音楽や映画を観た時に心が一気に引き戻される事がある。僕の場合は、匂いつきで記憶が蘇ってくる。
女性の香水。
雨が降る前のあの生暖かい大気の匂い。
冬のピーンと張り詰めた空気の匂い。
花の匂い。
そうそう、映画と言えば、最近 TSUTAYA で探しても見当たらなかったので DVD 購入に踏み切った作品がある。タイトルは『べっぴんの町』、80年代も終わろうとしていた89年10月に劇場公開されたハードボイルドミステリーだ。
主演は、柴田恭兵と田中美佐子。
当時、僕は柴田恭兵が好きだというガールフレンドと観に行った。話の内容はあまり良く覚えていなかったが、まるで柴田恭兵の為のプロモーションヴィデオのような作りだったことは覚えている。2018年の冬、たまたま YouTube で予告編を目にした。そう言えばこの映画の柴田恭兵、格好良かったなぁと、久しぶりにもう一度観たくなった。
震災前の街並みを記録した貴重な映像。映画は神戸の街の空撮から始まった。柴田恭兵演じる探偵(名前はない)が自室に戻り、コロナビールを飲むシーンで、一気に89年に引き戻された。
部屋のシンプルなレイアウト、配管剥き出しの壁、ドアの感じ、天井の高さ、部屋の中央に置いてあるアンティークなテーブル、コロナしか入っていない冷蔵庫、パイプベッド。
89年の時点で築30年、50年代に建設されたであろうビルに住む探偵。1F には、鶴瓶演じる気の良いテーラーの店がある。
そうだ。僕はこの映画を観ていつの日かこういう部屋に住もうと決心していた。オシャレで自由な男の居城とでも言えばいいだろうか。神戸が無理なら、横浜でもいい。
―― 現在、僕は映画と同じく50年代に建設されたビルに住んでいる。劇中で柴田恭兵が住んでいたのと同じような作りの部屋だ(89年の時点の話ならという注釈付きでだが)。
流石に築60年を超えた建物はボロボロで自由を愛する男の居城という感じではない。その日暮らしの中年がギリギリでやり過ごしている諦観にも似た夢の跡みたいな雰囲気が漂っている。間違っても田中美佐子が予告なくやってきてソファに座ってるなんて事態にはならない。これが時の流れというものなのかと溜息をつきそうにもなるが、そんな気持ちを吹き飛ばしてくれるのが、80年代の音楽や映画だ。
とびっきりの曲を iPhone に詰め込み、柴田恭兵が着ていたような白コートに身を包む。そして階段を駆け下りたら、89年のあの街並みが目の前に広がる――。
街には田中美佐子が、
和久井映見が、
つみきみほが、待っている。
ああ、ここは『べっぴんの町』なんだ。神戸ではなく横浜だけど…。
ただ、時の経過は残酷で、洒落たビルも廃墟に。野望に満ちていた少年も、“ギリギリ中年” に変わり果てる。それでも僕はタイムマシーンを持っているし、知っている。僕の部屋は 80's の服、本、映画、レコードで溢れ返っている。でも、懐かしんでる訳ではない。現実逃避でもない。これは輝きを失ってしまった日本で、へこたれずに生きていく為の必需品なのだ。
いや、それにしても柴田恭兵だ。『あぶない刑事』が流行っていた時期に、これ程までにトーンを抑えた引きの演技をするとは…
映画『チ・ン・ピ・ラ』でも着ていたプリントシャツは、派手さを抑えて神戸の街に自然と調和させているし、白コートや A-2 の着こなしも MG(オープンカー)やコロナといった小道具も様になってる。
この人は何事においても一切気負いがなく、颯爽と飄々を事もなげに行き来する。東京キッドブラザース仕込みのステップでリズムを刻み、軽やかに踊りながら難しいテンポの曲をサラッと歌う。簡単にこなしてるように見えるけど、どれだけ練習したんだろう。
思えば10代の頃、「俺はこんな中年になるんだ!」って思わせてくれたのがこの映画だった。そんなダンディズムのカケラを僕は50目前で拾った気がした。
さてと、ダンディへの第一歩… まずは、この部屋を片付けるところから始めようか。
Hello! 2019. HNY.
Song Data
■AGAIN / 柴田恭兵
■作詞:山川啓介
■作曲:深町栄
■編曲:瀬尾一三
■発売:1989年10月4日
※映画『べっぴんの町』主題歌
2019.01.14
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YouTube / nishima
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