田原俊彦のデビュー曲は洋楽カヴァー「哀愁でいと」
I’m Free / 渡辺美里(1985年:ケニー・ロギンス)
今夜はエンジェル / 椎名恵(1986年:ファイヤー・インク)
CHA-CHA-CHA / 石井明美(1986年:フィンツィ・コンティーニ)
Give Me Up / Babe(1987年:マイケル・フォーチュナティ)
Sugar Baby Love / Wink(1988年:ルベッツ)
―― 80年代には洋楽カヴァー曲でレコードデビューを飾ったアーティストは少なくない。単なるキャリアのスタートとなったファクトもあれば、そのままアーティストの代名詞となったエポックもある。そしてもうひとつ。アーティストが備えていた圧倒的な発信力と楽曲が持つパワーが化学反応を起こしオリジナルを凌駕するスーパーナンバーが誕生することがある。
田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)」は洋楽カヴァー曲だった。オリジナルはアメリカのアイドル歌手レイフ・ギャレット。代名詞となった「I Was Made For Dancin’」(1979年)が世界的ヒットを記録、日本では「ダンスに夢中」の邦題で親しまれている。当時ジャニーズの先輩だった川崎麻世が日本語カヴァーし「レッツ ゴー ダンシング」のタイトルでスマッシュ・ヒット、インベーダーゲームのキュンキュン効果音も話題になった。
洋楽ダンスフィーリングをキャッチーな日本語で展開
「ダンスに夢中」を含むレイフ・ギャレットのアルバム『プリンスの週末』からのカットシングル「フィール・ザ・ニード」(1979年)のB面が「ニューヨーク・シティ・ナイト」だった。アルバム未収録曲という希少価値とキャッチー&センチメンタルな楽曲からレイフのファンの間では人気が高くAB面を入れ替えてジャケットも更新して来日記念盤としてリリースしたが残念ながら「ダンスに夢中」を超えるヒットにはならなかった。しかし、その1年後、「ニューヨーク・シティ・ナイト」は新しい時代、80年代のアイドルシーンの扉を開ける記念樹となって新生された。
インパクトのあるコーラスイントロから顔を覗かす田原俊彦の第一声は少し控えめなアレンジが施された(編曲:飛澤宏元)。「♪赤い薔薇投げ捨て それで終わりにしようぜ~」(日本語詞:小林和子)。この時点では “トシちゃん” というキャラがまだ設定できていなかったのか、男らしいヴォーカルインはまさに哀愁。オリジナルのサビフレーズ「♪New York City Nights~」に入る直前に、「♪I say」を付けて「♪Bye-Bye哀愁でいと~」…をなぞった業は秀逸。
さらに洋楽ダンスフィーリングを失速させずそのままにキャッチーな日本語で展開させたことによって、ニューヨークの夜ではなくトーキョーの夜のちょっと哀しいデートのエンディングを演出させた。その主人公・田原俊彦はデビュー曲で彼女と別れたことを公に宣言したことで、次曲から日本中のファンと「♪君と出会うスィートシチュエーション」を謳歌するが、それはまた別のお話。
累積70万枚!田原俊彦最大のセールス「哀愁でいと」
「哀愁でいと」は、1980年6月21日に発売され、6月30日付けオリコンシングルチャートで8位初登場。年間1位曲もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」の10週連続1位に阻まれたが、7月7日付けから5週連続2位(年間10位)を記録、田原俊彦最大の累積70万枚を超えるセールスを突破した。
ハガキリクエスト(40%)、レコードセールス(30%)、ラジオオンエア(20%)、有線放送(10%)で構成されたTBS系『ザ・ベストテン』では7月10日放送回に8位で初登場。もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」に代わり8月28日放送回から3週連続1位(年間6位)を記録した。ちなみに田原俊彦は『ザ・ベストテン』(1978~1989年)通算247回の番組歴代最多ランクイン歌手だ。
田原俊彦は歌いながらダンス! 忘れられない振り付け
飛び切りスマイルのカメラ目線で「♪バイバイ哀愁でいと~」に合わせて手組をかえす振り付けも忘れられない。オリジナルのレイフ・ギャレットはリズムに合わせ腰をふっていたが、田原俊彦は思いっきりダンスした。決めポーズの連続ではなく2分45秒歌いながら踊った。
ジャニーズ・アイドル、強いては80年代アイドルの王道アプローチを誇示。1980年の大晦日、第31回『NHK紅白歌合戦』に初登場、人気絶頂期のたのきんトリオとして応援に駆けつけた近藤真彦、野村義男も一緒に「♪バイバイ~」の振り付けを行いお茶の間のファンをブラウン管に釘付けにさせている。
1980年11月5日、レイフ・ギャレットの「ニューヨーク・シティ・ナイツ」は、今度は「ダンスに夢中」をカップリングしてシングル再リリースされた。ジャケットにはこんなコピーが踊っていた。
「あっという間に、全国を嵐の渦に巻き込んだ、アノ驚異的大ヒット曲!! 待ちに待ったオリジナル盤!!」
レイフ・ギャレットの「ニューヨーク・シティ・ナイツ」がオリコン最高56位を記録したころ、『ザ・ベストテン』でセカンドシングル「ハッとして!Good」が4週連続1位を獲得、すでに “トシちゃん” は次のステージに突入していた。
特集 田原俊彦 No.1の軌跡

2021.08.12