80年代のTVバラエティ番組を代表する放送作家の一人に、景山民夫さんがいた。『11PM』『出没!おもしろMAP』『タモリ倶楽部』『ビートたけしの気分はパラダイス』などを手がけ、後には『料理の鉄人』の審査員としても知られる。
B級ハガキ職人だった私は、景山さんのラジオ番組へ何度か投稿し、大学の後輩という縁もあって、ご本人と近しくしていただいた時期がある。放送作家になりたいと、景山さんに相談したこともある。すると景山さんは真顔になって「う〜ん、君は放送作家になるには才能が無いから、諦めた方がいいよ。それより、ちゃんと大学を卒業して、マスコミに入って、俺たちを出す側になってよ」とおっしゃった。
ご自身が私立武蔵高校というスーパーエリート校を出ながら、大学は慶應・武蔵美いずれも中退、駆け出しの作家時代にたいへん苦労されたという経験が、そうした事を言わせたのかもしれない。私はその言葉をきっかけに、必死に就職活動を始めることになった。
その後、景山さんは放送作家から直木賞作家へと一気に翔け上がる。私は広告代理店に就職していたが、業界に入ったことで、むしろ景山さんの偉大さに気づき、自分がひとかどの仕事人になるまでは、安易に景山さんにお会いするのは戒めようと思っていた。
文壇の論客となった景山さんは、宗教活動にも傾倒してゆく。あまり知られていないことだが、彼は重度の心身障害を持った娘がおり、何か心のよりどころが欲しかったのかもしれない(彼がすごいのは、それでいて時おり身体差別ネタをギャグに盛り込んでたことだ。誰かに抗議されても、自分の立場をタテに相手を黙らせてしまうのである。このとき私は彼の笑いへの貪欲さに震えたものだ)。
そんな矢先、彼は不慮の事故で亡くなってしまう。
さて、特別に(勝手に)公開するのは、1984年12月31日にFM東京で1回だけオンエアされたサントリーのラジオCMである。大晦日の特別番組(たしかスネークマンショーみたいなギャグ番組だったかと思う。なぜかCMだけが録音してあった)で放送されたもの。
CMの企画・構成・出演とも、すべて景山民夫。彼のインテリジェンスと洒脱な語り口がいかんなく発揮された小品である。景山さんのLondon仕込みの達者な英語も聴けるのは珍しいと思う。
アメリカに行くなら、LAよりNYだ、みたいな風潮が広がり始め、世間がバブルにむけてゆるやかに上昇していく、ちょっと余裕の出て来た80年代中盤の日本の雰囲気が感じ取れるんじゃないかな。
2015.12.30
1984年12月31日にFM東京で1回だけオンエアされたサントリーのラジオCM / ブロードウェイ篇
1984年12月31日にFM東京で1回だけオンエアされたサントリーのラジオCM / スチュワーデス篇