もともとは竹内まりやのアルバム用に書かれたメロディとコード進行
テレビや街角で「クリスマス・イブ」が流れてくると、今年も年末だなあという実感がわいてくるようになっている。
いまや日本を代表するクリスマスソングとして定着している「クリスマス・イブ」。最初はクリスマスソングとして書かれたものではなかったことは知っている人も多いかもしれない。
もともとこの曲のメロディとコード進行は、1981年に発表された竹内まりやのアルバム『PORTRAIT』のために書かれたものだった。しかし、結果的にこの曲は採用されないことになったため、1983年に発表された山下達郎自身のアルバム『MELODIES』に収録されることになった。そのアレンジ中に、コード進行や曲の雰囲気にバロックに通じるイメージがあったことから、クリスマスをテーマにした曲として完成させるというアイデアが生まれたということは、山下達郎自身も語っている。
山下達郎の移籍第一弾アルバム「MELODIES」
『MELODIES』は、山下達郎にとって大きな転機となるアルバムだった。彼は1980年に「RIDE ON TIME」でブレイクし、時代をリードするポップテイストを持つアーティストとして脚光を浴びていた。しかし、
「夏だ! 海だ! 達郎だ」
―― というキャッチフレーズに象徴されるような、世の中に期待されるサウンドを再生産していくだけでは、やがて時代に消費されてしまうことを、彼は感じていた。
そんなヒット曲の再生産を期待する圧力を避けるために、彼はそれまで所属していたレコード会社(RVC)を離れ、新レーベル “MOON RECORDS” を設立するなど、それまでより制約の少ないレコード制作環境を整えた。そして、新レーベルへの移籍第一弾アルバムとして1983年6月に発表されたのが『MELODIES』だった。
同アルバムは、時流を意識することをやめて原点に立ち戻り、自分が持っている音楽性に基づいて制作したアルバムだ。だから、その前にリリースされた『FOR YOU』や『RIDE ON TIME』とはかなりイメージが違っている。
ロックンロールのビート、8ビートサウンドで勝負!
まず、注目すべきなのが、収録されている楽曲のなかで、カバー曲「GUESS I’M DUMB」以外は、すべて山下達郎自身が作詞・作曲をしていること。それまでのアルバムでは、詞を吉田美奈子などに託した曲が少なくなかったが、『MELODIES』以降は、ほぼ全曲、詞も自分で手がけるようになる。それによって、アルバム全体に、楽曲に、シンガーソングライター・山下達郎の匂いがより濃く感じられるようになっていった。
演奏面でも、既成のスタジオミュージシャンではなく、青山純、伊藤広規など、山下達郎とライブを行っていた若手プレイヤーを起用したり、彼自身が多くの楽器を演奏することで、個性あるサウンドをつくり出した。とくに『MELODIES』では、それまで打ち出していた16ビートではなく、8ビートのサウンドにアプローチしている。
フュージョンテイストの16ビート全盛の時代に、あえて時代遅れにも見える8ビートにトライする。それは、まさにロックエイジである彼が、流行を追うのではなく、彼が魅了されたロックンロールのビート、今も彼の魂の中で鳴り続ける8ビートサウンドで勝負しようとする決意の表れだった。
時流に左右されない山下達郎の音楽アプローチ
今や誰もが知っている定番曲「クリスマス・イブ」は、そんな山下達郎の “時流” に左右されない音楽へのアプローチから生まれた曲だ。
―― 軽快な8ビートのキラキラしたバンドサウンドは当時のトレンドには無いものだった。どこか懐かしさもありつつ、限りなく新鮮なサウンド。その上に、「クリスマス・イブ」の聴かせどころになっている「パッヘルベルのカノン」の一人多重ア・カペラが美しく響く。試みるどころか、誰も発想したこともないアイデアだった。
当時はア・カペラそのものが、一般的には知られていなかったが、1980年に山下達郎は一人多重録音でつくったア・カペラ・コーラスのアルバム『ON THE STREET CORNER』を発表している。
この『ON THE STREET CORNER』は、当時、あまりにマニアックだということで、1万枚限定という形で発売されたため、入手できた人は少なかったが、聴いた者に大きな衝撃と刺激を与えた作品だった。そのエッセンスが「クリスマス・イブ」のコーラスパートにもブレンドされているのだ。
「クリスマス・イブ」が時代を越えて響き続ける理由
こうして振り返ってみると、「クリスマス・イブ」は、1983年の日本のシーンでは、きわめて大胆な実験精神あふれる作品だった。だからこそ、山下達郎が自分の新たな方向性を探ったアルバム『MELODIES』の最後にひっそり置かれる形で収録されていたのだ。そんな形で生まれた異色作が、1980年代の日本が生んだ最高のスタンダードソングとして愛され続けているという現実は、不思議にも思える。
だが、時流を意識せずにクリエイターの純粋な思いを託して生まれたものだったからこそ、この曲は時代を越えて人々の心に響き続けているのではないかとも思えるのだ。
※2018年12月13日、2020年12月14日に掲載された記事をアップデート
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2022.12.06