安全地帯。
玉置浩二という天才を中心に多くの名曲を残し今も最前線で活動しているバンド。
先のコラムにも書いたが、僕は安全地帯大好き人間である。そして「ワインレッドの心」に僕は忘れられない想い出がある。
僕はギター少年だったので、小さい頃から大好きな安全地帯や昭和の楽曲をコピーしていた。ギターを教わりながら父が学生時代にバンドを組んでいた話を聞き、父の当時のバンドメンバーもよく家に遊びに来てくれていたので、僕も中学生になったら “バンドを組んで沢山の楽曲を友人たちと奏でるんだ” そう夢みて一生懸命練習した。
そして、中学になって友人を誘ってバンドを組んだ。ギターを弾いた事もない友人には僕の父が先生になって教えていた。練習曲はもちろんフォークや昭和を代表するバンドの曲ばかりだった。
1年間みんなで練習して、中学2年生の文化祭の日がやってきた―― 小学生から練習していた僕は演奏には自信があった。僕等の前にやった先輩たちは B'z を演奏していたが、僕等の方がイケてると感じていた。満を持して友人4人と演奏を開始する。
1曲目は安全地帯の「ワインレッドの心」。そして、2曲目がチューリップの「魔法の黄色い靴」だった。ドラムが多少走っているが問題ない。僕等はやれていた。だが、演奏している時に違和感を感じた。
反応がびっくりするほど薄い。
周りを見渡すと先生達は笑顔で手拍子している。特に教頭先生なんか泣きそうな顔している。問題は同年代にはまったく響いていない事だった。そう、MCで曲の説明をしている時から怪しかった。
「安全地帯? 田園の人?」
「財津和夫? ドラマの歌の人だ。サボテンの花の…」
温度差が異常だった。完全に僕等の演奏は浮いていた。演奏しながら、曲目を攻めすぎたのかな? チューリップはやりすぎたかな? 次回はもうちょっと有名な曲にしよう。とか考えてた―― 演奏が終わって肩を落としてメンバーと壇上を降りると教頭先生が駆け寄って来て褒めてくれた。先生たちの評価は凄く高かった。僕は嬉しかったけどメンバーは微妙な表情をしていた。反省会でメンバーの一人が言った。
「もうこのメンバーでバンド辞めよう」
「えっ? なんで? 曲目変えようや。もっと有名な曲にすればいいやん。青春の影とか。あっ! 甲斐バンドのヒーローとかどげん? 盛り上がるんやない?」
「そういう事じゃないんよ! 見たやろ、みんなの反応…」
「先生たちは、喜んどったね」
「だから! 先生たちに喜んでもらっても意味ないやん!」
「俺たちはモテたいんよ。お前の選んだ曲ではモテんやん‼」
解散の危機だった… というか僕が抜けさせられる展開になっていた。ちょっと泣きそうになりながらメンバーに聞いてみた。
「じゃあ、何やったら続けられると?」
「GLAY とかラルクやない? お前はスコア見せたら嫌がったけど」
「わかった。来年に向けてみんなで練習しよう。バンド辞めるとか言わんでよぉ」
こうしてどうにかバンド解散とハブられる事は回避出来た。僕は家に帰って父に泣きながら話をした。すると父は――
「そうやろう。ははは、学校でコピーバンドするなら。みんなが分かる曲をしないとな。絶対に先生とかしか、わからんと思っとったぜ!」
唯一の理解者だと思っていた父にも大爆笑され、その日から僕は歌謡曲の演奏を辞めた。今、想い出しても胸がキューッとなる。
自分が好きだからって、みんなが好きだとは限らないという事を僕はバンドから学んだ。ちなみに中学3年の時にやったビジュアル系のコピーは同世代の反応もよくバンドは大成功。先生たちは少し残念そうだったけど…
あれから20年が経ち、今は小さなライブハウスでたまに練習もしていて、解散の危機もなく楽しく昭和歌謡を歌ったりしている。
2018.07.18
YouTube / hakuryu dorakue
YouTube / kidon hicchi
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