ジャニーズ事務所の原点「ウエスト・サイド物語」
ブロードウェイ・ミュージカル『West Side Story』の2度目の映画化作品『ウエスト・サイド・ストーリー』(監督:スティーヴン・スピルバーグ)が日本で公開されたのは2022年2月のことである。
当時、テレビやWebで展開された同作品のCMには少年隊の東山紀之が出演。東山が映画と現在の社会情勢を重ねて語ったり、最初の映画化作品『ウエスト・サイド物語』(1960年 監督:ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ)を初めて観たときの衝撃を述懐したりと、CMには何種類かのバージョンがあった。また、自らの所属事務所と『ウエスト・サイド物語』の関係についてもコメントしている。
「僕らの先輩のジャニーズが、野球の練習が雨で中止になって観に行ったのが、1961年の『ウエスト・サイド物語』で、その話は伝説として残っていました」
これは、昔から言い伝えられるジャニーズ事務所誕生秘話を語ったもの。もう少し、丁寧にトレースしよう。
少年隊のパフォーマンスにも色濃く反映
かつて少年野球チーム「ジャニーズ」の監督を務めていた故・ジャニー喜多川氏が、雨で練習ができない日にチームに所属する4人の選手を連れて映画『ウエスト・サイド物語』を観に行った。その内容に大いに感銘を受けたジャニー氏と4人はショービジネス界での活動を志すようになる。それがジャニーズ事務所の始まりであり、4人の野球少年こそ所属グループ第一号「ジャニーズ」のメンバーである…… というエピソードがあるのだ。東山は、
「『ウエスト・サイド・ストーリー(物語)』がなければ、今のジャニーズ事務所も存在していなかったかもしれません」
―― とも言っている。つまり、同作品こそ同事務所の “公認原点” といえる存在なのだ。
1961年12月23日に松竹洋画系で封切られた『ウエスト・サイド物語』は超ロングヒットを記録。当時の新記録だった511日間(1963年5月17日まで)の長きにわたり上映されていた。
当時はビートルズが世界進出する以前。東山が「そのファッションから、音楽、ダンス、作品のスピリットまで、『ウエスト・サイド・ストーリー(物語)』はその後の日本のエンターテインメントの基盤になったと思います」とコメントしていたように、この作品は日本のエンタテインメント、ショービジネス、ポップカルチャーに多大なる影響をもたらし、それが連綿と継承され続けることになる。そして、少年隊のパフォーマンスや、デビュー曲「仮面舞踏会」にもそれが反映されていたのだ。
マイケルも松田聖子もたのきんも影響下に
「仮面舞踏会」のリリースは1985年12月だ。当時はレンタルビデオの普及前夜であり、20年以上前の映画である『ウエスト・サイド物語』もさすがに“若者なら誰でも観ている作品” ではない。ただし、80年代の若者は頻繁に “『ウエスト・サイド物語』的要素” に触れている。なぜなら、作品の影響下にあるスタッフ、関係者がエンターテインメント業界の第一線で活躍していたため、いろいろな場面で『ウエスト・サイド物語』的なダンスやファション、デザインが散見されたからである。特に、監督兼振り付け師のジェローム・ロビンスがクラシックバレエをベースに生み出した独特のダンスは、何度もくりかえし引用された。
松田聖子は1981年に、『ウエスト・サイド物語』の登場人物たちが履いていたバスケットシューズを思わせる「WEST-SIDE」(月星化成 現:ムーンスター)という商品のCMに出演。そこでは聖子とダンサーがそれらしいセットの前で、それらしいダンスを踊っていた。
「たのきんトリオ」(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)の主演映画『ブルージーンズ メモリー』(1981年 監督:河崎義祐)や『ハイティーン・ブギ』(1982年 監督: 舛田利雄)には、大人数の若い男女が突然踊りだす『ウエスト・サイド物語』的なミュージカルシーンが組み込まれていた。
これは国内に限った話ではない。もっともわかりやすい例がマイケル・ジャクソンだ。「今夜はビート・イット」のMVは『ウエスト・サイド物語』のオマージュであることは一目瞭然であるし、他の楽曲のダンスにもその影響がみられる。
デビュー前から“公式原点”を体現していた少年隊
錦織一清、東山紀之、植草克秀の3人組ユニット “少年隊” はレコードデビューする以前から、多くのメディア露出を果たしていた。その活動のなかにも、やはりジャニーズ事務所の “公式原点” である『ウエスト・サイド物語』的要素を見つけることができる。
たとえば、初主演映画『あいつとララバイ』(1983年 監督:井上梅次)にもミュージカルシーンが当たり前のようにあり、うっすらだが『ウエスト・サイド物語』的なダンスがみられた。
NHKの音楽番組『レッツゴーヤング』で、事務所の先輩であるフォーリーブスの『急げ!若者』を、『ウエスト・サイド物語』風の衣装、ダンス、セットでミュージカル的な寸劇も加えて歌っている。
同年代のシブがき隊と違い、少年隊のメンバーはじっくりと育てられた。レコードデビューを急がず、スキルアップに時間をかける戦略がとられたのだ。アメリカで最先端のエンターテインメントを勉強する機会も与えられたという。こうした点からも、少年隊に対しては「もっともジャニーズ事務所らしいアイドル」「ジャニー喜多川氏の理想を具現化したグループ」という評価があった。彼らをプロデュースする上で、“公式原点” の要素が取り入れられたのは自然なことなのだろう。
「仮面舞踏会」の間奏にはシャーク団風の動きが
「絶対に売る!」というスタッフの熱意が伝わってくる少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」(作詞:ちあき哲也、作曲:筒美京平、編曲:船山基紀)の楽曲そのものには、冒頭の「TONIGHT」という歌詞以外はベタに “公式原点” にリンクする要素はない。リンクされているのはダンスだ。
通常、「仮面舞踏会」のフルバージョンでの歌唱時、3人は1コーラス目でマイクスタンドを使用する。そして、サビでそのスタンドを蹴っ飛ばし、以後はマイクを手に持って(あるいは床に置いて)よりアグレッシブに踊り続けるという流れになっている。とくにダンスの大きな見せ場は間奏だ。ここで、「バットマン」と呼ばれる両手を広げて片足を大きく上げるアクション…… ジョージ・チャキリスらシャーク団のメンバーが映画の冒頭で見せるアレが、「当然、やるでしょ」という感じで披露されるのだ。
他にも、『ウエスト・サイド物語』を思わせるクラシックバレエ風のシークエンスはいくつかある。また、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)ではジャニーズJr.を従えて、「仮面舞踏会」の間奏ダンスを完全に『ウエスト・サイド物語』風にアレンジしたバージョンをみせたこともあった。
元ジャPAニーズのボビー吉野が担当した「仮面舞踏会」の振り付けには、さまざまなダンスの要素がミックスされており、『ウエスト・サイド物語』とイコールで語るのは正しくはない。ただ、「バットマン」を取り入れている以上、原点回帰のニュアンスがゼロだったとはとても思えないのである。
その後、少年隊は6枚目のシングル「君だけに」(1987年6月)では、「バットマン」と並ぶ『ウエスト・サイド物語』の象徴的なパフォーマンスである、「フィンガースナップ(いわゆる指パッチン)」を導入した。
また、ミュージカル活動を特化させた彼らは、ついには『PLAYZONE 2004 WEST SIDE STORY』という公演を実現。東山がトニー、植草がベルナルド、錦織がリフを演じている。「仮面舞踏会」から20年近くが経過し、メンバーはすでに30代後半を迎えていたが、やはりジャニーズ事務所でこのタイトルのミュージカルをやる以上、メインキャストは少年隊以外に考えられなかったのだろう。
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2022.09.30