2023年 8月19日

T-BOLAN【森友嵐士インタビュー】デビューまでの苦闘!デモテープは5年間ゴミ箱行き

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T-BOLAN【森友嵐士】ロングインタビュー2

前回、T-BOLAN【森友嵐士インタビュー】シングルツアー敢行中!挑戦していたあの感情を蘇らせろ からの続き

90年代に数々の大ヒットを放ったシングル曲の制作エピソード


2021年にはデビュー30周年を迎えたデビュー30周年を迎えたT-BOLANは、現在、最初で最後というシングル・ベストツアー『T-BOLAN LIVE TOUR 2023-2024 “SINGLES” 〜波紋〜』を敢行中。そこで今回、ボーカル 森友嵐士がこのツアーへの思い、そしてT-BOLANの歴史を振り返るロングインタビューが実現。第2回は、90年代に数々の大ヒットを放ったシングル曲の制作エピソードを伺った。

―― 森友さんは、いつからご自身で詞と曲を書くようになったのですか。

森友嵐士(以下、森友):それはドラムの青木(和義)と出会ってからです。それまでは歌いたい曲をカバーしていただけでしたが、青木と会ってバンドを組み、その時のミーティングで、「歌詞はボーカルが書くものだ」と言われたんです。こっちは素直だから「そういうものか。じゃあ俺か。俺が書こう」と。それで、ビーイングのオーディションに合格した後、デビューに向けて動き出すのかと思って、長戸プロデューサーのもとに作った曲をデモテープにして持って行ったんですが、即、ゴミ箱行きでした。それが5年間続いたんです。

―― 厳しいですね。

森友:デモには3、4曲ぐらい作って入れていたんですが、いつも最初の曲を聴き終わらないうちに止められて、イジェクトボタンを押され、ゴミ箱に捨てられました。次の曲もあるのに…とは思うけど、この人がNOならNOだとわかってたし、1曲聴けばその先は聞かなくてもわかるってことでしょう。それで、別の話をし始める、そんなことの繰り返しでした。何がダメなのかは自分で考えろってことなんです。どこまで期待されていたかはわからないけれど、少なくとも俺に火をつけるにはどうしたらいいか、をよく心得ている方なのかな、と。

―― でもそれが延々と続けば、萎えますよね。

森友:そのうち俺も腹が立ってきて、「いつか見てろよ!」という感情が生まれてくるんです。俺はへこたれないし、その行動にも心乱されない。だけど、5年間もそれが続くと、さすがに悩みますよ。

そんなある日、部屋の中で寝転がって、ふっと窓の外を見たら、窓枠に映る景色が空だけだったんです。俺の田舎は空が広いけど、東京って空が小さいんです。その景色を見た時、田舎にいた頃の自分が蘇ってきて、自然と心の迷いや不安、自分の弱い部分が言葉になって浮かんできた。それを書き留めてフレーズを読み返していると、ああ、音楽ってこういうものなのかと、初めて思えたんです。

―― 今までの曲作りとは、やり方が違っていた?

森友:それまではヒット曲の歌詞を資料にして、いい曲を書こうとしていたけれど、答えは見つからない。どうしたらいいのかと悩んでいる時、その空に出会って、今の自分の気持ちが言葉に変わっていったんです。それにメロディーをつけて、できた曲が「Hold On My Beat」。その時に書いた曲の1曲が「離したくはない」で、自分の心にある日記みたいなものに、自分が感じた経験、知っている心模様を描いたんです。

カセットに入れた曲全てが終わるまで、曲を止めなかった。初めて最後まで聴いてくれた




――「Hold On My Beat」はデビュー曲「悲しみが痛いよ」のカップリング曲ですね。「離したくはない」もほぼ同時にできた曲でしたか。

森友:そうなんです。それでもう1曲作って、3曲入ったデモテープを長戸プロデューサーのところに、いつものように持って行ったら、忘れもしない、ラジカセにテープを入れて、1曲目の「Hold On My Beat」が終わるまで、曲を止めなかったんです。初めて最後まで聴いてくれて、3曲全部聴いてくれた。だけど、俺自身は驚いたんですよ。だって、楽曲を作る根底の動機が、今までとは違うということは、俺しか知らないことでしょ? それをプロデューサーが知る由もないのに、なんでこの時は最後まで聴いてくれたのか。おそらく、それまでは1曲目がダメなら2曲目もない。たまたまそれでスタートを切ったとしても続かない、自分の音楽を見つけなければ意味がない、だから継続したやる気を一番起こさせる方法をプロデューサーはやってたんでしょうね。

―― その先は、もう途中でテープを止めるようなことは無くなったんですか。

森友:持って行ってもボツになることは一切なかった。全曲リリースされています。でも、面白いのは、聴き終わると「どう?」って必ず聞かれるんですよ。「いや、いいと思ってるから持ってきてるんです」と答えると「そう、じゃレコーディング入ってくれる」と、いつもそういう会話。面白い人だなあと思いますよ。

プレスを止めろ!「離したくはない」はカップリングにしない




――「離したくはない」は、シングル2作目として、初めて森友さんの作詞作曲でA面になり、ロングセラーを記録し、この曲がT-BOLANのブレイクのきっかけとなりました。

森友:そうですね。でも、「離したくはない」は、当初「悲しみが痛いよ」のカップリング曲だったんです。それでレコーディングを済ませて、マスタリングも終わって、マスターテープをプレス工場に持っていく段階で、最後の音源をプロデューサーに渡す段取りだったんです。その時、長戸さんは海外出張に行くというので、成田空港に向かう車に届けて、「やっとこれで終わった!」と帰ろうとしたら、スタジオに電話が来て「プレスを止めろ!」って。何事かと思ったら、「離したくはない」はいい曲だから、カップリングにはしないと言い出して、「もう1曲あっただろ? あれを大至急レコーディング進めてくれる?」って。

―― それって、プレスの直前ですよね?

森友:今から!? って全員が驚いたけど、プロデューサーを信じていたから、急遽もう1曲の「Hold On My Beat」のレコーディングを完成させて。それで「離したくはない」は次のシングルのA面に昇格したんです。

―― 名プロデューサーの肌感覚が伝わるエピソードですが、そんなドラマチックな出来事が背景にあったとは。

森友:でもその時の俺は判断の基準がわからなかった。だけど「離したくはない」にドラマの挿入歌のタイアップをつけてくれて(フジテレビ系ドラマ『ホテルウーマン』挿入歌)、この使われ方がまたいいんです。セリフがなくなり曲だけボリュームアップしてその場面と流れるんですよ。登場人物の心の様がこの歌詞にリンクして、毎回そういう使われ方をして、曲が一層人々に届くようになった。運の強い曲なんです。時代の流れもあるし、いろいろなことが全て揃わなければ、こうはならなかったと振り返って思いますね。

元貴乃花親方も「離したくはない」でプロポーズ


―― この曲はロングセラーとなり、T-BOLANを代表する1曲になりました。カラオケでこれを十八番にするファンも多いですね。

森友:この曲をプロポーズの代わりに歌って、それで結婚を決めたカップルも多いと聞いています。想いを伝える時、言葉ではうまく話せなくても、この曲をラブレター代わりにしてくれているんじゃないですか。元貴乃花親方(貴乃花光司)も、実はこの曲でプロポーズしたらしいですよ。

―― 92年5月発売のシングル5作目「じれったい愛」はどういう経緯で生まれた曲でしょうか。



森友:そんなことで曲作ってるの!? って言われるかもしれないけど、その前の「サヨナラから始めよう」のシングル打ち合わせのために、プロデューサーにアポを取ってたんです。正直、俺は長戸プロデューサーが大好きで、頭の中をのぞいてみたい、運転手になってずっと近くにいて、会話や行動を観察していたかったぐらい(笑)。だから打ち合わせはいつも最後の時間にしてもらっていたんです。いつもオフィスには人が待っていて、話していても次のアポの時間になると、途中で会話が終わっちゃうのは嫌だから。

ある日、午後7時ぐらいにアポが取れて、結構早いな、と思っていたんですが、なかなか俺の番にならない。7時の約束がもう深夜0時を回ってる。ずっと待ってるのもじれったいなーと思って、待ち時間にギターで遊んで、「じれったい〜」って即興で歌い始めてたんですよ。そうしたらスタッフが来て、「今の、何? 今の歌、良かったよ」と言われ、とりあえず録音しておこうと思い、「うざったい」「目いっぱい」って韻を踏んで歌ってみたら「いいね!」って言うので、そのままAメロ、Bメロと作っていって、まとまった頃にプロデューサーにようやく呼ばれて。そうしたら、「森友、さっき歌ってた、あの曲何? 聴かせてよ」と言うので、ラジカセに録った音を聞いてもらったら「次のシングル、これで行こう」。

―― 長戸さんのアポが予定通りの時間だったら、できなかった曲なんですね。

森友:でも、曲ができるきっかけって、そんな他愛もないことだったりするんです。時間をかけて作ったものがシングルになるとも限らない。むしろ、さらっとできた曲の方が、まとまりがいいかもしれないですね。

女性スタッフにプレゼントするつもりで作った「Bye For Now」




―― 次のシングル「Bye For Now」については。

森友:僕が所属していたレコード会社は、できたばかりの会社で、いろんなことに挑戦しながら、チームとして盛り上がっていき、アーティストもスタッフもみんな一緒に階段を駆け上がっていくような、仲間意識があったんです。でも2年目が過ぎた頃、リーダー的存在だった女性スタッフが海外に行くと言い出した。その理由は、自分の中の道具を使い切っちゃって、次の力をつけるために海外でいろんな経験をしたいと。それなら俺も、帰ってきたらまた一緒に仕事しよう、待ってるからね、と気持ちよく送り出すことにしたんです。でも、せっかくだから旅立つ前に、彼女に曲をプレゼントしたいと考えた。プロデューサーもその話は知っていて、ある時、曲ができたのでプロデューサーに聴いてもらったんです。ギターを借りて歌ったら「次のシングルそれで行こう」(笑)。

―― 例によって即決即断。

森友:でも、もうワンセンテンス、強いものが欲しいとアドバイスされて、「♪ Oh,Bye for Now ~」の部分は後から作ったんです。だけど、俺はリリースしたくないと言っていたんですよ。そのスタッフ用に作ったのに… という理由ですが、プロデューサーはそこを口説くのが上手くて、「でも、いい曲なんだからみんなに聴いてもらおうよ」って。それで世に出た曲です。

「すれ違いの純情」の時も似たようなことがあって、レコード会社のスタッフとキャンペーンに行った時、スタッフの1人がプライベートな話をしてくれて、5年前に別れた彼女と久しぶりにライブに行く、なんて話をするんですよ。「どういうこと?」と聞いたら、彼女には将来の夢があり、それを達成するために、海外でノウハウを習得したいと。でも彼の方は彼女が大好きだから、離れたくはないけど夢も叶えてほしい、それでカッコつけて「寂しくなるけど、夢を追いかけていけよ」と言っちゃった。だから今でも好きで、再会が楽しみだって言うの。そこで俺がポツッと「すれ違いの純情って感じだね」って言っちゃったの。言った瞬間に「わっ、タイトル来たよ!」。

――(笑)。降りてきちゃった。

森友:それで、家に帰って歌詞を書きながら、キープしていた曲があったので、それに合わせてみたら、ピッタリはまった。頑張って弾き語りでデモテープに収めて、次の日、そのスタッフに聴かせたんです。で、サビが来た瞬間、「えっ?」ってすごく驚いた顔になる。もうその顔が見たいんだよね!(笑)。そうやって誰かの経験が音楽になって生まれる。それが俺の音楽なんです。いつも自分の心が動くものを探していて、その作りたいという欲求を持ち続け、心に触れたものを逃さず音楽にしていった3年半でした。



手売りだけで渋谷公会堂まで行きたかった


―― 出す曲が次々とヒットチャートを賑わしていた状況を、実感したのはいつ頃なんでしょうか。

森友:売上など数字的なものはスタッフから報告されるけど、数字で言われてもピンと来ないんです。やっぱり実感としては、メジャーになって初めてライブをやった時ですね。ただ、ライブもアマチュア時代から、ファンを増やすために、俺は手売りでチケット1,000枚売っていたから。

―― 手売りで1,000枚!

森友:本当はね、手売りだけで渋谷公会堂まで行きたかったけれど、どうしても1,000枚以上はいかない、自分の力でやれるのはここまでだった。それで、メジャーデビューした次の年に、東名阪でファーストツアーをやって、その時、東京は日清パワーステーションだったけど、発売即完売だった。でも、俺たちにはそれがどういうことなのかわからなかったんです。また、手売りでチケット売ろうと思ってたんだから(笑)。だけど、その時のパワステのステージは今までと全然違っていました。

―― アマチュア時代のライブとは全然手応えが違っていたんでしょうか。

森友:アマチュアも5年やっていたら、仲良くなるお客さんも出てくるじゃない? ライブが終わった後に話したり、前の方の何列かはいつも見た顔だったり。でもパワステの時は、そういう「いつもの感じ」が見当たらない。お客さんは見たこともない表情でこっちを見ていて、イントロが始まった瞬間、オールスタンディングの会場が波打ってる。「なんだこのエネルギーは!」と思いましたよ。俺たちはアマチュア時代から何も変わっていないのに、メジャーデビューするってこういうことなのか、と。お客さんがワーッ!とこちらに向かってくる感じは、初めて目にする光景でした。

―― 振り返ってその3年半、森友さんにとってはどんな時間でしたか。

森友:たくさんの出来事がいっぱい詰まった、充実した3年半です。家に帰ってベッドまで辿り着けず、廊下で寝たことも何度もあった。寝る時間がもったいないくらいクリエイティヴしている時間が楽しかった。全然辛くなかったし、もっと時間が欲しい、もっとやりたいという気持ち。でも、当時のビーイングのスタジオってみんなそんな感じでしたよ。いいスパイラルがあり、俺たちもそこで立ち止まっている時間はなかった。物事が回る時ってそんな感じなんだよね。曲がリリースされるたびに嬉しくてたまらない。次のシングル、その次のシングル…と、世の中に自分の作品を出してもらえている喜びがありましたから。


次回、T-BOLAN【森友嵐士インタビュー】できるできないじゃなく「やりたいかやりたくないか」だ につづく

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