ドラマの魅力をさらにセンス良く彩った「ラブ・ストーリーは突然に」
1991年2月6日、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」がリリースされた。
「ラブ・ストーリーは突然に」は、柴門ふみの人気マンガを原作としたテレビドラマ『東京ラブストーリー』のテーマ曲だった。オシャレな都会のライフスタイルを背景に鈴木保奈美、織田裕二が演じる新しい時代の恋の形を描いたこのドラマは社会現象となるほどの大評判となった。そして、主題歌の「ラブ・ストーリーは突然に」も、270万枚というそれまでのシングルCDの売り上げ記録を更新する大ヒットとなった。
こう書くと、ドラマの人気に便乗したヒットというイメージを持つ人もいるかもしれない。けれど、実際は「ラブ・ストーリーは突然に」という曲が、ドラマの魅力をさらにセンス良く彩ったという方が正確だったと思う。
とにかく曲のどの部分をとっても魅力にあふれていた。今でも日本のポップミュージックが生んだ “名イントロ” のひとつとして高く評価されている佐橋佳幸によるギターのカッティングによるスタートも、長めのイントロに続いて流れる小田和正の繊細なハイトーンボイスの美しさ、そして曲が進むほどの情熱的に盛り上がっていく情感たっぷりのボーカル。そのすべてがドラマの魅力を、さらに豊かなものと感じさせるにものだった。
「Oh! Yeah!」と両A面としてリリースされた理由は?
「ラブ・ストーリーは突然に」は、1990年代のドラマとのタイアップでヒット曲が生まれる現象を切り拓いた曲でもあった。だから、このシングルを買った270万人のほとんどは、「ラブ・ストーリーは突然に」を聴くためにCDを手に入れただろう。しかし、実は「ラブ・ストーリーは突然に」は「Oh! Yeah!」という生命保険会社のCMソングとして同じ時期にオンエアされていた曲のカップリング曲(ダブルA面ではあった)だったのだ。
こうしたリリースのスタイルになったのは、『東京ラブストーリー』の主題歌としてのビッグセールスを期待したレコード会社側が「ラブ・ストーリーは突然に」をA面にしようと提案したのに対して、小田和正が「Oh! Yeah!」をA面とすることを主張して譲らなかったからだという。両A面と表記されたのはその折衷案だったという。しかし、シングルCDのジャケットを見れば、本来のA面曲が「Oh! Yeah!」だということがわかるだろう。
おそらく小田和正も「ラブ・ストーリーは突然に」の方が話題となることはわかっていただろう。もちろん曲がヒットするのはいいことに違いない。けれど、ドラマと密接なイメージをもったこの曲が必要以上にクローズアップされることは、彼自身のここから先のアーティストとしての活動に必ずしもプラスにならないと考えていたのではないかという気がする。
小田和正のソロ活動
小田和正はオフコース在籍中の1986年にソロアルバム『K.ODA』、さらに1988年に『BETWEEN THE WORD & THE HEART』を発表している。しかし、これらはオフコースのアメリカでの活動の可能性を探る意図で制作されたものだった。その意味では、1989年にオフコースを解散した小田和正が1990年に発表した3枚目のソロアルバム『Far East Café』が、本当の意味での最初のソロアルバムと言えるのではないかとも思う。小田和正は、このアルバムでオフコースで自分が表現してきたものを問い直し、ソロアーティストとしての方向性を探る作業をおこなっていると感じさせた。
最初からドラマを意識して作られた作品
小田和正が「ラブ・ストーリーは突然に」を手掛けたのは、まさにこのソロアーティストとして進むべき方向性を模索している微妙なタイミングだった。その意味で、「ラブ・ストーリーは突然に」は、小田和正にとっても特殊な楽曲かもしれない。彼は、最初からドラマを意識してこの曲をつくったという。そのためか、それまでの小田和正の楽曲にあったストイックな匂いは残っているものの、曲全体からキラキラとした華やかさが感じられる。だから、それまでのオフコースの音楽に触れてこなくても抵抗なく入り込めるポップな魅力にあふれている曲だ。
もちろん「ラブ・ストーリーは突然に」も全身全霊をかけてつくりあげた作品だ。しかし、小田和正が「Oh! Yeah! / ラブ・ストーリーは突然に」というリリーススタイルにこだわったのは、ソロアーティストとしての形を探っている時期に、「ラブ・ストーリーは突然に」の曲としての強さに任せてしまうと、リスナーに今後の活動に対する余計な先入観を与えてしまうかもしれない。だからこそ、それまでの小田和正の活動を知らなかったリスナーに対して違うタイプの曲を提示しておくことも必要だと考えたのではないだろうか。
あえて『Oh! Yeah!』をアルバムタイトルにした理由とは?
小田和正は、その意志を、「ラブ・ストーリーは突然に」の大ヒットで急きょ企画されたソロとしてのベストアルバムにも貫き通したのだと思う。「ラブ・ストーリーは突然に」の知名度を効率的にセールスに結び付けようとするなら、ベストアルバムのタイトルでも「ラブ・ストーリーは突然に」をアピールすべきだ。
しかし、小田和正はシングルの時のように、あえて『Oh! Yeah!』をアルバムタイトルにして、自分は「ラブ・ストーリーは突然に」だけのアーティストではないことを宣言すると同時に、新しいリスナーに自分のレパートリーを紹介するアルバムとして位置づけたのだと言う気がする。
「Oh! Yeah! / ラブ・ストーリーは突然に」のシングル、そしてベストアルバム『Oh! Yeah!』の大ヒットで、小田和正はソロアーティストとしてのステイタスも確立させた。
しかし、彼は自分のスタンスを見失うことなく、より大胆に可能性を追求する活動を展開していった。それが、オフコース時代から強い関心を示してきた映像表現に音楽的に取り組み、翌1992年に監督としての初映画作品『いつか どこかで』(時任三郎、宅麻伸… 他)を完成させ、サウンドトラックアルバム『sometime somewhere』を発表。さらに1994年にはアルバム『MY HOME TOWN』を発表し、ソロアーティストとしてのスタンスを確立させていく。
▶ 小田和正のコラム一覧はこちら!
2023.02.06