2023年 8月19日

T-BOLAN【森友嵐士インタビュー】できるできないじゃなく「やりたいかやりたくないか」だ

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T-BOLANライブツアー「T-BOLAN LIVE TOUR 2023-2024 “SINGLES” 〜波紋〜」開催日(初日)
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T-BOLAN【森友嵐士】ロングインタビュー3

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バンドが再結成に至るまでの長い道のり、そして今後の展開について


現在、最初で最後というシングル・ベストツアー『T-BOLAN LIVE TOUR 2023-2024 “SINGLES″ 〜波紋〜』を敢行中のT-BOLAN。今回、ボーカル森友嵐士にインタビューを行い、これまでの歴史を振り返ってもらったが、最終回となる第3回は、自身の声の不調による解散と、バンドが再結成に至るまでの長い道のり、そして今後の展開について、思いの丈を語っていただいた。

―― 現在、シングル全曲を歌うライブツアーを開催中ですが、90年代に発表した数々のシングル曲を、現在の気持ちで歌って、当時とは意識が変わったという曲はありましたか。

森友嵐士(以下、森友):それは、作った時よりも曲に込めたメッセージが、自分の中で深くなっているものもあるということです。たとえば「愛のために愛の中で」という曲などは、それを感じますね。この曲、よく20代で書いたなと思っている。90年代に出した曲だけど、もう1回、今リリースして発信したい曲ですね。

―― スケールの大きい歌ですね。

森友:そうですね。この曲のタネは、個人的なことでできているんだけど、今、発信したい言葉が入っている。俺は、曲も1つの人格みたいなものだと考えていて、曲が自分の子供だとしたら、成人していった、そんな感覚です。自分で作ったのにおかしな感じだけど、自分でもこの曲をリスペクトしているんです。

―― それは、楽曲が作り手の手を離れて、聞き手のみんなのものになっていった、ということもあるのでは。

森友:そういうところは確かにありますね。俺、ヒット曲ってすごいんだなと感じた瞬間があって、それは、日本青年会議所(JC)の全国大会で、奈良の東大寺大仏殿前で歌った時。俺たちはシークレットゲストになっていたので、奈良で歌うのに前乗りしたら、新大阪で足止めされるんですよ(笑)。奈良に行ったら誰がゲストで来るかわかっちゃうからって。でもこちらからすれば、いつものファンの人たちじゃないし、どんなお客さんが来るかもわからない。お客さんの方も誰が来るのか、何を歌うかもわからない。それで、当日、ピアノとチェロだけのシンプルな編成で、「Bye For Now」を歌ったら、会場を埋め尽くした2万人の、ほぼほぼ男性のお客さんたちが、肩を組んで歌いはじめたんです。全員の大合唱になって、その光景に唖然とした。ああ、ヒット曲ってこういう力があるんだと、客観的な感動がありました。



99年にT-BOLANは解散、そこに至った理由とは?


―― 前回までは、デビューして3年半の、怒涛の時間をお話しいただきましたが、その後森友さんが喉の不調を訴え、心因性発声障害と診断され、99年にT-BOLANは解散します。

森友:解散に至った理由は、ひとえに俺の喉の不調です。他のメンバーにとっては、良くも悪くも俺の回復を待つ状態になるし、俺が歌えない状況でT-BOLANをやりたいと言っても、動かせない。それで他のことにスタートを切れないメンバーがいたんです。実際のところ、声が出なくなってから解散まで5年かかったのは、病名がわからなかったから。医者に行っても答えが出ないから、いつ治るかもわからない。それでみんな、なんとなく俺の回復を待っていた。最後のドクターに会った時、心因性発声障害という病名を言われ、治る可能性は低いとまで言われました。俺はそうは思っていなかったけど、その診断で、いつまでかかるかわからないことにメンバーを振り回すわけにはいかないな、と。それぞれの人生もあるし、他のバンドを作ってもいいわけだし。それでメンバーを説得したんです。

―― それで森友さんはリハビリに入るわけですね。

森友:ただ、その時の俺の次の目標は、T-BOLANの復活しかないわけです。でも2〜3年はかかるだろうなとは思っていたけれど、14年もかかるとは思っていなかった。それで東京を離れて、暮らしは富士のアトリエに移りました。やっぱり東京は雑音が多い。それに、仲間たちのヒット曲が街中で流れるのを聴くと、昔のように仲間たちの成功を喜べなくなる自分がいた。「あいつ、いい曲作ってるじゃん」とか、「今度の新曲、いいよね」という会話ができなくなって、なんで俺ばかりこんな目に遭うんだと、そんな考えになるのも嫌だった。音楽を聴きたくなくなったし、そんなネガティブなことを考えている時間が邪魔だった。それで拠点を移したんです。

2012年再結成のきっかけは、前年の東日本大震災


―― 2012年に、一度再復活を遂げていますが、この時はどういう状況だったんでしょうか。

森友:きっかけは前年の東日本大震災です。世の中にはいつか突然、亡くなってしまうことがあるんだなと。自分の命も、誰の命も保障されていない、ということは「いつかやろう」は意味がない。ソロ活動は始めていたけれど、「いつか」やるべきことは、やはりT-BOLANしかない、と思った。でも、メンバー4人全員が同じ気持ちにならないと、再結成はできない。いきなり俺が戻ってきて、やりたいと言っても、それぞれの生き方はそんなに簡単に変えられないだろうと思った。それに、メンバーがいろんな状況で「やりたいか、やりたくないか」ではなく、「できるか、できないか」でジャッジをしているんだとも思った。でも、みんなに会ってみないと始まらないから、とにかく話をしようと、山中湖の音楽スタジオを3日間借りて、そこでパーティする感覚で会うことにしたんです。特に理由も話さずに「たまには集まろうぜ」「よかったら楽器持ってきてよ」と話してね。

―― それは最初にお話しされていた、長戸プロデューサーのやり方に似ていませんか?

森友:だんだん長戸さんに似てきちゃったんだよね(笑)。それで山中湖に着いたら、俺が最後で、もうみんな音を出してた。最終日のお昼ぐらいに時間をとって、東日本大震災のこと、人はいつか亡くなってしまうこと、それで「もしも、4人で一緒じゃないとできないことがあったら、やりたいことをやらないか?」と話したんです。4人の意見が重なったのは、解散ライブもしないで、うやむやに終わらせたことがファンに対して心苦しいし、自分たちもスッキリしない。だから、ラストライブをやろうと。そのことをビーイングに話したら、「“BEING LEGEND Live Tour” というのをやるから、そこに参加しないか?」という話でした。それで全国を周り、その後T-BOLANの単独ツアーを大阪オリックス劇場(旧:大阪厚生年金会館)と渋谷公会堂を最後にしようと決まったんです。それが2014年のことでした。



俺たちはもう1回、音楽シーンでの挑戦をして、その結果、4人が集まってやる


―― ファンの前に、T-BOLANとして久しぶりに立った、その時の感想はどんなものでしたか。

森友:以前やっていた時と、変わらない人たちが集まってくれて、それは本当に嬉しかった。ファンとアーティストって、恋人同士みたいなところがあるじゃない? 解散の時も、病気とか理由を話していないし、「ちょっと旅に出るわ」ぐらいの感覚で、突然いなくなった感じだよね。まさかそれから14年もかかると思ってなかったから。旅は長かったけれど、突然戻ってきて自分勝手に「元気だったか? ご飯行こうよ」って感じなのに、それでもお客さんが来てくれたの。それは何より嬉しかったです。

――そこで、ライブの手応えを感じながらも、そのままT-BOLANを継続しなかったところが、意外にも思えました。

森友:メンバーはやりたいって、言い出したんですよ。ライブをやってみたらすごく気持ちが良かったから。でも、そりゃ実家に帰れば居心地がいいじゃない? T-BOLANって実家みたいなものだから。でも、俺はそれはないと思った。T-BOLANを継続するなら、踏まなければいけない時間がある。結局みんな、まだ「挑戦しきれていない」と思ったんです。継続に向かうなら、俺たちはもう1回、音楽シーンでの挑戦をして、その結果、4人が集まってやるなら、それはすごいことになると思った。面倒臭い話かもしれないけど、その時がきたら完全復活だと。そういうことを踏まえてそれぞれの活動に入った、その矢先に上野がくも膜下出血で倒れて、後遺症が残ってしまったんです。

―― 退院までは1年かかったそうですね。

森友:でも、退院しても上手く喋れないし、指も思うように動かない。そんな状況で、上野は何かしたいことがあるのかなあ、と思い、やりたいことを聞いてみたんです。そうしたら「ライブがやりたい」と。それも1年以内に。無茶言うなあ… と思ったけど、それが上野のリハビリの力になり、目標になるならと思い、2016年の大晦日に、一夜限りの再結成をしたんです。でもその1回限りで終わってしまったら、上野の目標はどうなるんだろう?と、考えて、誰にも相談せず(メンバーにも)カウントダウンライブのステージで完全復活を宣言しました(笑)。そして2017年から現在に至るまでT-BOLANは継続的な活動を続けているんです。



ステージで受け取る喜びは他には変え難い


―― 本当に山あり谷ありの歴史ですが、お話を聞いていると、T-BOLANはやはりバンド、それも生粋のライブバンドだな、という思いを強くしました。

森友:ライブをしている時間以上のものは、俺たちにはないんです。ステージで受け取る喜びは他には変え難い。生きている中で、とてつもない時間なんですよ。でも、それは見に来てくれるお客さんのエネルギーを受け取っているから。ライブって生き物なんですよ。演者の側がいいと思ったライブでも、観客からしたらそうでもない時もあるし、その逆もある。同じセットリストでやっていても、1回ごとに違う。最高のライブって、終わった後、今何をやってたかわからないくらい、何も覚えていない状態の時。そんな奇跡みたいな1日は、1年に1回、あるかないかです。でも、それは自分で作れる領域ではない。俺たちが出せるものが100だとしたら、それ以上のもの、150や200になるのは、ファンのみんなからもらっているものなんだよね。



「できるか、できないかじゃなく、やりたいか、やりたくないかだ」という言葉が一番響いた


―― では、最後にRe:minderの読者に向けて、メッセージをいただけますか。

森友:今、ツアーで客席に降りて練り歩きをして、みんなの顔を見ていると、いい顔しているんですよ。やっぱり人生も後半戦に入ると、だんだん疲れてくるんだけど、でもライブでの顔は全然違うの。この顔が今、あるなら大丈夫だよ、と。それをもう一度みんなと共有したいよね。それに最近は、お母さんがライブに娘を連れてくることも多いみたいで、この間ラジオのリスナーの方から、手紙をもらったんです。娘を一緒に連れて行ったら、最初は付き合いのつもりが、ライブ終わったら「やばくない!? やばくない!? 」って興奮したらしくて(笑)。それも、「できるか、できないかじゃなく、やりたいか、やりたくないかだ」という言葉が一番響いたんだと。俺は、そんな若い世代に伝えるつもりじゃなかったけど、20代でもその言葉に刺さるんだとビックリしました。

―― そのメッセージに、年齢は関係ないんですね。

森友:今の若い子は、情報だけは俺らと同じぐらい持っていても、経験は少ないし、時代は失敗を許さないから “できること” だけをやってるんだろうね。そうじゃなかったら、その言葉が若い子に響くわけがない。でも、響いたってことは、普段からできることだけをジャッジしてるんだろうな、と逆に思った。でもさ、世の中に偉業を成し遂げた人って、実は失敗ばかりしているんだよ。“できるか、できないか” で判断する人間に、凄いことなんかできないよ。失敗を恐れない人たちの挑戦が、凄いことを生む。それなら、「俺らの世代がもっとアホになろうぜ! いい年してまだそんなことやってるの? と言われるぐらい夢見て行こうぜ!」と思ってる。その背中を子どもに見せていかなきゃいけない。今のツアーも「タイムリープ」がキーワードですから、そんなつもりで毎回、叫んでいます。




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