10月13日

忌野清志郎によく似た ZERRY 率いるザ・タイマーズの “FM東京事件” は衝撃だった!

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忌野清志郎が歌う、屈託のない愛のカタチと自由への憧憬


多くの人がそうであったように、僕も音楽の入口… ロックの入口が忌野清志郎、RCサクセションだった。

日本を代表するライブアルバム『RHAPSODY』の、脳裏に躍動感あふれるステージが蘇るような熱量を感じ、リアルタイムでは『BLUE』『BEAT POPS』… とグラマラスなロックバンドとして、時には内省的に感性を研ぎ澄ませ、またある時はそれに相反するようにエナジーを高めていく姿を目の当たりにできたのは、なんと幸せなことだろう。

新譜を追いかけるのと同時に、過去の “ハードフォーク” と言われた時代の音源も遡って聴いていく。「宝くじは買わない」や「ぼくの好きな先生」を聴いて、牧歌的な情景の中にも、世の中や権力に媚びず生きていくやり方がいくらだってあることを知った。

十代の終わり、真夜中に好きな女の子と長電話をしたときには「2時間35分を超えたね」なんて笑いあった。初期の名曲「2時間35分」で、清志郎はこんな風に歌っている。

 君と話した 長い長い電話
 2時間35分
 話はつきない 夜がふけるまで
 2時間35分 2時間35分
 新記録ができた すばらしい夜さ
 二人の愛が確かめられた2時間35分

清志郎が歌う “屈託のない愛のカタチと自由への憧憬” に、僕らの未来があるように思えた。音楽を通じてできた友達は、何処へ行っても、みんなRCサクセションが、忌野清志郎が大好きだった。“清志郎” は共通言語だった。それは今も変わらない。



発売中止になった「COVERS」。古巣からリリース、そして初のオリコン1位


清志郎から感じ取った自由は、大人になってからも自分の中で熟成し、世の中を見渡すひとつの指針となっていった。それを最も痛烈に感じたのが、反核、反原発のメッセージを全面に打ち出したカバーアルバム『COVERS』のリリース時から始まる経緯だった。

山口冨士夫、三浦友和、桑竹居助(桑田佳祐)、金子マリ、坂本冬美、ちわきまゆみ、泉谷しげる、高井麻巳子、ジョニー・サンダース… といったバラエティに富む錚々たる顔ぶれのゲストが集まり制作された。

周知の通り、この珠玉のカバー集は、当時の所属レコード会社から発売中止の措置を取られた。そして古巣のキティ・レコードからリリース。

この発売中止騒動から『COVERS』はRCサクセションとして初のオリコン1位を獲得するとはなんとも皮肉な話だが、権力により言論の自由を遮られた清志郎のその後のアクションは、まさに痛快無比! 日本のロックシーンを語る上で外すことのできない出来事となる。



ザ・タイマーズ結成。コンセプトは「アコースティックで演る」


『COVERS』の発売中止騒動の渦中に結成されたのがザ・タイマーズだった。土木作業員のスタイルの覆面バンドとしてライブイベントや学園祭にゲリラ的に出現し、行方をくらませるように去っていく4人組は、アコースティックギターにウッドベース、ドラムという4ピーススタイル。

タイマーズには結成当初から、「アコースティックで演る」というコンセプトがあった。これは、「言いたいことを言ってパッと逃げられるから」という清志郎のチャーミングかつパンキッシュな発案からだった。

これは、電力を使わずにも演奏できるという点で、原発へのアンチテーゼであったことは言うまでもない。そして、その源流には、結成間もないハードフォーク時代のRCサクセションの面影を垣間見ることができた。この時代のRCサクセションもウッドベースだったから。

タイマーズだからこそ生まれた「デイ・ドリーム・ビリーバー」


フォークのスタイルを基調にしながらもブルース、パンク、ロカビリー、そして演歌まで… 様々なスタイルをシンプルな楽器構成の中で融合させたそのスタイルは、音楽的にも未だかつてない試みであったし、そこから日本で最も多くの人が耳にしているカバーソング「デイ・ドリーム・ビリーバー」が生まれた。

以前、タイマーズのベーシストとして清志郎と活動を共にした川上剛が、当時を思い出して僕にこんなことを語ってくれたことがある。

「タイマーズほど、理想的なバンドはなかった。ボス(清志郎)が右! といえば全員右を向く。誰にも迷いがなかった。だから理想的なグルーヴが生まれる。それにボスは、ひとりひとりの持ち味というか、良さを上手く引き出すアレンジをしてくれた。だからここで学んだことはたくさんあった」

『COVERS』の発売中止を発端に、清志郎には言いたいことが山ほどあったのだろう。しかしRCサクセションではできない部分もある。そこで結成されたタイマーズは権威に立ち向かうアティチュードばかりが注目された。が、ミニマムな編成の中に秘めたマキシマムな音楽性やバンドとしての理想的なあり方があったからこそ、タイマーズの軌跡はエポックメイキングな出来事として、今も多くの人の心の中に残っているのだろう。

タイマーズを象徴する前代未聞のテレビジャック! FM東京事件の衝撃


タイマーズの数々の逸話の中で、最も衝撃的だった出来事と言えば、今から33年前の10月13日。世間を騒然とさせた「FM東京事件」だろう。

前代未聞のテレビジャック! これは、彼らのデビュー間もない平成元年10月13日の出来事だった。フジテレビの生放送音楽番組『夜のヒットスタジオR&N』出演時、リハーサルとは異なるとんでもない未発表曲を披露した。

曲の中では、「FM東京」を批判する数々の言葉と放送禁止用語を連発。これは、清志郎と盟友山口冨士夫との共作で清志郎が歌詞を提供した「谷間のうた」がFM東京、FM仙台で放送禁止になったことを発端とする抗議のパフォーマンスだった。

当時の出演者の呆気にとられた顔は痛快そのものであり、テレビ史上に残る事件として今も語り継がれている。もちろんこれは、「言いたいことを言ってパッと逃げられる」といった、タイマーズの権力に抗うスタンスを象徴した出来事だったが、川上が述懐する後日談もイカしている。

「翌日、札幌でのライブがあったから、朝、羽田に集合したのね。そこで、ボスが “売店にあるスポーツ紙を全種買ってこい” っていうから買ってきた。すると全紙の一面に昨日の夜の事件が。メンバー全員で飛行機の中で大爆笑だった」

権力に抗いながらも、どこか悪戯っ子のようにチャーミングな清志郎らしい逸話だ。やはりここにも “自由” という根源があった。

忌野清志郎の変わらぬスタンス。そして知る“お金では買えない尊い精神性”


考えてみれば清志郎は、デビュー当時から、RCサクセション、タイマーズ、2・3'S、LITTLE SCREAMING REVUE、ラフィータフィーと、そのスタンスは全く変わらなかったのではないだろうか。

愛と、平和と、アイロニー… そして疑問に感じたことを世間に流されることなく自分の言葉にしていく。そのスタンスから僕らは、決してお金では買えない尊い精神性を知ることになる。そして言葉は “言霊” となり、フォーク、ブルース、R&B、グラム、パンク… 様々な音楽を”類まれな歌唱力で昇華させていった。

清志郎の歌は今も生きている。タイマーズの活動を通じて清志郎が世の中に放ったインディペンデントでパンキッシュなアティチュードは鮮やかな残像を遺し、多くの人の心の中に今を生きる道標として突き刺さっている。





2021年5月2日に掲載された記事をアップデート

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2022.10.11
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カタリベ
1968年生まれ
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