1月11日

美空ひばり最後のシングル「川の流れのように」52歳の若さで世を去った歌謡曲の女王

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平成が始まって4日目に発表された「川の流れのように」


1989年1月11日、美空ひばりの「川の流れのように」が発売された。昭和が終わったのがこの年の1月7日だから、これは平成が始まって4日目に発表された曲ということになる。“昭和を代表する大歌手” 美空ひばりは、実は平成の時代にもヒット曲を生んでいたのだ。

僕自身が美空ひばりに積極的に関心をもったのは、1970年代になってからのこと。すでに彼女はキャリア20数年、押しも押されもしない歌謡曲の “女王” だった。

岡林信康を支えた美空ひばり


そのきっかけとなったのはフォークシンガーの岡林信康だった。1960年代の後期、「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」「私たちの望むものは」などの社会派フォークソングを歌い “フォークの神様” と呼ばれた岡林信康は、彼に “時代の救世主” 的期待が寄せられることの重圧に耐えかねて、山村で隠遁生活を送るなど、その活動状況は不安定なものになっていた。
そんな時期に岡林信康を支えたのが美空ひばりだった。一見なんの接点もなさそうな “歌謡曲の女王” と “フォークの神様” の出会いは、僕にとって意外であると同時に、かなり興味をそそられる出来事だった。

自分にとっての歌う意味を自問していた岡林信康は、それまでは無縁だと思っていた歌謡曲に改めて向き合い、自分の歌の在り方を問い直していった。そんな岡林の姿勢に美空ひばりは共感し、実際に交流もしていく。

自分にとっての歌う意味を問い直した岡林は、1975年に演歌色の強いアルバム『うつし絵』を発表。さらに1980年代に入ると、自分の音楽に日本民謡のリズムを取り入れた〈エンヤートット〉を打ち出していくことになる。

美空ひばりが岡林信康に注目したのは、『うつし絵』にも収められている「月の夜汽車」のデモテープを聴いて気に入ったことがきっかけだったという。アーティストとしての姿勢とともに作家としての岡林信康の力量を評価した美空ひばりは、『うつし絵』が出た直後に「月の夜汽車」を自らもシングルで発表した。ちなみにカップリング曲の「風の流れに」もやはり『うつし絵』に収められている岡林の曲のカバーだった。



1949年「河童ブギウギ」でデビューした美空ひばり


岡林信康との交流を知る以前、僕は積極的な関心を持っていたわけではなかった。けれど、もちろんそれ以前から美空ひばりのことは知っていた。

美空ひばりが「河童ブギウギ」でレコードデビューしたのは1949年のことで、ディスコグラフィーを見ると僕が物心ついた頃にはほぼ毎月のようにシングルがリリースされていた。1950年代前半には音楽を聴く手段はラジオかレコード、または映画くらいしかなかったけれど、美空ひばりの歌は時代のBGMのような感じで記憶のどこかに残っていた。

それはテレビが普及してきた1960年代でも同じことで、僕の家には美空ひばりのレコードは1枚も無かったけれど、主要なヒット曲は自然に耳に入っていた。

不死鳥 / 美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって


僕が生の美空ひばりコンサートを観たのはたった一度だけだ。それが1988年4月11日に、この年オープンした東京ドームで行われた『不死鳥 / 美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって』だった。

さすがにこの時頃には美空ひばりの凄さを認識していたし、「これは見届けておかなければ!」と、彼女のレコード会社の知人に頼み込んで2階席の端っこのチケットを融通してもらった。

「観る意味があった」と思えるコンサートだった。病み上がりのけっして万全ではないコンディションにもかかわらず気迫で39曲を歌い切る姿は感動的だったし、ステージの上手にストリングス、下手にフルバンドという大編成にもかかわらず、音響も素晴らしかった。東京ドームという音的には劣悪な条件でも最良の音で伝えることにこだわったという話も聞いたが、その後に体験した東京ドームでのコンサートに比べても、その音の良さは抜きんでていたと思う。

さらに印象的だったのは、ステージで次々と歌われる曲のほとんどを僕自身が知っていたことだ。最初に書いたように、僕は美空ひばりの熱心なリスナーではなかったのに、知らない曲がほとんど無い。それはまさに、彼女の歌が戦後日本の民衆史の背景として存在していたということの証明だったのかもしれない。

そんなことを思いながら、僕は東京ドームで美空ひばりの歌に聴き惚れていた。



その時々に流行っていた音楽的テイストを積極的に取り込む


美空ひばりというと “演歌歌手” というイメージが強いと感じる人が多いかもしれない。しかし、僕の記憶では彼女が演歌色の強い曲を歌うようになったのは「柔」(1964年)や「悲しい酒」(1966年)以降のことだったのではないかと思う。美空ひばりに限らず、日本の歌謡曲に “演歌” がクローズアップされ始めたのは1960年代のことで、それ以前は、民謡、浪曲、講談、お座敷歌などの和のモチーフを使った曲はあっても、それは歌謡曲のバリエーションのひとつというニュアンスだったという印象がある。

実際、デビュー曲のタイトル「河童ブギウギ」からもわかるように、美空ひばりには洋楽テイストが強く感じられる曲も多いし、「東京キッド」(1950年)、「お祭りマンボ」「リンゴ追分」(1952年)、「ロカビリー剣法」(1958年)など、そのレパートリーの音楽性の幅は実に幅広いのだ。

ディスコグラフィーをたどっていくと、美空ひばりはその時々に流行っていた音楽的テイストを積極的に取り込みながらレパートリーを作っていることがわかる。そして、その音楽的テイストがどんなものであろうとも、独特のコブシを効かせた彼女の歌が乗ることによって魅力あふれる歌謡曲として成立してしまう。それこそが、まさに美空ひばりの最大の才能なのだと思う。

ひばりジャズを歌う 〜ナット・キング・コールをしのんで~


美空ひばりの歌手としての実力は、『ひばり世界を歌う』(1964年)などの外国曲を歌ったカバー・アルバムを聴けばわかるだろう。とくに、『ひばりジャズを歌う 〜ナット・キング・コールをしのんで~』(1965年)は、美空ひばり=演歌の先入観を持っている人を驚かせるに十分なクオリティの高い本格的スタンダード・ジャズ・ヴォーカルを聴くことが出来る。これらのアルバムは、美空ひばりが本質的にはきわめて歌唱力の高いマルチシンガーなのだということを示していると思う。



実は「柔」以降の “演歌” 色が強くなっている時期にも、美空ひばりは時代を彩る音楽をしっかり意識した活動を続けている。たとえば1967年の「真っ赤な太陽」は、当時全盛だったGS(グループサウンズ)ブームを強く意識した曲で、GSのトップグループだったジャッキー吉川とブルー・コメッツが演奏をおこなっていた。そして、冒頭で触れた70年代の岡林信康との交流も、美空ひばりが当時のフォークムーブメントをも意識していたことで生まれた動きでもあったんじゃないかと思う。

その後の秋元康の大活躍を暗示する作品


1980年代に入ると、それまでの歌謡曲とフォークやロックをベースとする新しい音楽の流れが融合する動きが盛んになるが、美空ひばりの作品にもこうした影響がみられる。

たとえば「花のいのち」(1983年)では作詞・作曲を美空ひばり自身が手掛けているし、「笑ってよムーンライト」(1983年)では作詞に来生えつこ、作曲に来生たかお、そして編曲に坂本龍一が起用されている、「夢ひとり」(1985年)はシンガーソングライターのイルカが作曲、歌詞は美空ひばりが自ら書いている。そして後期の代表曲のひとつとなった「愛燦燦」は小椋佳の提供曲だ。



1989年6月24日、美空ひばりが逝去。その結果、同年1月に発表された「川の流れのように」が生前に発表された最後の曲であると同時に最後のヒット曲となった。

いささかうがった見方をすれば、作詞:秋元康、作曲:見岳章によるこの曲は、その後の秋元康の大活躍を暗示する作品だとも言えるかもしれない。

美空ひばりが歌謡史に残した足跡の大きさを振り返ると、彼女が52歳の若さで世を去ったということが信じられない気がする。同時に、もしも彼女が21世紀まで活動を続けていたとしたら、どんな楽曲を残してくれていただろうと想像したくもなる。

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2023.01.11
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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