2022年 5月28日

TRF・DJ KOO インタビュー ② 時代はサーファーブーム、ロック少年から新宿のディスコDJに!

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第2回
ロック少年から新宿のディスコDJへ。当事者だから語れる80'Sディスコ事情のリアリティ


お客さんが主役! 第1期サーファーブームのディスコ事情


― ちなみにDJされていたのは、どこのディスコですか?

KOO:カンタベリーハウス、ギリシャ館でした。

― 歌舞伎町のディスコビル、東亜会館の中ですよね。その頃っていうのはサタデーナイト・フィーバーとか?

KOO:もうちょっと後で、当時、アラベスクやノーランズなどのキャンディポップが流行ってたりもしながら、第一期サーファーブームとクロスした時期ですね。だからYMOとかブロンディの「コール・ミー」とか、そういうのも全盛で流行っていた一方でクール&ザ・ギャングやアース・ウィンド&ファイヤーなんかのブラックコンテンポラリーが盛り上がってきた時期ですね。まさに80年ぐらいですね。
元々新宿のディスコではアラベスクの「ハローミスターモンキー」とか、そういうみんなでワイワイやれる曲がメインでした。それからの移り変わりでサーファーブームが来て、クール&ザ・ギャングとかアースが来たという感じですね。

― 今、「みんなでワイワイ」と言われましたがKOOさんのリミックスした音源や、TRFもそうなんですけど、とにかくみんなで楽しめるところに特化しながら一貫してやられてるという印象があります。

KOO:はい。やはりそこが僕のDJの特性だと思っています。DJってお客さんが主役だと思っているんですよ。アーティストのライブだったら、アーティストという主役目当てでお客さんが来るんだけど、DJの場合は普段遊んでいたり、仕事をしていたりする人が現実逃避じゃないけど、日常のフラストレーションをなくして、また頑張ろうと思える場だと思っています。だからお客さんが第一でDJは自分のセンスで「これカッコいいだろ!」という押し付けではなく、お客さんが楽しめる、そしてセンスのいい選曲、盛り上げれる選曲が出来るDJが一番だと思います。

しゃべりの新宿、繋ぎの六本木


― 僕も高校生の頃、東亜会館に通っていたのですが、その頃のDJって途中にしゃべりが入って、今考えるとサービス業的な部分っていうのも凄く感じました。
また、そのしゃべりがカッコよくて。でもKOOさんが言っていたように現在はDJのスタンスも変わってきて、80年代終わりぐらいになると「これってカッコいいだろ?」的な感じになっていきますよね。

KOO:本当にその通りで80年代最初のディスコ時代はお客さんとのコール&レスポンスや曲の説明をしたり。お客さんを煽るようなMCスタイルがありましたよね。それが新宿のスタイルでした。当時は、“しゃべりの新宿、つなぎの六本木” と言われていたので、僕がもし新宿DJデビューではなく六本木スタイルのDJだったら今の僕はなかったんじゃないかな…。というのはありますね。
今でさえイェイイェイウォウウォウ言ってたりしますが、40年以上前から「イェー! 盛り上がってるかー?」とは言ってましたし。

― なるほど! 新宿のディスコのDJスタイルがKOOさんの基本みたいなところにあるんですね。
当時はリクエストカードとかもありましたもんね。

KOO:ありましたね。「誰々からのリクエストで~」から始まって、お店のインフォメーションまでしゃべって。バースデーコーナーなんかもあって。その場、その場で普通のアナウンサーとは違うDJのしゃべりというのが体に染み付いているので、それが今に繋がっているって感じですね。

― 当時ディスコで人気だったハイエナジーのシングルを買うと、ディスコDJのライナーノーツがついていましたよね。そういうのもあって、ディスコDJって凄いカッコいいなって思ってました。
選曲するだけではなくて、深い部分もちゃんと知っていて、より広い層に知ってもらおうという…。

KOO:よくご存じですね。当時のDJは本当に専門職でしたよね。当時いろんなレコード会社の洋楽担当スタッフは、各社ディスコプロモーションやってましたからね。

― それ、よく覚えています。「今日、このプロモが届いたから」なんてMCを入れて曲をかけている場面がありましたね。

KOO:ありましたね。

― ギリシャ館は、東亜会館の何階にありましたか?

KOO:4階です。4階がギリシャ館で後のグリースですね。

新宿ディスコビル東亜会館の色分け


― 僕が行ってた84年頃は、グリースとBIBAとGBラビッツ、それとB&Bですね。僕はBIBAとGBラビッツに通ってました。東亜会館の中でも店の個性が違いましたよね。

KOO:色分けしてましたね。僕はその後、B&B6階にいました。当時サーファーディスコとしては一番人気があったと思います。新宿で最初にサーファーディスコをやり始めた店なので。ニュートラとかリーゼントの人はこないっていう。逆にそういう人たちがわざわざサーファーカットにして来るような店で。

― それだけ影響力があったということですよね。

KOO:ありましたね。第一期サーファーブームで『なんとなく、クリスタル』とか、カタログ的な内容の本が出て、お洒落な街のライフスタイルっていうようなものが流行ってましたよね。同時にハマトラもありましたし。ファッションとディスコが一緒になるようなムーブメントでした。なので、かつてのディスコは不良の溜まり場という陰湿なイメージから、女性が華やかな時代、女性が彩っていくような時代に変わりましたね。
その図式でキレイな女性がいると男性もいっぱい集まる。で、男性はモテたくてサーファーの恰好をして来るというような感じで毎日満杯でしたね。

― 街で女の子にタダ券を配ったりというのもありましたよね。

KOO:そうですね。

― それもあって、可愛い女の子がたくさんいる。だから男が集まってという感じでしたよね。

KOO:それで今の奥さんと知り合いましたからね(笑)。東亜会館のDJやりながら、奥さんのリクエストをかけながら口説いていました(笑)。

― 僕がディスコに行きはじめた84年の前というのは、殺人事件があったりとか、不良が行く場所というパブリックイメージがあって。でも実際行ってみるとめちゃめちゃ楽しくて!

KOO:やはりそういう事件があってから、ディスコの在り方も変わってきましたし、店内のトラブルとかも押さえるようにしてきたし、やはり不良的な部分を変えたのは音楽ですよね。
ブラックコンテンポラリーが流行ったことによって、あとAORが流行ったことによってディスコがお洒落で楽しい場所になっていきましたね。
それと一方ではハイエナジーが途中から出てきて、みんなでセーラーカラーを着ながらパラパラをやる…。音楽がそういう方向に引っ張っていった感じでした。

ハイエナジーというディスコならではの音楽、80年代には続々と邦楽カバーが




― ハイエナジーというジャンルの音楽は高揚感もあって、切なさ、哀愁もあってという。それがめちゃめちゃ心に響きました。

KOO:それはヨーロッパで生まれた音楽なんだけど、それがすごく日本人に刺さって、ヨーロッパのアーティストたちも日本人向けというのを意識していた部分もあったと思います。

― そういうことなんですね。

KOO:だからこそ、80年代に荻野目洋子さんとか、早見優ちゃんとかWINKとか、石井明美さんもそうですよね。そういった洋楽の「CHA-CHA-CHA」であるとか「EAT YOU UP(ダンシングヒーロー)のカバーをやり出して大ヒットしたという時期ですよね。

― すると、ヨーロッパのアーティストも日本のマーケットを意識した上でああいうハイエナジーの音作りを考えていたということですか?

KOO:はい。日本が世界の中で一番売れていたと思います。実際にその後「GIVE ME UP」のマイケル・フォーチュナティとか、続々と来日するようになりましたし。

― やはりディスコっていうのは、音楽が好きな人が集まる場所というのもあるし、とにかく楽しみたい人が集まりますよね。

KOO:それプラス新しいカルチャーってディスコから生まれる。ディスコというよりも夜に新しい文化が生まれてくるっていう風潮があったので、ディスコで流行ったものがどんどん世の中で流行っていく。そういう感じがありましたね。
ヘアスタイルもそうですし、ファッションも音楽もそうですね。それが歌謡曲、日本の音楽シーンにも浸透していって、実際に久保田利伸さんもそっちのダンス系をどんどんやり出したりとか、そういう兆しがありましたね。

― 洋楽に関してもそうですよね。デッド・オア・アライブも新宿のディスコで火がついて六本木で盛り上がってという流れで。

KOO:特に六本木のマハラジャで盛り上がって、そこからボディコンとかをどんどん着だして… という時代でしたね。

― 新宿には何年ぐらいいらっしゃいましたか?

KOO:かれこれ4、5年はいたと思います。80年代は新宿と六本木を行き来していました。

時代ごとに変わるディスコのキラーチューン


― 時代時代によってディスコのキラーチューンが変わってきますよね。KOOさんにとって印象深いキラーチューンをいくつか挙げていただけますか?

KOO:80年代でいくとやはり、シュガーヒル・ギャングの「8th Wonder」ですね。ちょうど、アラベスクとかノーランズのキャンディポップから思いっきりBPMが下がったんですよ。それでラップというカルチャーが出てきた。つまりディスコでは全く別物が流れてくる。それに合わせてみんなが踊り出す…。そこからブラックコンテンポラリーが主流になっていく。そのきっかけの曲だったりもしますよね。
カーティス・ブロウもラップをやり始めたり。だから、ラップの登場でブラックコンテンポラリーがすごく広がっていったというのもありますね。
 
― 踊り方も変わってきましたよね。

KOO:当時、『ソウル・トレイン』というTV番組があって、ダンサーを目指している人は必ず見ていたし、ディスコのステップダンスは六本木から流れてきていましたね。
ミッドウェイの艦隊が横浜に入港したりすると、兵隊さんたちが、横浜、六本木に遊びに来て新しい踊りを躍るんですよね。そうすると「この曲はこうやって踊るんだ」っていうんで、常連が真似し出して一般の人たちもその踊りをするようになりました。

― そういう経路があったんですね。新宿で生まれたわけではなかったんですね。

KOO:そうです。

― 曲ごとにステップとか掛け声がありましたよね。最近、80年代のディスコイベントが結構盛り上がったりもしていて、そこに行くと、通っていた時期がずれると踊りが変わっていたりするんですよね。

KOO:当時リアルタイムじゃなくても、ここ数年でディスコイベントをやった時に、いろんな時代の楽曲を繋げていくことで、絶対これじゃないとダメだよ… ではなく、最近は、その人たちのイメージで踊っていけるような感じになりましたよね。
そこから、こういう踊りがあったんだとか、こういうステップがあったんだというのが広まっていくようになりましたね。

― そういう場所にあつまる40代後半とか50代の人たちは、当時が本当に楽しかったからキラキラしてるんですよね。
だからKOOさんをはじめ、新宿のDJの人たちは、本当に凄いことしてたんだなって思いました。

KOO:ディスコが生んだヒット曲っていっぱいありますからね。僕が入る前ですけど、「可愛いひとよ」(クック・ニック&チャッキー)とか国内のメディアでは別にヒットとは言えないけど、ディスコでは大ヒットしてたし、バラードだと、つのだ☆ひろさんの「メリー・ジェーン」がチークタイムでめちゃめちゃかかっていたりだとか、そういうような日本がディスコでかかっていたから、みんなが踊って合わせられるという部分でめちゃめちゃブレイクしてました。僕がDJを始めた頃、そのブームは終わっていましたが…。

― 先ほどの話で荻野目洋子さんの「EAT YOU UP」もディスコからですもんね。長山洋子さんの「ヴィーナス」も。ディスコで流行ったものがお茶の間にどんどん入っていくという。

KOO:だから、日本でも80年代の前半は、ニューミュージックと言われた新しいコンテンポラリーのクロスオーバーをやっていたアーティストの曲は海外のダンスミュージックを意識していたと思うんです。それがディスコでも実際にかかっていましたからね。山下達郎さんの「ボンバー」であるとか、アン・ルイスさんの「恋のブギ・ウギ・トレイン」っていうのが定番だったし。それが洋楽に負けないカッコよさがありましたね。

― ディスコのキラーチューンは邦楽っていうのもありますよね。

KOO:それを言うと、YMOは偉大すぎますよね。インストでありながら、「テクノポリス」と「ライディーン」はめちゃめちゃ凄いですよね。

― 僕らの頃は「六本木心中」でした。

KOO:それもアリですね!

― 「六本木心中」とか「あゝ無情」とか…。

KOO:アン・ルイスさんも凄いですよね。あとはサザンの「勝手にシンドバット」もディスコでかかってました。それはサーファーブームの前なんですけど。ブームが来ると、哀愁があってキレイなもう少しお洒落な曲が人気でした。
僕は杏里さんの「キャッツ・アイ」や「悲しみがとまらない」を結構かけてましたし、あとはラッツ&スターの「め組のひと」もかなりかけていましたね。これはJ-POPの中ですごく盛り上がった曲のひとつです。

(インタビュー・構成 / 本田隆)

***

当事者のKOOさんだから語ることのできた新宿ディスコ事情、いかがでしたしょうか。第3回はさらにディスコ事情を深堀り。DJとしてもスタンスもたっぷり語っていただきました。

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