80年代のアイドルシーンで大きく変わった“アルバム市場の拡大”
う〜ん、よわった…
“80年代アイドルのベストテン選出” を依頼されたときの正直な気持ちである。何をもってランキングにするべきか。この手のコラムで、個人の思い入れを聞かされても面白くもなんともない。「私は私、あなたはあなた」で、あなたの主観で語られても「ふ〜ん、そうですか」で終わると思うからだ。
なので、何か客観的な資料に基づいて語れないか――。そう思ったのだが、断念した。
レコードやCDのセールス、雑誌の表紙の登場回数、プロマイドの売上、歌番組の出演実績……、様々なデータが手元にあるが、どれをとってもキャリアが長いほど有利なので(89年組は対象期間が1年のみ)、公平な指標になり得ない。
たとえば音楽活動をした年数で割った平均値ということも考えたが、その期間をどうやって決めるのか。数年のブランクを経て、単発でシングルをリリースするケースもよくあることだし、その判断が難しい。第一、そこまでして出した数値にどれだけの意味があるのかも疑わしい。
―― ということで、主観で語らざるを得ないという結論に達した。私が読者ならここで読むのをやめるところだ(笑)。ここからはお時間のある方、あるいは濱口に多少でも興味のある奇特な方だけお付き合いいただきたい。
小柳ルミ子、南沙織、天地真理の「新三人娘」の時代から男女問わずアイドルが大好きで、リアルタイムで彼らの音楽を追い続けてきた筆者であるが、80年代に入って大きく変わったと思ったポイントの1つが「アルバム市場の拡大」だった。70年代は黎明期の天地真理を除いて、どんなにシングルがヒットしようと、意欲的なアルバムを作ろうと、セールスはせいぜいLPが12〜13万枚、カセットが7〜8万本どまり(ベスト盤は除く)。山口百恵も、太田裕美も、新御三家も、キャンディーズも、ピンク・レディーも、なぜかこの壁を超えられなかった。のちに「名盤」と評価されるクオリティの作品を出していても、である。
その状況が80年代になって一変した。きっかけを作ったのは松田聖子である。様々な観点から80年代アイドルブームの創始者と目される彼女だが、「アイドルでもアルバムが爆発的に売れる可能性がある」ことを実証した功績はあまりにも大きい。ファーストアルバムの『SQUALL』(1980年)はLPが39万枚、カセットが15万本。2アイテムの合計がシングルと比肩するセールス規模となったのは、日本のアイドル史上、初めての快挙であった。
ビジネスになると分かれば、人材も資本も集まるのが世の習い。とかくシングルに偏重しがちだったアイドルプロジェクトがアルバム制作にも本腰を入れ、クオリティに見合った成果(セールス)を得るようになる。それが80年代だったと言えるだろう。いささか枕が長くなってしまったが、本稿では筆者がアルバムまで聴き込んだ女性アイドル10組を取り上げたい。
第10位:高岡早紀
1988年、15歳でデビューした高岡早紀は1991年までにシングル7作、アルバム4作を発表。大半の作品を加藤和彦が作曲・プロデュースしたこともあって、ヨーロッパの香りがする上質なポップスが揃っている。
事務所(岡田奈々、大場久美子、松本伊代、本田美奈子.など、スレンダーな美少女を多数送り出したボンド)の方針で歌番組にほとんど出演しなかったにも関わらず、シングルでは「悲しみよこんにちは」と「薔薇と毒薬」(いずれも1989年)、アルバムでは『楽園の雫』と『Romancero』(いずれも1990年)がいずれもトップ20入り。早熟な少女をヒロインにした官能映画のような楽曲群が高岡の小悪魔的なビジュアルと歌声にマッチしていたからだろう。
10年ほど前より音楽活動を再開し、ジャズやボサノヴァを聴かせる一方、当時の楽曲も披露してくれているのは嬉しい限り。アルバムで1作を選ぶとしたら、篠山紀信撮影のジャケットも艶めかしいファーストアルバムの『Sabrina』(1989年)。
第9位:斉藤由貴
ミスマガジンを経て、カップラーメンのCMで注目された斉藤由貴は1985年に歌手デビュー。CMやデビュー曲「卒業」の印象から、セーラー服の似合う清楚な文学少女というイメージが強かったが、ファーストアルバム『AXIA』で早くもそれだけにとどまらない魅力を発揮する。「ごめんね今までだまってて 本当は彼がいたことを」と打ち明け、しかも「私を責めないで」と訴えるタイトル曲「AXIA~かなしいことり~」は本人出演のカセットテープのCMにも起用されたが、作詞・作曲を手がけた銀色夏生が当て書きのうえ持ち込んだ作品とか。のちに “魔性の女” と呼ばれることになる彼女の本質を同性の銀色は瞬時に見抜いていたのかもしれない。
彼女のアルバムも名盤揃いだが、いちばん聴いたのは先日、長女の水嶋凛がカバーした「予感」(作詞:斉藤由貴)やヒットシングル「悲しみよこんにちは」を収録した『チャイム』(1986年)。
第8位:松本伊代
“花の82年組”の先陣を切った松本伊代はシングルB面やアルバム曲にも傑作が多い。なのに、デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」(1981年)やサードシングル「TVの国からキラキラ」(1982年)のインパクトが強かったせいか、初期のイメージだけで語られがちなのが、なんとも悔しいところである。
その2曲を作曲した筒美京平が彼女の声に惚れ込んでいたのは、つとに知られた話。事実、80年代の女性アイドルでは1位タイとなる30曲を提供している。ミュージシャンや作家からの評価が非常に高いのも彼女の特徴で、2022年は船山基紀をプロデューサーに迎えたコンサートが好評を博したばかり。全12作のオリジナルアルバムでは、その船山が全曲アレンジを手がけ、林哲司が作曲した恋愛三部作(「信じかたを教えて」「サヨナラは私のために」「思い出をきれいにしないで」)を収めた『風のように』(1987年)を推したい。
第7位:南野陽子
1985年に歌手デビューしたナンノは2年目にブレイク。神戸のお嬢様学校出身というプロフィールに合致する上品な佇まいと、楽曲の世界観でトップアイドルとなる。決して技巧派ではないが、温かみのある柔らかな「甘え声」が魅力で、「まちぶせ」を思わせる「接近(アプローチ)」(1986年)、「DESTINY」に通じる「話しかけたかった」(1987年)など、ユーミン本歌取り路線で独自のポジションを確立した。
濁音(ジェ / ヴァ / ブ / ガ / グ / ゴ / ギャ……)で始まるタイトルのオリジナルアルバムでもビッグヒットを連発するが、コアファン以外にも裾野を広げたのは、ほぼすべてのアレンジを担当し、一貫してエレガントなサウンドを構築した萩田光雄の手腕も大きい。いずれのアルバムも完成度が高いが、個人的には最初に注目したセカンドアルバム『VIRGINAL』(1986年)に思い入れがある。近年、萩田と組んで新曲発表やライブの開催など、意欲的な音楽活動を展開しているのも嬉しい。
第6位:荻野目洋子
荻野目ちゃんはデビュー2年目、7thシングル「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」(1985年)でブレイク。それまではアイドルらしい爽やかなポップスが中心だったが、ユーロビートのカバーで「アイドル×ダンスチューン」という新たな鉱脈を開拓する。ライジングプロダクション第1号タレントの彼女の成功がなければ、90年代のライジング旋風(安室奈美恵、MAX、SPEED、DA PUMP……)は違った形になっていたに違いない。
筆者がアルバムを聴き始めたのは4作目の『ラズベリーの風』(1986年)以降。縦ノリのサウンドはクルマとの相性がよく、特に『NON-STOPPER』(1986年)と『246コネクション』(1987年)はドライブのお伴として最適だった。
あと忘れてはならないのが、ナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュースした『VERGE OF LOVE』(1988年)。80年代の邦楽はサウンドが限りなく洋楽化していったが、同アルバムはその到達点、80年代アイドルの金字塔と言える。
第5位:小泉今日子
今回の10組のなかでは、というより、80年代アイドル全体で見ても、楽曲の振れ幅が最も大きいのはキョンキョンかもしれない。デビュー時のややアナクロなアイドルポップス、「まっ赤な女の子」(1983年)以降のキャッチコピー的なタイトルシリーズ、気鋭の若手ミュージシャンと組んだサブカル路線……。いずれも違和感なく成立し、それぞれ支持を集めているのは七変化できるだけの引き出しを備えている証しだろう。
アルバムは初期のブリブリ路線も今となっては新鮮だが、イチオシは土屋昌巳がサウンドプロデュースした『Phantásien』(1987年)。そのリードチューン「連れてってファンタァジェン」を2020年にセルフカバーしてくれたのは筆者にとって朗報だった。個人的に彼女のいちばんの魅力は甘さを湛えた声だと思っている。
第4位:岩崎良美
世間一般では80年代アイドルのプロトタイプは松田聖子と言われているが、ニューミュージックとの融合や、ハイクオリティなアルバム制作という点での第1号は岩崎良美だと断言したい。
芳野藤丸が作曲したデビュー曲「赤と黒」の渋さとセカンドシングル「涼風」(いずれも1980年)の爽やかさ、両面に痺れた筆者はなけなしの小遣いをはたいてファーストアルバムの『Ring-a-Ding』を購入。ドキドキしながら針を落としたが、全曲を大谷和夫がアレンジした同作は期待に違わぬ洗練された仕上がりであった。余談だが、松田聖子のファーストアルバム『SQUALL』がリリースされたのは『Ring-a-Ding』の11日後のこと。
それはともかく、以後も高い歌唱力と卓越したポップセンスで傑作を発表し続けたヨシリンの楽曲はもっと評価されていい。アルバムはどれも素晴らしい出来栄えだが、1作挙げるなら、ヨーロッパの風が心地よく感じられる『Cecile』(1982年)を推したい。
第3位:中森明菜
今回、アルバムという観点から80年代アイドル10組を選ばせていただいたが、トップ3は迷うことなく決められた。それだけよく聴いていたということだ。中森明菜はファーストの『プロローグ〈序幕〉』(1982年)の1曲目「あなたのポートレート」を聴いた瞬間から、得も言われぬ魅力の虜になった。歌にドラマを感じると言ったらいいだろうか。10代の女性アイドルには珍しく中低音の響きが素晴らしく、それが歌に説得力を与えていたのだ。
実験作の『不思議』(1986年)を除いて、どのアルバムも繰り返し聴いたが、ターニングポイントと言えるのは『BITTER AND SWEET』(1985年)。フュージョン色が濃くなり、一段と洋楽に近づいたからだ。それがディレクターの交代によるものだったと知るのは、ずいぶん後になってからのことである。
第2位:松田聖子
どんな切り口でも80年代アイドルを語るときに外せないのが松田聖子と中森明菜。歌い手本人にはそれほど強い思い入れがない筆者だが、それでも新作が出るたびに欠かさずチェックし、しかもヘビーローテーションをしていたのは、純粋に音楽性に惹かれていたのだろう。2人ともドラマや映画に出演しながら、活動の中心が音楽であり続けていることも “歌姫” と称される理由といえる。
筆者にとっての松田聖子はリゾートポップスの体現者。70年代にも夏の海を舞台にしたアイドルポップスは多数存在したが、聖子ソングの舞台は海外の高級リゾート地が多く、それが憧れをかき立てた。その手の楽曲を集めた企画アルバム『エトランゼ』(2012年)もリリースされているが、「マイアミ午前5時」を現地の海辺で聴いたときの感動が忘れがたいので、オリジナルアルバムから1作選ぶとすれば『ユートピア』(1983年)を挙げておきたい。
第1位:河合奈保子
筆者が唯一、ファンクラブ(会員番号は「7667」)に入ったアイドルなので、これだけは動かせない。実際、彼女の音楽パッケージはすべて購入。三越の屋上などで開催されたサイン会や新曲発表会にも足しげく通ったので、シングルは各3〜4枚ある。LPは摩耗を避けるため、最初に聴くときにカセットテープにダビング。それをカセットボーイで繰り返し聴くのが学生時代のルーティンであった。なので、どのアルバムにもその時々の風景が重なるのだが、強いて1作を挙げるとすれば、全曲を筒美京平(作曲)、売野雅勇(作詞)、矢島賢・矢島マキ(編曲)の4人が手がけた『さよなら物語』(1984年)。
キャッチーなメロディ、ヨーロッパ各地を舞台にした耽美的な詞の世界、フェアライトCMIを駆使したデジタルサウンドが見事に調和して何度聴いても飽きることがない。2022年に映画『すずめの戸締まり』の劇中で「けんかをやめて」(1982年)が使用されたことで再注目されている彼女。自作曲「ハーフムーン・セレナーデ」(1986年)はアジア各国のスタンダードソングになっており、今年はさらに再評価が進むことに期待したい。
―― という主観丸出しのベストテンになってしまったが、この総選挙、本日(1月8日)まで投票が可能なので、ここまでお読みいただいた皆さんもぜひ参加していただきたい。そのあとでもいいので、本稿で紹介したアルバムを聴いていただき、1作でもお気に入りの作品が見つかれば幸いである。
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2023.01.08