2022年 5月28日

TRF・DJ KOO インタビュー ① 音楽のルーツは昭和歌謡、その後はハードロック一直線!

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新宿のディスコからご自身のキャリアをスタートさせ、TRFで国民的ヒットを連発。現在では本業の傍ら数々のバラエティ番組にも出演するDJ KOO。DJという職業を全国的に認知されたその功績は計り知れない程大きい。5月28日はこれまでのDJとしてのキャリアを集大成したイベント『昭和ジェネレーションパラダイス』が開催される。このタイミングに音楽と共に生きたDJ KOOの半生を語っていただくロングインタビューが実現。生粋のエンターテイナーの音楽的背景と当事者が語るディスコカルチャーのすべてがここにあります。

第1回
ロック少年からディスコDJへの転機


幼少期の音楽体験


― 今回は新宿のディスコでDJをやられていた話と開催が間近にせまるイベント “昭和ジェネレーションパラダイス” についてなど、80年代から現在に至るまでのKOOさんのスタンスや活動歴についてもお聞きできればと思います。

DJ KOO(以下KOO):よろしくお願いします。

― まずDJになられる前はロック少年だったいうことですが、幼少期からの音楽体験について教えてください。

KOO:僕は幼い頃、それこそ幼稚園に入る前から実家がスナックをやっていまして、店にジュークボックスやレコードプレーヤーがあって、当時は昭和歌謡ですね、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」だとか、ロス・プリモスとか、そういうものが流れていたんですけど、そのスナックの2階が自宅だったんです。
そのジュークボックスに入れるレコードというのをレコード屋さんが来て定期的に変えるんです。そのレコードが押し入れにもあったりしたものだったので、「これがドーナツ盤のレコードなんだ」って眺めてみたり、自分もゴジラとかの特撮映画が好きだったんで、そのソノシートをスナックのレコードプレーヤーでかけていました。そんな音楽体験から始まりましたね。

― 幼い頃から音楽に親しめる環境にいたんですね。

KOO:店に行くと音楽がかかってる、下から音楽が聴こえるという状態ですね。今思うと、そういう環境ってなかなかないですよね。

― ジュークボックスのレコードはレコード屋さんが変えてくれるんですね。

KOO:入れ替えに来てくれるんですね。セレクトして入れてくれるような感じでした。だから、常にレコードが家の中にいっぱいあるという… 。まさかDJになるなんてその頃は考えてもいなかったので、振り返ってみると、そんな環境に自分がいたんだと思うと因縁めいた節がありますよね。
押入れを開ければレコードがいっぱいあるという風景は、今考えると不思議ですよ

― その風景が今現在まで続いてるということですよね。

KOO:そうなんですよ。

― 当時聴いた音楽の中でKOOさん自身の心に刺さったというか、今でも覚えている印象深い曲とかはありますか?

KOO:フォーク・クルセダーズだと思うんですけど「帰って来たヨッパライ」ですね。「♪おらは死んじまっただ~」という。それが他の歌謡曲と違って、声を早回転させて作っているのが面白いなと思ったし、皆川おさむさんの「黒ネコのタンゴ」ですね。子供の歌唱でヒットしたというのが、すごく印象に残っていました。大人の昭和歌謡に交じって特出したというのが、子供だった自分にとっては印象深かったです。

― すごくDJ的な発想ですよね。回転数を変えた声に注目するところなどは。

KOO:あはは。刺さりましたね。
その後にレコード大賞が始まって、第一回に尾崎紀世彦さんが「また逢う日まで」で大賞を取ったんですけど、それをリアルタイムに見ていて「レコード大賞ってカッコいいんだな!」っていう印象を持ちました。
「また逢う日まで」もスナックで当たり前のようにかかっていた曲だったので、より印象深かったですね。

― やはり、多くの人に突き刺さる曲は、なにか秘密があるのでは… とか?

KOO:本当に子供だったんで、そこまで意識はしてなかったんですけど、自分の好きな曲がテレビのそういう場面で歌われるというのは嬉しかったですね。
あとはグループサウンズですね。タイガース、テンプターズ、スパイダースとかすごく流行っていたので、人気のバンドが解散していくギリギリぐらいまでは覚えています。
だから実際にグループサウンズがテレビに出ている姿を実際に見てきて、スナックでもかかっていたので、カッコいいと思って憧れましたね。

― ロック的なものを感じたということですか?

KOO:他の昭和歌謡とは違いがありましたね。子供の頃はそんなこと考えませんでしたが、今思うと洋楽チックなところがあったという…。お洒落であり大人っぽいっていう聴こえ方がしたんだと思います。
その中でもやはりタイガースが好きでしたね。

― ロックに入るきっかけもグループサウンズにあったということですか?

タイガースをきっかけにロック少年へ


KOO:それはまた逆なんですが、その頃は幼少期だったんで、タイガース、スパイダースぐらいが好きな感じだったんですが、小学校5、6年生になると新御三家、野口五郎さん、西城秀樹さん、郷ひろみさんが凄く人気があって、それと同時に沢田研二も人気があって、クラスでは「誰が好きだ?」って盛り上がっていましたね。そこで僕は沢田研二さんの色っぽさとか、独特の雰囲気に惹かれて…。そうすると、そうだ! この人タイガースなんだっていうのが分かって。じゃあタイガースを改めて聴いてみようと思って、ジュリーも聴いていたし、タイガースも聴いてという。
それでタイガースのアルバムを買ってみたら、それがライブアルバムだったんですね。当時のグループサウンズって自分たちのオリジナルよりも外国のカバーの曲をよくやっていて、英語の曲ばかりだったんですけど、そこで初めてローリングストーンズを知って「あ! カッコいいな」っていうんで、そこから洋楽に入りましたね。

― そこからロック少年になったという。

KOO:なので、沢田研二さんがきっかけで。実際当時の沢田研二さんは井上堯之バンドがバックでやっていたので、その辺の魅力も刺さっていった感じですね。そこでロックに開花してローリングストーンズとビートルズをさんざん聴いてそこからロックのよりハードな部分、陰があるようなソリッドなところがすごく好きになりました。それでハードロックに走りましたね。レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、ブラック・サバス、ジューダス・プリースト… そういうイギリスのハードロックがとにかく好きで、そこに向かってギターを始めて。それが中学生でした。
それから高校生は、ミュージシャンを夢見てましたね。

― ハードロックまっしぐらということで。やはり、陰があるところに惹かれてブリティッシュ系が好きになったということですか?

KOO:そうですね。僕の根幹は70年代なんですけど、国内だとアイドルがだんだん出てきた時期ですよね。ちょうど新御三家と並んで天地真理さん、小柳ルミ子さん、南沙織さんっていう三人がいて、その後 “花の中三トリオ(山口百恵、桜田淳子、森昌子)” が出てきて。でもそっちのアイドルチックなものよりも男のカッコよさみたいなものに僕は美学を感じてずっとロックをやってましたね。
その中でもなぜかボーカリストよりもギタリストのギターを使ったパフォーマンスだとか、そのミステリアスさに憧れて、ギターヒーローになろう!と思ってやっていました。

― それが中学、高校ということですね。

KOO:はい。

― やはり、ライブハウスに出られたりとか?

KOO:コンテストにも出たし、ライブハウスもしょっちゅうではないですが、対バンで出たりもしましたね。

― かなりのめり込んで、ギタリストとしてプロになろうという意気込みがあったんですね。

KOO:ミュージャンになること以外は考えられなかったです。
僕の時代は本当にいい時代で、いろいろな音楽をラジオから聴いたりしてたんで。かぐや姫や風などのフォーク、吉田拓郎さんやバンバンさんも。そういうのをリアルタイムに聴いてきたし、あとアイドルだと、『スター誕生』をリアルタイムに見れた時代だったりするので、ここから出てきたアイドルが華やかに売れていくのを見ていたので、それは今考えると貴重だったなと思いますね。

― たとえば、ロックに夢中になると、歌謡曲なんて… と思っちゃう人もいると思うんです。そういう意識はありましたか?

KOO:それは確かにありました。テレビに出ている人って、やっぱりテレビの人で、出ていない人の方が本当はカッコいいんだっていう、そういう凝り固まった少年だったと思います。

― 僕も、歌謡曲の素晴らしさというのは、後から分かったほうなんです。曲作りなんかもプロフェッショナルで完成度が高いと。今のKOOさんの話を聞いていると、その辺もしっかり捉えてますよね。

KOO:そうですね。だから小学校の頃なんかは、普通に小柳ルミ子さんのアルバムを買ったりとかしてましたし、ジュリーはもちろん、「およげ!たいやきくん」も買いましたし…。それプラス、ローリングストーンズの曲も買ってましたから。

― かなりコレクターであったということですね。

KOO:はい。集めてましたね。ひとつのものを好きになると、追求していくんですよね。たとえば、タイガースの解散後は、なかなかレコードが手に入らない状態だったりもしたんですが、アルバムを一生懸命揃えてましたね。

― 沢田研二さんの絶頂期に後追いでタイガースを聴くって、なかなかないですよね。

KOO:僕は昭和36年生まれなので、小学生の頃は昭和40年代になるのかな。その頃の情報は、自分で歩いて探しにいかないと得られないものだったりしたので、タイガースを探そうと思っていろいろなレコード屋を周ったりするような子供でしたね。

― ネットなき時代はそうですよね。まずは自分の足で探さないと。あとはクチコミだったり…。

KOO:当時、ギターを一緒に始めた友達が同じ小学校にいて、彼がカセットにAC/DCとか入れたんです。そこから「ハードロック、カッコいいな!」っていう感覚を仕入れられましたね。

― そこからどんどん深堀りしていく感じですよね。でも、そこまで深くロックにのめり込んでいったKOOさんがDJを目指すようになったきっかけは?

KOO:高校時代はバンドをやりながらラグビー部だったんです。本当に体育系の柏日体大高校に通っていたので、結構ラグビーがメインでした。でも、それと、同じぐらいにギターはやってました。それで大学に行くというよりもミュージシャンになりたいなというのがあったんです。
でも、そういう専門学校もなかったし、プロのミュージシャンになるなり方が分からなかったんですよね。いくつかコンテストに出ても1回戦落ちとか2回戦落ちとか、そういうことも多かったんで、1回あきらめましたね。でも何かチャンスはないかなと思って。しかし、大学も行かない、かといってブラブラしているのもよくないから、専門学校に行って、その期間に何か見つけようと思い、親に頼みました。それで、見栄張って神田外語学院っていう聞こえのいいところに行きました(笑)そこを腰掛にして何をやりたいのか探していました。
英語はどうでもよかったんですけど、東京に出たかったんです。その時は千葉の船橋に住んでたんです。だから東京に生活起点になって、活動の範囲が東京になりました。そこにはサークルとかもあって、新宿のディスコで衝撃を受けたのが始まりでした。

(インタビュー・構成 / 本田隆)

***

次回は、80'Sディスコの衝撃! 新宿のディスコで人気DJだったKOOさんだから語れるリアリティ! 80年代の熱狂を余すことなくお伝えします。


第2回 TRF・DJ KOO インタビュー ② 時代はサーファーブーム、ロック少年から新宿のディスコDJに!

80's ディスコ★パラダイス

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2022.04.11
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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