31年前の今日、1987年(昭和62年)8月31日月曜、『夕やけニャンニャン』は最終回を迎えた。1985年4月の放送開始から2年5か月で幕を下ろすことになったのである。 実は僕は『夕ニャン』は最後の1987年しか観ていない。別稿でも書いた通り前年11月に家を出た僕にとって、『夕ニャン』は採点等のバイトに明け暮れる合間の友となった。彼女どころじゃなかった僕にとって、遅ればせながらおニャン子は「ブラウン管の中の彼女」になった。そして半年余りで僕は『夕ニャン』とおニャン子の「最期」を見届けることになったのだ。 10日前の8月21日、おニャン子クラブは9枚めにしてラストシングルとなる「ウェディングドレス」をリリースした。メインヴォーカルは富川春美(会員番号14番)、永田ルリ子(同18番)、白石麻子(同22番)、横田睦美(同28番)、布川智子(同33番)。 作詞はもちろん秋元康。「知らない街の教会」に「2人で駆け込ん」だのだから駆け落ちなのかも。「きっといつの日か 今のこの気持ち わかってくれるでしょう」という歌詞もある。「青空のウェディングドレス 風に揺れるそのたびに 木洩れ陽は 白い花びら」という素敵なフレーズこそあるものの、全体的には比較的オーソドックスな結婚ソングだった。 作曲は高橋研。中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」の作詞作曲で知られ、おニャン子クラブにも「じゃあね」「真っ赤な自転車」「夏休みは終わらない」といった優れたポップチューンを提供してきた。この曲も清々しいばかりにメロディーが美しい。名手佐藤準のキラキラしたアレンジと相まって、おニャン子の最後に相応しい佳曲となったと言えるだろう。 しかしおニャン子のシングルとしては真っ当過ぎたのかもしれない。光GENJIのデビュー曲「STARLIGHT」とリリースがほぼ重なったこともあり「ウェディングドレス」は最高2位に終わる。3枚めの「じゃあね」以来続いていたシングル連続1位も6曲でストップ。図らずもおニャン子の終わりを告げる結果になってしまった。 最終回は『夕やけニャンニャンファイナル』と銘打ち、いつもの17時からではなく16時から2時間の放送。早速「セーラー服を脱がさないで」が歌われた後は、名物コーナーと名場面で1時間半が過ぎる。この間、歌われたのはアルバムからの名曲2曲「真っ赤な自転車」と「夏休みは終わらない」だった。 そして大竹まことが中原中也の「別離」を朗読しスタジオの空気は一転。CM明け、第6回卒業式が始まった。在籍メンバー全員が卒業。卒業証書を受け取った後に涙ながら歌ったのは第1回卒業式から定番化していた「じゃあね」だった。 この後在籍メンバーを代表し永田ルリ子が、そして卒業生の国生さゆりが挨拶したのだが、この時ようやく「ウェディングドレス」のインストが流れた。しかし続いてメンバーが涙々で歌ったのは前年のサードアルバム『PANIC THE WORLD』からの「瞳の扉」。作曲はこれまた高橋研だった。在籍メンバーがスタジオを退場し番組は終わる。「ウェディングドレス」は遂に歌われなかった。 3週間後9月20日の国立代々木第一体育館でのコンサートでおニャン子クラブは正式に解散した。この時も「ウェディングドレス」は、本編最後から2曲めの「じゃあね」よりも4曲も前に歌われたのだった。 卒業ソングとしてある程度定番化した「じゃあね」に対し「ウェディングドレス」は歴史に埋もれてしまった。それは両曲のリリース時のおニャン子の勢いの差もあるだろう。結婚ソングでフィナーレとはやはり身も蓋も無かったかもしれない。しかし「ウェディングドレス」は歴史に埋もれさせるには惜しい魅力をたたえていることも確かである。 それにしても『夕ニャン』最終回で歌われた5曲の内、3曲をアルバムからの曲が占めるとは、如何におニャン子クラブが音楽的にも充実していたかを物語っているではないか。 大人たちが精一杯「遊んだ」のがおニャン子クラブだったのだ。そしてこの精一杯「遊ぶ」ことが正に’80年代のマインドではなかっただろうか。「ウェディングドレス」にはこの「遊び」が少し足りなかったのかもしれない。 カタリベ本田隆さんが別稿で語った「夕方5時の革命」はこうして幕を下ろした。この後夕方5時に革命的なバラエティは生まれていないし、もう生まれることもないであろう。
2017.08.31
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