『第2回:伊藤銀次のプロデュースイベント「BRITISH COVER NIGHT」汐留PITで開催!』からのつづき
高野寛が歌ったバグルスとビートルズ
『BRITISH COVER NIGHT』が開かれた80年代後半は、それまでの日本の音楽シーンにはいなかった才能の、フレッシュなポップロッカーたちが次々と現れてきた時期。このイベントでそういったアーティストたちを世に紹介しつつ共演できるのは僕にとって大きな楽しみのひとつでもあったのだ。
高野寛君の存在を知ったのは、その頃、ザ・スミスやニュー・オーダーなどのUKのポップロックバンドや最新情報を知りたくて愛読していた、『クロスビート』という音専誌の裏表紙に、デビューしたばかりの彼の広告が出ていたからだった。いちおう洋楽専門誌なのになぜ? と興味を持って彼のアルバムを聴いてみて即、気に入った。このイベントを企画したとき、まず出てほしいなと思ったのが彼。うれしいことに出演依頼したところ快く引き受けてくれた。
彼が選んで歌ってくれたのは、バグルスの「ラジオスターの悲劇」と、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の2曲。
さわやかな声やサウンドで見えにくいが、アーティストとしての奥行きや、いい意味でのマニアックさや芸術性を感じさせるたたずまいの彼ならではのセレクトだった。 「ラジオスターの悲劇」では、あの曲を特徴付けている♪ ウーア ウーア という女性ボーカルを、同じ日の出演者の東京少年・笹野みちるさんが参加して歌ってくれたのもスペシャルでよかった。
もうひとりの紅一点戸川京子、ミニアルバム「B.G.」の編曲が縁で参加
笹野みちるさんと並んで数少ない女性出演者のもうひとりの紅一点は戸川京子さん。
戸川さんはどちらかといえば俳優としてやタレントとして知られていたけれど、実は戸川純さんの実妹で、シンガーとしての活動もしていた。縁があって1986年に、彼女の『B.G.』というミニアルバムを全曲、作編曲させていただいたところから、歌い手としての彼女を知ることができ、このイベントに参加してもらった。
彼女の歌った「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」はストーンズというよりはマリアンヌ・フェイスフルのヴァージョンに近くて、パイロットの「マジック」とともに、えてして強面になりがちなロックイベントにチャーミングな清涼感を与えてくれた。
伊藤銀次が注目したピチカート・ファイブと田島貴男
1980年代後半、僕が高野寛君などと同じく注目していたのがピチカート・ファイブだった。
80年代中頃、コレクターズなどを生んだ東京モッズシーンで活躍していた田島貴男君が新しいリードヴォーカルとして加入、発表したアルバム『Bellissima!』が素晴らしいアルバムだったからだ。
田島君がインディーズ時代に発表した異色作、「Talkin’ Planet Sandwich」を聞いたときから彼の才能には舌を巻いていたのが、なんともう2人のポップ才人、の小西康陽、高浪慶太郎の両君と組んだことで、その頃のシーンでは群を抜くクオリティーの仕上がりになっていた。
依頼をこころよく受け入れてくれた彼らが選んだ曲は、60年代イギリスでの人気音楽TV番組『レディ・ステディ・ゴー』のテーマ曲としても使われた、マンフレッド・マンの「5-4-3-2-1」と、トラフィックの「ペーパー・サン」。さすがなセンスにおもわず微笑んでしまったが、彼らが演りたいといってきたもう1曲に僕はどうしても納得がいかなかった。
セレクトしたのはビートルズのパロディバンド、ザ・ラトルズ「アウチ!」
その曲はビートルズの超パロディバンド、ザ・ラトルズの「アウチ!」。
これはビートルズの「ヘルプ!」の見事なパロディソング。僕も個人的には大好きな曲なのだが、このイベントで聴衆に聴かせたかったピチカートのイメージはあくまで『Bellissima!』での英国人風ネオソウル。そこでリハーサルの時に、三人に僕から直談判することにした。
実はちょっとヒラメキがあって、ゾンビーズの「シーズ・ノット・ゼア」をカーティス・メイフィールドの「スーパーフライ」みたいに演ったらピチカートっぽいのでは… と思いついて、「スーパーフライ」のコード譜だけ用意しておいた。リハ・スタでこのアイデアを三人に話すと、突然、田島君が何かに取り憑かれたように、いきなりドラマーとベーシストのところに行って、こんなフレーズを弾いてくれないかと言い始めたではないか。
いやはや驚いた。そしてあっというまにカーティス風「シーズ・ノット・ゼア」が出来上がってしまった。恐るべき才能!! 音源が残ってないのは残念だけど、カーティスも “まっつぁお” になるゴキゲンなUKソウルミュージックだったよ。
その後、田島君は90年代に入ってオリジナルラブとして大ブレーク、そして高野寛君は「虹の都へ」をヒットさせた。まだ彼らが世に知られていなかったときに、このイベントに出てもらえたことは、いまではひそかに僕の誇りなのだ。
To be continued
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2022.01.27