月、アイドルとアーティストの狭間で悩みもがき苦しんだSALLYの歴史はひっそりと幕を閉じることとなる。しかしながら、ファーストアルバムから自作曲中心の作品を世に送り出すことができた彼らは、ある意味、完全燃焼できた幸せなバンドだったと言えるのではないか。

忘れられた日本のジョンとポール――

確かに、彼らは80年代の日本のビートルズにはなれなかったかもしれない。伝説と呼ぶにしてはマイナーな存在かもしれない。だけど、去年漫才界でおぼん・こぼんが脚光を浴びたように、SALLYも何かの拍子に突然、令和の日本にリマインドされることを私は願ってやまない。想い出なんて言わせはしない。

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2022.12.24
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カタリベ
1972年生まれ
古木秀典
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