今ふりかえると、80年代は、洋楽プロモーションビデオが日本全国のお茶の間へと浸透した時代であった(邦楽はまだベストテン番組が全盛で、PVはほとんど無かった)。
音楽を広めるために映像が必須になる − その地殻変動の始まりが、テレビ朝日系で放送された洋楽番組『ベストヒットUSA』であったことに、異論を唱える人はいないだろう。
81年4月から89年9月まで8年半、まさに80’sを代表する洋楽番組として君臨し、いったん終了後も現在までBSで断続的に放送されている。番組開始は1981年4月なので、同年8月に開局したMTVより4ヶ月も早い。
VJの小林克也は、顔出しのテレビの仕事には当初はあまり乗り気ではなく、どうせ短期で打ち切りになるからと渋々ながら引き受けた。それが今や彼の代名詞・ライフワークの看板番組となってしまったのだから、人生は分からない。
元々は、「タイヤ市場でのシェア拡大のため、若者むけ洋楽番組を作りたい」というブリジストンの意向を受けて、広告代理店の博報堂が、冠スポンサー付き企画をテレ朝に持ち込んだのが始まりである。
だから正式タイトルは『BRIDGESTONE SOUND HIGHWAY ベストヒット USA』なのだ。番組制作は東北新社。
ただし、あの有名な「レコード盤ドミノ倒し」のタイトルバック映像は、別発注である。これは古くからテレビ業界ではよくあること。オープニングやエンディングは、ストーリーよりもイメージ重視、何度も繰り返して見られるため、短時間に要素を詰め込むCM的なセンスが必要となる。
制作したのは、米国の Spirit Enterprise 社。伝説のダンス番組『Soul Train』の制作にも関わっていた会社だ。あの細かい映像編集は、当時の最新技術を駆使したもので、今のCG技術をもってしても、相当に面倒な代物である。
我々の度肝を抜いたタイトルバックにつける曲を選んだのは、上津原伸介ディレクターである。輸入レコード店として有名だったCISCOで、上原ディレクターが自ら見つけて来たのだという。実は、候補は2曲あったらしい。
707というグループの『live without her』、そしてヴェイパー・トレイルズの『Don't Worry Baby』。結局、日本人好みの爽やかコーラスの後者に決まった。
ヴェイパー・トレイルズのアルバムが発売されたのは、番組より2年前の79年。イギリスのセッションミュージシャンによる音楽ユニットで、主要メンバーはジョン・マクバニー(g, vo)とアンディ・ダルビイ(g)、フィル・カーティス(b)の三人。
内容はスティーリー・ダンみたいな音作りで、それもそのはず、プロデュースは名ギタリストのラリー・カールトンで、彼のプライべート・スタジオ「ルーム335」で録音され、マイケル・オマーティアン(key)、ビル・チャンプリン(vo)、パウリーニョ・ダ・コスタ(per)、トム・スコット(sax)ら米国LAの一流ミュージシャンたちが参加した。が、全く売れず、この1枚でユニットは解体される。
面白いのは、ココからだ。
テレビ番組の人気に便乗して、日本盤を急遽リリースしようという話になった。しかし、元のLPジャケットはどうみても地味。そこで一計を案じた日本のポリスターレコードは、ジャケットをはじめ、音以外を丸ごと変えてしまうのである。
『オータム・ブリーズ』という爽やかアルバムタイトル、秋のはずなのに夏のリゾートっぽい海の写真。例のテーマはUK盤では2曲めだったのに、日本盤ではA面トップに配置がえ。
そればかりか『サーフサイド・フリーウェイ / Don't Worry Baby』と曲名をチェンジ。極めつけはバンド名まで『V.T‘s ヴィーティーズ』と違う! あざとすぎるぜ‼︎
まだ話は終わらない。日本向けと思われるナゾのPVがあるのだ。これがまたヘンテコで、資料映像みたいなカリフォルニアの風景に、なぜか半裸のクネクネしている二人の若者。BL(Boys Love)疑惑の妄想が広がります。
なんで脱いでるんだよ。これがメンバーなのかPV用モデルなのかも分からない。間奏での木製ギター玩具を股間に持ってのエアギターもなんか意味深ですよねェ…
ちなみに、歌詞には、「サーフサイド」も「フリーウェイ」も出てこない。もう笑うしかない。
2017.06.04
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